或るヤンキー君と私
私が中学生の頃。
一度だけヤンキーに絡まれたことがある。映画やマンガに出てくるあの『ヤンキー』である。
その当時ヤンキーは、珍獣どころかほぼ幻獣的存在だった。
中3の秋に突然転校してきたそのヤンキー君は、確かに存在しているのにも関わらず、大人たちからは見てみぬふりをされていた。
正しく、彼は『幻獣』であった。
彼は田舎の中学校で校内唯一のヤンキーであり、『健全な青少年の育成の為』、ある意味では大人たちにとって保護すべき対象でもあったのだろう。
スプレー缶一本かけてセットする髪型も、校則違反の短ラン・ボンタンも、彼だけは黙認されていた。もしも、私が彼をマネして短ラン・ボンタンで登校したならば、先生からすごく怒られるだろう。
大人の世界にはエコヒイキがまかり通っている、と私が認識したのは、この時かもしれない。
私がそのヤンキー君に絡まれたのは校内だった。場所は階段を上がってすぐの廊下。
友達とお喋りしながら階段を上がり、廊下の角を曲がると、トイレから出てきたヤンキー君と私の肩と肩がぶつかった。
相手が誰かも知らずに、私は反射的に「あっごめんね!」と謝ったのだが、なぜかそれがヤンキー君の癪に障ったらしい。
突然、彼は私の腹をグーパンで殴ってきた。
≈≈≈
私は中学生の時、『少しおかしな父親』から無理矢理に身体を鍛えさせられていた。
その当時、父親はたまに私の腹をグーパンで殴ってきた。
父親曰く、「ちゃんと鍛えてるかどうかの検査」だそうだ。バカじゃなかろうか。
私に課されたトレーニングメニューは、腕立て・腹筋・スクワット・木刀振り。
特に、「腹筋を鍛えろ」が父親の口癖だった。
腹筋だけを鍛えると全身の筋力バランスを崩して逆に腰を悪くする…なんて、もちろん父親は知らない。父親は専門家でも武術家でもない。教えたがりのただのおっさんなのだから。
だから、トレーニングメニューには私なりの改変を施していた。父親の言う通りに身体を鍛えたら、身体を悪くするからだ。ダジャレだ。
そして、父親がそうであるように、私の腹を殴ったヤンキー君もそんなことは知らない。
≈≈≈
中学生とは思えないほど鍛え抜かれた私の腹筋は、ヤンキー君のグーパンを弾き返した。そして、木刀振りで鍛えられた私の反射神経は、腹の表面で殴られたダメージを受け流すことにも成功した。
私には、なんの感慨もなかった。早く去ってくんないかな、そんなことくらいにしか思わなかった。
勝手に人の腹殴っておいて、ヤンキー君はなぜか逆に、私に対して激昂した。
信じられないくらいの巻き舌で、ヤンキー君は私に詰め寄ってきた。
「フザケテルンナ!テンメェ!」
巻き舌が過ぎて、そう聞こえる声をヤンキー君は発した。なんとなく声の感じで、彼の腹が『据わっていない』ことが私には伝わってきた。
つまり、彼はビビっているのだ。
人の腹殴っておいてビビるとは何事だ、ヤンキーのくせに。
再度、私はヤンキー君に謝る。
こんな面倒なことは、さっさと終わらせてトイレ行きたい。休み時間は永遠ではないのだ。
「……ごめんってば」
周りで見ている友人たちやクラスメイトの女子たちの手前、私は痛そうな顔を作り、腹をさする。
……申し訳ないくらいヤンキー君のパンチは全然痛くなかったけれども、こうしないと私がクラスの女子に怖がられてしまうから。
全くはた迷惑なヤンキー君だ。
「フザッケンナ!アア!?ヤンのかクルァ!?」
多分、ヤンキー君もこの話し方に慣れていない。
再度、私はヤンキー君に謝った。
「ごめんってば」
「@$∅っぞ!ワレ*&℃¿£※たろかいゴラァ!?」
巻き舌で訳の分からないことを言いながらヤンキー君は私の詰め襟を鷲掴みにして、私の背中を廊下の壁に叩きつけようとする。
私は落ち着いて詰め襟を掴む彼の腕の手首を片手で掴んで固定し、肘を外側からもう一方の手のひらでそっ…と押した。それだけで、力の方向が流され背中から壁に叩きつけられた衝撃をだいぶ流せた。
……と思う。それなりに痛かったけど。
「何やっとるんだ!お前たち!!」
ジャージを着て竹刀を持った体育教師(この当時はこういう珍獣も存在したのだ)の登場により、私とヤンキー君のバトルは幕を下ろした。
……『お前たち』て。
私のクラスメイトの女子の誰かが呼んでくれたらしい。ありがたい。学校の中であばれるヤンキー君を止められるのは、いつの時代も『体育教師』か『昔なんかやってた教師』だけだ。
体育教師の登場に、ヤンキー君は少しだけ『ほっとした』顔をした。しかし、ヤンキーのプライドがそうさせるのか、ヤンキー君はすぐに『ヤンキーの顔』に戻る。
……なんと哀しい習性だろう。
「ちっ…」
ヤンキー君は舌打ちしつつ、少し乱暴に私の詰め襟を離したあと、体育教師の方を見ないようにしながら去っていった。
体育教師も別にそれを追わずに、黙ったまま彼の後ろ姿を見送った。
……やはり、ヤンキーは保護されている。
体育教師が私に聞いてきた。
「……ケガはないな?」
あったらおかしい、という感じの訊ね方。
ありません、と私が言うと体育教師は、
「……こんな所でじゃれ合うな」
そう言って、体育教師も竹刀を肩に担いでエラそうにその場から去って言った。
その場には、理不尽に対する怒りに燃える私の友人たちとクラスメイトの女子たち。
そして、特になんの感慨もない私が残された。
この件で納得したのは、ヤンキー君と体育教師の二人だけだった。
≈≈≈
ある意味、私とヤンキー君は『勝負』をしていたハズだ。
勝ち負けではなく、この場を二人でどう治めるか、という特殊な勝負。ある意味ある時点までは彼と私は『五分と五分』だったし、『同じ立場』だった。
それを壊したのは、私たちよりも『大人』のハズの体育教師である。体育教師は、私たちの勝負を勝負として認識せず、ただ問題を先送りにすることを選んだのだ。
そして、それが絶滅危惧種ヤンキーを『保護』し、廊下を歩いて肩がぶつかっただけで腹を殴られ背中を壁に叩きつけられた私を『黙殺』することとなった。
この体育教師は、私たちの勝負の立会人としては『力不足』だった。
そういうことだろう。
この件で叱責を受けたのは私一人で、ヤンキー君は『青少年の健全な育成の為』、中学卒業まで校則違反が許された。
中学卒業後、ヤンキー君はまたどこかの町へ彼の家族ごと引っ越したという。
引っ越した理由は、私は知らない。
私たちの勝負は、永遠に『物別れ』である。
休み時間は永遠ではない。
しかし、私の心には永遠に答えの出ない『宿題』が残されたままである。
≈≈≈
この話はフィクションです。
実際の人物・団体等とは一切関係ありません。