第十八章 月夜の収穫祭
満月の夜が近づいていた。エマの庭で咲く月詠みの花が、いつもより強く輝きを放っている。
「エマ、今夜が満月よ」
マリーお婆さんが、夕暮れ時に訪ねてきた。その手には、古びた籠が下げられていた。
「月の力が最も強いこの夜に、収穫すべき野菜があるの」
その言葉に、エマは少し戸惑いを覚えた。前世では、夜間の作業は締切に追われた時だけ。それは決して良い思い出ではなかった。
「でも、暗くて……」
「大丈夫、月が私たちを導いてくれるわ」
マリーの言葉には、不思議な確信が込められていた。
日が落ち、村が闇に包まれ始めた頃、エマは月明かりを頼りに畑へと向かった。満月の光は、思いのほか明るい。銀色の光が、野菜たちの葉を優しく照らしている。
「まずは、月見草から」
マリーが、花壇の端に咲く黄色い花を指さした。
「この子たちは、月の光を浴びることで、特別な力を宿すの」
エマが花に触れると、花びらが微かに発光した。
「これが……月の祝福?」
「そう。月見草は、月の力を集める力を持っているのよ」
摘み取った花を籠に入れていくと、不思議なことが起きた。花が、まるで生きているかのように、かすかな光の波動を放ち始めたのだ。
「次は、この茄子を」
マリーが畑の中ほどを指さす。月光に照らされた茄子の実が、艶やかな紫色を湛えている。
「どうやって選べばいいのかしら?」
「心で感じるのよ。月の光を最も多く集めた実が、あなたに語りかけてくる」
エマは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。すると不思議なことに、茄子の一つが、まるで呼びかけるように存在感を放っているのが分かった。
「この子が……」
その実に触れた瞬間、手のひらに温かな波動が伝わってきた。
「素晴らしいわ!」
マリーが喜びの声を上げる。
「その子は、満月の力を十分に蓄えているわ。こういう野菜で作った料理は、特別な癒しの力を持つの」
月が天頂に近づくにつれ、畑全体が神秘的な輝きを帯びていった。トマトは宝石のように輝き、かぼちゃの葉は銀箔を散りばめたように光る。
エマは、次第にその光景に魅了されていった。前世では気づかなかった、夜の美しさ。静寂の中で研ぎ澄まされる感覚。
「ねえ、マリーお婆さん」
「なあに?」
「この感覚……布に織り込めないかしら。月光の中で輝く野菜たちの姿を」
マリーは、満足げに微笑んだ。
「それこそが、私が教えたかったことよ。月光織り――古くから伝わる特別な技法があるの」
話を聞くうちに、エマの心に新しいインスピレーションが湧き上がってきた。月の光を集めた野菜たちの姿。その神秘的な輝きを、布に封じ込められないだろうか。
収穫を終えた頃、東の空が少しずつ明るくなり始めていた。籠の中では、月見草と野菜たちが、まだかすかな光を放っている。
「これから、特別なスープを作りましょう」
マリーが提案した。
「月の祝福を受けた野菜で作るスープは、心まで温めてくれるのよ」
エマは頷いた。今夜の体験を、作品に、そして料理に活かそう。それは、自然の恵みを余すところなく生かす、この村ならではの知恵なのだ。
工房に戻る道すがら、エマは夜明け前の空を見上げた。満月はまだ空に残り、朝焼けと溶け合うように輝いている。
(今までこんな景色に気付かなかったなんて)
前世では見過ごしていた美しさが、今はありありと心に響いてくる。それは、生きているという実感を、より一層深めてくれるものだった。
工房の窓から差し込む月光が、作業台の上で静かに輝いている。エマの心には、新しい作品のイメージが、夜の収穫の思い出とともに、確かな形を結び始めていた。