短編 『こどく』
『学校教育』。
学校教育というものはその仕組み上、学校という共同体に所属する一人ひとりがどんな事情を抱えていようとも、その全員を十把一絡げにしてしまう。
これはもう、仕方がない。学校というシステムそのものがそうなっているのだから。
立場も事情も違う個人個人を、『ただ同じ地域に居住しているから』という理由で白い箱の中に詰め込んでいるのだから、その中で問題が起こらないわけがない。なにかのマンガで見た『蠱毒』という状況に似ている。
だから、問題の責任は学校の中で生きている我々教師や生徒たちにあるわけではなく、学校というシステムを設定している偉い人たちに帰されるべきだろう。なにせ、現場の教師や生徒たちには、学校というシステムについてなんの選択肢も与えられてはいないのだから。
たとえば、『学習指導要領』というものがある。簡単に言うと学校の先生のマニュアルのようなものだ。
このマニュアルは、その学校の先生たちが作る訳ではなく、別の場所にいる偉い人たちが作る。生徒たちには『自主性を持つように!』とか指導しときながら、教師たちはマニュアル人間にならざるを得ない哀しさ。
『学校の先生』という職業は、常にシステムによって二律背反を背負わされるという運命にある。
……私だって、そう。
≈≈≈
「フザッケンナ!アア!?ヤンのかクルァ!?」
校内唯一のヤンキー君が、昼休みのトイレ前で奇声をはり上げている。よくもまあ、自分の気分だけに従ってこんな大声が出せるものだ。
きっと彼は、自分の傍らにいる人も自分と同じようにものを思うのだ、ということを考えたことすらないのだろう。
彼にとって、ものを思うのは自分だけ。だから、あたり構わずこんな大声が出せるのだ。
私は右手首につけた腕時計の文字盤を見る。アナログの腕時計の針が指し示す時間は13時30分。
あと10分で5時間目のチャイムが鳴ってしまう。
教師の私が授業に遅刻するわけにはいかないのに。
(……はやく終わらせてくれないかな。なにも休み時間終りにケンカなんかしなくてもいいのに)
屋上に続く階段の途中で壁にもたれかかりながら、私は深くため息をついた。
≈≈≈
ヤンキー君たちが騒いでいるトイレ前の廊下は、私が登ってきた階段から教室を挟んで向かい側に位置している。
私が授業の為に教室へ向かう時は、いつも人気のない方の階段を利用する。人通りの多い階段の方が職員室から教室までの距離は近い。しかし、教室まで行く途中でできるだけ生徒たちに会いたくない私は、わざと人気のない方の階段を利用している。
生徒たちが嫌いなわけではなく、単に関わりすぎるのが面倒なのだ。これは教師あるあるだと思う。
教師である私が5時間目の授業に向かう途中。
「フザケテルンナ!テンメェ!」という校内唯一のヤンキー君の奇声が、学校の白い壁を反響して廊下の向こうから聞こえてきた。
その瞬間、私は急いで登っていた階段をさらに駆け上り、声が聞こえた階を通り過ぎて、上の階の踊り場にエスケープした。この踊り場は屋上にしか通じていないので、普段は誰も来ない絶好の隠れ場所となる。ヤンキー君が何に激昂しているのかは分からないが、ひとまず問題が治まるまでこの場所で待機することとしよう。
この行動は、学校の中で生きていくうちに私が身に着けた反射的行動だ。不穏な物音を聴いたウサギが反射的に走り出すようなものだ。
ただの普通の教師に過ぎぬ私に、校内で暴れるヤンキー君を抑えられるわけがない。
ムダな努力はやらない方がいい。
それが、学校だけではなく一般社会で生きる為の不文律というものだろう。
≈≈≈
「何やっとるんだ!お前たち!!」
ジャージを着て竹刀を持った体育教師(こんな格好で、なんでこの人は処分されないのだろう?)が、ヤンキー君とクラスの中でも目立たない大人しい男子のケンカに割って入った。
その体育教師は、私にとって苦手なタイプだったが、こういう場合は有り難い存在となる。というよりも、この体育教師の存在が私にとって役に立ったのは今日が初めてだ。
体育教師は、ケンカをしていた二人にくどくどと説教でもしているらしい。階段の陰に隠れている私には体育教師の声しか聞こえない。
「……こんな所でじゃれ合うな」
そう言った後で、体育教師は足音も高らかに廊下を歩き出した(正確には、そのがに股で歩く足音が私の耳に聴こえた)。
……どうやら、ケンカは終わったらしい。
右手首につけた腕時計の文字盤を見ると、針が指し示す時間は13時36分。
ヤバい。あと4分で授業が始まってしまう!
教師の私が授業に遅刻するわけにはいかないのに。
私は急いで屋上へ続く階段の踊り場から、下の階まで降りる。そして、なにごともなかった体を装って廊下を歩き出した。
スタスタとスリッパのかかとを鳴らしながら、そそくさと教室へ入った私を廊下にいた生徒の何人かが見つめる気配を頬に感じた。
≈≈≈
学校教育というものはその仕組み上、学校という共同体に所属する一人ひとりがどんな事情を抱えていようとも、その全員を十把一絡げにしてしまう。
強い人も弱い人も。性格のいい人も悪い人も。成績のいい人も悪い人も。みんな十把一絡げ。
これで問題が起こらない方がどうかしてる。
……世の中みんな聖人ばかりだとでも?
学校という蠱毒の中では、ありとあらゆる『猛毒』が日常的に醸成され続けている。
孤立、欺瞞、侮蔑、平等、拒絶、無気力、常識、非常識……
社会を侵す猛毒を内包しながらも、社会という大きな括りを人々に学習させる為のシステムは、これからも続くのだろう。
でも、トイレ前の廊下でケンカをしている生徒たちを見て急いでその場から離れた私には、このシステムを批判する資格はない。する気もない。
(ま、それが社会ってものよ……)
黒板に授業の内容を白いチョークでリズミカルに刻みながら、私は心の中で独りごちた。
5時間目の始業のチャイムが鳴った。
少し私はホッとする。
予測できないトラブルはあったものの、とりあえず授業には遅刻せずに済んだのだ。
いつも通りの授業、いつも通りの教師。
弱い私は、これまでもこれからもウサギのように逃げ回りながら、蠱毒の中を生き続けていく。
≈≈≈
この話はフィクションです。
実際の人物・団体等とは一切関係ありません。
読んでくださり、ありがとうございます。
『責任転嫁』。
そういう話になります。
こんな先生イヤだな…とか思いつつ、どこかの学校に居そうだな…とも思う私。