第十章 雨音の調べ
初夏の雨が、光の谷を優しく潤していた。エマは工房の窓辺に腰かけ、ガラス越しに降り注ぐ雨を眺めている。
「雨の日って、不思議と心が落ち着くわ……」
軒先を伝う雨水が、まるで小さな鈴を転がすような音色を奏でていた。前世では、雨の日は撮影の障害でしかなかった。でも今は違う。
「ノックノック! エマ、いる?」
声の主はルーカスだった。ガラス職人の彼は、両手に何かを抱えている。
「まあ、ずぶ濡れじゃない! 待って、タオルを……」
「いやいや、このぐらい平気さ。それよりも実はね、エマに見せたいものがあって」
ルーカスが開いた包みの中には、小さなガラスの風鈴が並んでいた。
「これ、『雨音の具現化』って名付けたんだ。でも、何か足りない気がして」
エマは一つを手に取った。透明なガラスの中に、雨粒のような模様が封じ込められている。
「綺麗……」
「エマの『祝福のショール』を見てね、僕も誰かの心に響く作品を作りたいって思ったんだ」
その言葉に、エマは静かに微笑んだ。
「ねえ、ルーカス。この風鈴、私と一緒に完成させてみない?」
「え?」
「ガラスと布の共演……。きっと、新しい何かが生まれるはず」
そうして二人の共同制作が始まった。エマが織る薄絹の帯をガラスに巻き付け、ルーカスがそれを熔かしガラスの中に封じ込めていく。
「エマ、この布に込めた祝福が、ガラスと溶け合って……!」
窓の外では雨が続いていたが、二人の心は創作の喜びで熱く燃えていた。
夕方近く、誰かが工房の扉を叩く音が聞こえた。
「これは素敵な光景ですね」
ヴィルヘルム神父が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「神父様! こんな雨の中を」
「ああ、教会の古い窓枠の修理を依頼しようと思って。でも……」
神父の目が、作業台の上の風鈴に釘付けになった。
「この音色、まるで祈りの鐘のようだ」
エマとルーカスは顔を見合わせた。そうか。二人は無意識のうちに、教会の鐘の音色を意識していたのかもしれない。
「神父様、良ければこれを教会に飾っていただけませんか?」
「エマ! でも、まだ試作品で……」
「いいの、ルーカス。私たちの祈りを、この風鈴に込めましょう」
三人で教会に向かうと、雨はいつの間にか上がっていた。夕陽が雲間から差し込み、濡れた石畳が黄金色に輝いている。
教会のステンドグラスの下に風鈴を飾ると、不思議な情景が広がった。ガラスに封じ込められた布が、ステンドグラスの光を受けて万華鏡のように輝き始めたのだ。
「おお、なんという美しさだ……」
神父の声が、感動に震えていた。
「お二人の技が、こうして溶け合って、新しい祈りの形を生み出すとは」
その時、遠くで雷が鳴り、再び雨が降り始めた。風鈴が風に揺られ、清らかな音色を響かせる。
「エマさん、ルーカスさん。どうかこの風鈴を、毎年の『雨霽の祭り』に飾らせていただけませんか?」
「雨霽の祭り?」
「ええ、梅雨の晴れ間を祝う、光の谷の伝統行事です。職人たちが、雨に感謝を捧げる祭り」
エマは、また新しい伝統を知ることができた喜びを感じていた。
「ルーカス、私たち、もっとたくさん作りましょう。今度は他の職人さんたちとも協力して」
「うん! みんなの技を集めれば、もっと素敵な物が作れるはず」
教会に灯りが燈り始める中、二人は新たな創作への期待に胸を膨らませていた。風鈴は、まるで二人の想いに共鳴するように、優しい音色を奏で続けていた。