第三章 工房の目覚め
クララと別れ、エマは自分の工房へと足を向けた。石畳の通りには、既に活気が満ちていた。
ガラスを吹く職人、革を裁つ職人、木を削る職人……。それぞれが朝の光の中で、黙々と手を動かしている。その姿は、まるで祈りを捧げているかのようだった。
「おはよう、エマちゃん!」
リーゼが、レース編みの工房から手を振っていた。
「今日も早いわね。でも、その方が良い材料が手に入るものね」
差し出された小さな包みから、焼きたてのパンの香りが漂う。
「ありがとう、リーゼ。でも、お金を……」
「いいの! この前、素敵なレースの縁取りを教えてもらったからそのお礼よ」
エマは思わず微笑んだ。ここでは、技術の交換も、心遣いも、すべてが等価なのだ。
「じゃあ、今度は私の新作のハーブティーをおすそ分けするわ」
そう約束して、エマは自分の工房の前に立った。古い木製の看板には、優美な文字で記されている。
『癒しの工芸品 ~エマの工房~』
鍵を差し込むと、懐かしい香りが漂ってきた。
「ただいま……」
そっと呟きながら扉を開けると、柔らかな光が差し込んでいた。1階は販売スペースと生活空間。温かみのある木の棚には、これまでの作品たちが並んでいる。
階段を上がり、2階の工房に足を踏み入れる。大きな窓からは朝日が燦々と注ぎ込み、作業台や道具たちを優しく照らしていた。
「さて……」
エマは窓を開け放った。春の風が、工房いっぱいに広がる。
作業台に向かい、引き出しを開ける。中には、前世では想像もできなかったような道具たちが並んでいた。
絵筆、染料、織り糸、粘土……。そして、この世界特有の「祝福の雫」を扱うための道具たち。キラリと光る小瓶には、植物の生命力を引き出す魔法の力が宿っている。
「春の大市の作品、か……」
エマは、静かに目を閉じた。前世の感性と、この世界での技術が、心の中で溶け合っていく。
(今度は、決して急がなくていい)
ゆっくりと、作業台に白い布を広げる。
(作品で魂を削るのではなく、魂と対話しながらゆっくり創り上げていけばいい)
エマの手が、優しく布に触れた瞬間、不思議な温もりが指先から伝わってきた。
「あら……」
驚いて目を開けると、布が微かに発光していた。これが「職人の祝福」――材料との対話を可能にする、この世界のささやかな魔法。
「こんにちは……あなたと一緒に、何か素敵なものを作らせてもらえますか?」
エマがそっと問いかけると、布が光を揺らめかせて応えた。まるで、待っていましたとでも言うように。
その瞬間、作りたいものの形が、心の中に自然と浮かび上がってきた。
「春の光を織り込んだ……癒しのショール」
エマはゆっくりと立ち上がり、裏庭に続くドアを開けた。ハーブガーデンには、朝露が宝石のように輝いている。様々な植物が、それぞれの香りを漂わせていた。
「ラベンダー、カモミール、ローズマリー……みんな、協力してくれる?」
風が吹き抜け、ハーブたちが優しく揺れる。その仕草は、まるで頷いているかのようだった。
エマは深く息を吸い込んだ。
(今度は、急がなくていい)
その言葉を心の中で繰り返しながら、エマは静かに作業を始めた。朝日は徐々に高くなり、工房を温かな光で満たしていく。
その光の中で、新しい命が宿る作品が、ゆっくりと形作られていこうとしていた。




