第1話
「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した」
太宰治「走れメロス」より
1年前の冬に本格的に入った頃、ある田舎の中学校では国語の授業が行われていた。そこで出てきたこの書き出しに、治希は不思議と既視感を感じていた。
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突然だが、僕の前世は太宰治だ。そう断言できるのにはいくつかの理由があるのだがまずは思い出したきっかけから。
僕はもともとあまり本が好きではなかった。文字が大きい児童書ですらまともに読めなかったのだから、昭和の文学には触れたことすらなかった。そんな僕だったが、中学2年生の冬だっただろう、国語の授業で太宰治の走れメロスを取り扱った。その時、この本を読んだことが、いや、書いたことがある気がする。という不思議な既視感を覚えた。最初は有名な文学だからきっとどこかで聞いたのか、読んだのだろう、と思っていたのだがこの日の夜、不思議な既視感の正体が明らかになった。
夢を見た。内容はというととある男の一生だ。夢の中で僕は津島家の11人兄弟の10番目として生まれ、やがて小説を書くようになる。井伏鱒二に弟子入りし、ときに自殺未遂を繰り返しながらも、ベストセラー作家となった。しかし、人気作家という肩書がついたからと言って生活も精神状態も安定しなかった。39歳の誕生日を迎える数日前、当時の愛人と川に飛び込み、その一生に幕を閉じた。
僕は息苦しさから目を覚ました。川に飛び込んだところで無意識に息を止めていたのだろう。それにしてもあの夢は…太宰治の…?すぐに上体を起こし、インターネットで調べる。すると次第にはっきりしてきた。あのリアルで、生々しく、苦しかった夢は太宰治の、僕の前世での記憶だった。
このような出来事があり、僕は前世を思い出した。それからというものの僕は失ったものを取り戻したかのように創作意欲が湧き、現在は小説家を目指して日々努力している。数十年のブランクがあるせいかまだ上手く書けないけど、いつか太宰治を超えるような作家になりたいと密かに思っていたりする。
前世は約39年の人生だった。まだわからないが、今世ではその倍を生きるだろう。というか、そうでありたい。もう太宰治としては生きていけないが木村治希として生き、前世ではできなかったことをしたい。このチャンスを手放さない。僕はそう決意した。