地下世界59-1
果てへの道は長く、歩みを進めるには多くの困難が付き纏う。
特にその道が人の生活圏外、しかもデーモンや未知の上位存在が跋扈する領域であるならば尚更だ。
我々人間が大手を振って行軍できるはずもなく、息を殺し存在を消し、地に伏せてあらゆる存在に勘付かれないようひたすらにひっそりと進むより他に手段はない。
人類は強大な力に対して、他の強大な存在に助力を願うか嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。
その点、私は恵まれていた。
私は嵐が過ぎ去るのを待ちながら嵐の中を歩く事ができるのだ。
本来、脳力の詳細を不特定多数に公開することは愚策だが、私は恐れずに伝えたい。
私の脳力は対象となった人物、或いは物の存在を希薄にさせ、他の存在が脳力対象を認識しづらくなるといったものだ。
無論、姿形が消えているわけではないから何者かの視界に入ってしまえば映像として私を見た者の脳に私は映っているだろう。
けれど、認識できるかは別の話だ。
私の力はその認識力を著しく低下させる。
熱であろうと匂いであろうと私を認識する全ての情報を鈍化させ、私を認識できなくさせるのだ。
もし、この力が戦闘に使えたのなら私は世界の果てを目指さず血沸き肉躍る冒険譚の主役になれたかもしれない。
だが、実際は戦闘ではまるで役立たずだ。
此方が何か働きかけようとすると途端に脳力の効果が薄くなり見つけられてしまう。
その働きかけが殺意の類であるなら猶更効果は薄くなってしまう。
殺意を持って動いた時点で存在を勘づかれる。
途中まで気付かれないのならばどんなに頭の回転が悪い者でも私の脳力が暗殺に使えるということに気が付くだろう。
しかし、一撃目は成功してもそれ以降はなにもできない。
取り巻きが居ればすぐに引き殺されてしまうだろう。
私は鉄砲玉になるつもりは毛頭ない。
私の脳力でやれることは精々こそこそと盗みに入る程度。
そんなコソ泥行為もお宝が箱に入っていたり部屋に扉があったら終わりだ。
物理的干渉をしてしまうと尚の事、この脳力は効果が薄くなる。
ただ、誰にも知られずに道を進み続けることができる。
それだけの脳力だ。
しかし、こんなに探索に向いている脳力も中々ないだろう。
私はこの脳力を、疲労はするが数人の仲間を巻き込み発動させることができる。
そして、この長き旅路のために、私はあと一人の脳力を紹介しなければならない。
この旅路において最も重要な力、親友のペーター・バウリングが持つ素晴らしき力についてだ。
彼の許諾を得て此処に記す。
彼の脳力は、安全地帯をその場に作り出す力だ。
異空間を作りそこに人や物資を格納する。
彼の許しがなければ他者はその空間に入ることすらできない。
私が存在を消しながら進み、ペーターが休息できる安全な寝床を作り出す。
私とペーターの脳力はまさにこの壮大な旅路ために発現したものかもしれない。
…………正面から未踏破地域を進み王道のような冒険をする?
何を言っているんだ。この世で一番大切な物は自分の命だ。
正面だろうが裏口だろうが、正道だろうが卑怯だろうが、世界の果てを見てしまえば過程など、どうでも良い。
(ラインホルト・ファインズ 『世界旅行紀行 第三章より抜粋』)
第五十九話
枝分かれしたガラスの管がいくつも伸びた実験器具。
個体ごとに違った色の液体を摂取させられているマウスの入った幾つものケージ。
至る所で本が平積みされ、何かの記録を記しているであろう無数のメモ用紙。
十人居たら十人が口を揃えて何かしらの実験室だと断ずる室内の中央に一組の男女が居た。
彼らは手を繋ぎ、二人の中心に置かれた大粒の宝石に向かって手を伸ばしてる。
「さぁ、力を解放して」
白衣を着た女性の静かな一言で臨界まで力を貯めていた男が最後の一小節を口にした。
「『痺れ、焦がし、焼き尽くせ≪凝縮した脅威≫(ボール・ライトニング)』」
脳力が解放され、男の頭上に白色を放つ光球が生成された。
男の脳力は雷の生成及び操作。
雷は完璧に制御されており、僅かな放電すらなく完全な球体を維持している。
「『全ては私の思うが儘に≪計測・測定・操作・介入≫(シール・ハーモニー)』」
白衣の女性も男に続いて詠唱を完遂させた。
女性が球体を見つめ、手を軽く振るう。
「いつも通りに合わせて」
女性の言葉に返事もせずに男は呼吸を荒げながら光球を見つめた。
雷の光球が軟体のように形を変え、徐々に小さく変形していく。
男は小刻みに震えながらも光球を制御していた。
やがて小石ほどの大きさになった光球が宝石に吸い込まれ、眩い輝きが収まった。
「見事なもんだな……」
部屋の片隅で一連の作業を見学していた俺の口から勝手に称賛の言葉が溢れた。
耳の長い白衣の女性――ワニスは額の汗を拭い、軽く俺に向かって手を挙げると、精魂尽き果てた様子で膝をついている男に手を貸して立ち上がらせる。
「お疲れ様。約束のお金はいつも通り届けさせるわ。帰って休んで良いわよ……手助けは必要かしら?」
男は頭を抑え苦しそうではあるがワニスの提案を手で断り、ふらつきながらも部屋の外へと歩いていく。
「彼らは大丈夫なのか?」
「いつもの事よ。これはそれだけ負荷が掛かる作業だからね。さぁ、これでご注文の品は全部終わり。投資された分の約束の品は完成したわ」
ノルマが終わるといい気分ね、とワニスは付け足し、腕を上げ身体を伸ばしながら俺の座っている方へとやってくる。
彼女は無造作に大粒の宝石を4つ俺に差し出した。
4つの宝石を受け取り、宝石の内部に意識を傾け、込められた力を探る。
この宝石1つにつき1人が潰れている。
流石に攻撃系脳力者が限界まで捻り出した力は凄まじく、全ての宝石から結族や闇市で手に入れたどの宝石よりも強い力が感じられた。
この4つの宝石が狂信者の面倒事に巻き込まれてなおミルトリオンに訪れて良かったと思える品の一つになることは間違いないだろう。
俺は宝石を携行袋に仕舞うように黒孔へと放り込み、俺自身の脳力で生まれた安全な収納スペースへと格納した。
「満足していただけたようで嬉しいわ。あれだけの大きな投資金に見合うだけの物を用意した、という自負はありますが」
ワニスも潰れていった男達と同様に脳力を使用して疲労しているのか机にもたれ掛かる様に俺の近くの椅子に腰かけた。
そこは彼女の定位置のようで慣れた動きで座りこみ、何処からともなくデーモンの角と思しきを物体を取り出し頬ずりを始めた。
はぁ、と吐息を漏らしながら頬ずりをしている様は、学者という存在はやはりどこかいかれているのだろうと思わせるには十分な光景だ。
「あぁ、あの宝石はその自負に見合うだけの代物だ。こんな見返りがあるならこれからも是非付き合いを続けていきたいね」
俺は出されていたお茶菓子に手を付けながら率直な感想を伝えた。
「ふふ、嬉しい言葉ですね。研究にお金はいくらあっても困りませんから」
ワニスは口元に手を当て優しく笑っているが、彼女の手からはデーモンの角が離れない。
俺は今、ワニスから準備ができたとの知らせを受け、ミスカトニック大学の彼女の研究室を一人で訪れていた。
彼女はフラーラにミスカトニック大学での見学を捻じ込んで貰った際、デーモンの死体を何千体も持ってこいとのたまっていた研究員だ。
あの時は今後関わることもないかと思っていたが、イカれているわりに優秀な研究員のようで、大学内を見学させてもらった時に行っていた別の研究に心惹かれ、パトロンの一人になるに至った。
今回、俺が彼女から受け取った宝石は彼女の研究の一つ『各宝石に込められる脳力強度の限界について』で必然的に発生する副産物だ。
そもそも宝石や脳力との関係には、俺では理解できない高尚な法則があるようで、宝石の種類や大きさによって込められる力に限界値があるらしい。
強力な秘術として販売されているものは皮紙に記されたスクロールではなく宝石ばかりなのはそのためだ。
スクロールは原材料が安い代わりに強力な脳力を封入することはできず、宝石は希少で高価な反面、強力な脳力を封入することができるということらしい。
また、単に宝石と言ってもダイヤモンド、ルビーなど、宝石の種類や純度、産地や生成されてからの年数、宝石が生成された環境によって込められる力の限界値に差があるようでそれを数値化し、封入ミスを無くすというのが彼女の研究内容のようだ。
俺は知らなかったが粗悪な宝石だとスクロール以下の価値しかなく、そもそも強力な脳力は込められないらしい。
「一つ目の研究からこんな素晴らしい成果物をもらえるとなると、もう一つの研究についても勝手に期待が膨らむな」
「自慢じゃありませんが、あれだけ強力な脳力を封入できる脳力者はそうそういないですから……でもまぁ、こんなものは余技ですよ。本命の研究を行うための小遣い稼ぎみたいなものです」
ワニスは余技だと断ずるが、宝石に強力な脳力を込められる脳力を持っているということだけでもあらゆる場所で重宝されるだろう。
その上、脳力を宝石に封入できるかどうかを判別できるようにするという彼女の研究は宝石や脳力使用の無駄を減らすことに貢献する優れた研究であるのは間違いない。
「正直、私としてはお金も大事ですが、デーモンの死体を直接持ってきてくれた方が嬉しいんですけどね…………」
それにも関わらず彼女に対する出資者が少ないのは金になるからと同じ分野の研究を行っている同業者が多いという理由だけではなく彼女のこの異常なデーモンの執着のせいなのではなかろうか。
俺としては副産物が得られれば問題ないのでなんでもいいが。
「申し訳ないですが、少し今回の記録をつけさせて下さいね。もう一つの出資していただいた事については記録が終わり次第お伝えさせていただくので」
一通り角を愛でて満足したのか、ワニスはデーモンの角を脇に置き、ペンを持ってノートに何かを記していく。
角から何かしらのエネルギーを吸収したのか、ワニスの肌は明らかに実験終了直後よりも艶々としているように見える。
「……その記録は俺が覗いていても平気なやつか?」
「えぇ、どうぞ。単純な記録ですし。協力者の脳力自体も有名ですし公開の許諾も得ているので見て頂いても構いませんよ」
俺は彼女の言葉に礼を言い、お茶菓子を摘まみながらワニスが記す内容を漫然と覗き込む。
座り位置的に逆さだが綺麗な文字のお陰で問題なく読むことができた。
ノートには宝石の種類、産地、硬度、脳力を込める脳力者の氏名、脳力についての詳細情報が記されていた。
また、脳力の強さを数値として記入している様子が見て取れた。
「脳力の強さを数値化なんて芸当ができるんだな……」
「こういう計測に特化した知り合いの研究者が居ますので、彼と一緒に計測器具を作りました…………気になるようでしたらスバル様の脳力も計測しましょうか?」
「いや、遠慮しておく。俺は戦闘向けの脳力じゃないからな」
数値の大きさがそのまま戦いでの強さに直結するわけじゃないだろうが、戦闘向け脳力者の数値と比べてあまりに小さいとなんとなく自尊心が傷つく。
変に調べなくても良いだろう。
「それより……その単位は知らない記号だけど、それなんて読むんだ?」
「グエンです。その知り合いの名前がグエンなので……数値として脳力の強さを計測できる人はそこそこ人数がいますが、脳力者によって同じ脳力を計測しても出てくる数字が違うので人名を単位にするのがこの業界の暗黙のルールみたいなものですね」
ワニスはペンを動かす手を止めることなく更に続けた。
「この脳力の強さの数値化は冒険者の方には結構活用されているんですよ」
虚空を見つめ、自身の今までの生活を思い返す。
冒険者向けの店でそんな数字が出てきたことはなく、全く心当たりがない。
脳力の数値化…………いや、秘術の数値化か。
俺の様子に気がついたのか、ワニスはペンを動かしながら顔をあげて笑っていた。
器用な人だ。
「結構誤解してる方もいますが秘術体系として売り出されてる秘術発動体は商品としての名称ですからね」
秘術発動体の歴史は古い。
多種多様な脳力が人類に発現する中、人類はデーモンやクリーチャー、迫りくる脅威に対して個々の力で対処する事に限界を感じていた。
雷に対して耐性の無い敵が居ても、その場いる戦闘員が雷の脳力を持っている確率は低い。
個人の資質に由来する千差万別の脳力が存在する中でどうすれば敵に対して適切な力を振るえるのか、そのひとつの答えが秘術体系と銘打たれた脳力の保管と解放技術だ。
脳力を誰でも使えるような形に加工して運用する。
何時のことだか、リナは外装骨格や銃器の類を指して科学は誰でも使える武器だと言っていた。
環境は違えども武器に求められる要件が同じ結論になっているのは人類が求める力はそういう方向性なのだろう。
「脳力も秘術も便宜上の呼び方に過ぎません。力を行使する本人が本人由来の力で起動したものを脳力、秘術発動体に込められた力を解放することは秘術。そう定義しているだけですからね。力の種類自体に差は無く、秘術は人類が定義した共通に規格にそって作成されたかというだけです」
ワニスは説明好きなのか、或いは今までの出資者にも同じ話をしているのか、彼女の言葉に淀みはなく手を動かしながらも話は止まらない。
「解放するための鍵、力ある言葉を定めて、脳力としての力の大きさを数値化し、誰が使っても同じ効果を発揮するように偉い人達が決めた一定の規格で加工、共通化された力、それが秘術体系です……脳力の希少性や脳力値のおかげで値段をつけるのも楽ですし、効率的な運用もできるので良いことづくめですね……」
彼女はこれまで話をしてきた中で初めて言葉を選ぶように一瞬間を置いた。
「…………なので厳密に言えば、私の作った宝石は秘術体系から外れてると言えるかもしれませんね。あ、忘れてましたけど、先程の宝石に込められた力の詳細や力ある言葉は後でリストにして渡すので確認してください…………もし、私の作品が気に入って他にも秘術発動体が欲しくなったのなら要望があれば次回からお好みの秘術を作ることもできますよ」
挑発的な笑みと共に、最後に宣伝をぶち込まれた。
あまり多くのパトロンがつかない研究員だからなのか、俺の金払いが良かったのか、もっと金を出してもらうぞという気概を感じる。
どの程度自由に作れるのかはわからないが自分の望んだオリジナル秘術を作れるのは魅力的だ。
秘術は痒い所に手が届かない事が間々ある。
それが解消できるというのなら金を払うには十分だ。
…………しかし、彼女の言葉『同じ効果を発揮するように偉い人達が決めた一定の規格で加工されたものが秘術体系だ』という言葉が真実なら、同じ≪火球≫なんかでも威力と値段を変えて売っている闇市が結族から煙たがられる理由もよくわかる。
それに、ココがミルトリオンで見学した秘術発動体として完成された製品の威力を上昇させる、『秘術の威力加工について』の研究は想像以上に有用なんじゃなかろうか。
今回作ってもらった宝石の威力を更に高めれば…………いや、机上の空論か。
技術として確立してないから研究しているわけなんだし。
それであれば作れる人間にもっと強力なものを強請ったほうが現実的だ。
「……だったら質問なんだが、今回作ってもらった宝石以上の力を発揮するモノを作る事はできるのか?」




