第二章 新しい朝
柔らかな木漏れ日が、銀色の髪を優しく照らしていた。
エマは、自分の手のひらをじっと見つめる。若く、しなやかな指。まだシミひとつない、健康な肌。前世の、点滴の針跡が残る手とはまったく違う。
「本当に……生まれ変わったんだ……」
春の風が頬を撫でていく。深く息を吸い込むと、森の香りが肺いっぱいに広がった。土の匂い、若葉の香り、遠くから漂う花々の芳香。すべてが新鮮で、生命力に満ちていた。
「ここは、ルミエール・ヴァレー……光の谷……」
今世の記憶が自然と湧き上がってくる。
この世界での自分。
18歳の工芸職人、エマ・ヴァンローズとしての記憶。
苔むした石畳の小道の先に、朝もやの中から姿を現した村の風景。三方を緩やかな丘に囲まれた渓谷に、石造りの家々が整然と並んでいる。建物の間を縫うように流れる清流アルテ川は、朝日を受けて煌めいていた。
「まるで、絵本の中の風景……」
どの建物からも、朝もやのような薄い煙が立ち昇っている。窯を焚く音、金属を打つ音、機を織る音。それらが朝の空気に溶け込み、村全体が生きているかのような律動を奏でていた。
遠くから、深く澄んだ鐘の音が響いてくる。
「八時を告げる時計塔の鐘……」
エマはふと、自分の左手が何かを握りしめていることに気付いた。開いてみると、古びた真鍮の鍵が一つ。
「私の工房の鍵……」
記憶が確かになってくる。職人街の一角にある、自分の工房兼住居。伝統工芸と現代的なデザインを融合させた作品を作る場所。そこで私は……。
その時、小道の向こうから声が聞こえてきた。
「あら、エマ! 森の中で何してるの?」
振り返ると、羊毛を入れた大きな籠を抱えた少女が立っていた。自然と名前が浮かぶ。クララ。羊飼いをしながら、紡ぎ手としても活躍する同い年の友人だ。
「クララ……おはよう」
「もしかして、また工房の材料探し? あなたったら、本当に早起きね」
クララは柔らかく微笑んだ。その笑顔に、エマは不思議な安心感を覚える。前世では、こんな何気ない会話さえ、常に時間に追われて交わすことはなかった。
「ねえ、よかったら一緒に村まで降りない? ベルタさんの市場で、特別な染料が入荷されるって聞いたわ」
「ええ、そうね……」
二人並んで坂道を下り始めながら、エマは改めて深く息を吸い込んだ。清々しい朝の空気。遠くから漂うパンの香り。小鳥のさえずり。すべてが、かけがえのない命の証のように感じられた。
「あ、そうそう! エマ、来週の春の大市に出品する作品は決まったの?」
「春の大市……」
エマの中で、また新しい記憶が呼び覚まされる。毎年5月に開かれる工芸品の一大展示会。職人たちが渾身の作品を披露し、評価を競い合う特別な機会。
「まだ……検討中なの」
「そうなの? でも、エマの作品なら絶対素敵よ! 前に見せてもらった試作品、とても印象的だったもの」
クララの言葉に、エマは静かに頷いた。そうだ。この世界で私は、魂を焼き尽くすのではなく、大切に心を育みながら創作する道を選んだのだ。
二人が村の入り口に差し掛かったとき、遠くの丘から朝日が昇り、光の谷全体を黄金色に染め上げた。
「綺麗……!」
思わず声が漏れる。光に煌めく石畳、輝きを帯びた清流、まるで祝福を受けているかのような風景。
エマは、自分の胸の内に確かな温もりを感じていた。
「今度は、きっと違う生き方ができる。本当の私を、生きる」
その言葉には、深い誓いが込められていた。




