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虹彩都市アイリス  作者: とんさき
第四章 地底の篝火
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地下世界44

脇道にはゴミや何かの空箱で溢れかえり、何人ものジャンキーが涎を垂らしながら倒れていた。

妖艶な気配を放つ娼婦はそれらに頓着することはなくしなを作った。


「お兄さん、着いてきて。天国へと昇らせてあげるわ」


客だと勘違いした若いエルフの娼婦が吐息のように淡い言葉に色気を乗せて囁いた。

建物のせいで明かりも届かない暗い路地に娼婦の持つランタンの炎が頼りなく揺らめいた。


彼女を無視してすぐさま準備に取り掛かる。

手甲の宝石へと意識を傾け秘術を起動する。


「≪軽量化≫(ライトネス)」


秘術は真っ直ぐに露出の多い衣服を纏う娼婦へと向かった。


「な、なにすんのよ!!」


突然の行為に娼婦が激高する。


「巻き込まれたくなかったら大人しくしとけ」


腰の小袋から取り出した金貨数枚を彼女に握らせ、そのままお姫様抱っこで胸に抱える。

娼婦はまるで羽のように軽くふわりと持ち上がった。

≪軽量化≫は物体を軽くする秘術だ。

脳力で収納できないような大きな買い物に備えて手甲に嵌めていたが、こんなところで役に立つとは。


「あら、もしかして貴方、こういう強引な設定が好み? いいわ、払いの良い客は好きよ。どんなシチュエーションもしてあげる」

「≪軟着地≫(ソフト・ランディング)」


娼婦の勘違いに秘術で答えた。


「……舌を噛まないように気を付けな」


唇を寄せ、俺の首筋にもたれかかろうとする彼女に一言。

そして、建物の高さを超えるよう、思い切り上へと彼女を放り投げた。


「きゃああああああああ」


存外に可愛い悲鳴を上げた娼婦が宙へと吸い込まれていく。


強引だが、これで彼女を戦闘で巻き込むことはないだろう。


地面に転がっているジャンキーは仕方ない。元々、半分死人のようなもんだ。

巻き込まれてしまったらその時はその時だ。


時間がない。

追跡者はすでに自身の存在を隠すことなく此方へと向かってきてる。


最後に腰のククリを抜き、物陰に隠れ、闇へと溶けこむよう自身の気配を薄れさせた。




第四十四話




「おい、居ないぞ」


路地に飛び込んできたのは4人の獣人。

あまり大きくはない獣耳、首筋に生えた鬣。

壊滅したルクルドにもいなかった類の獣人だ。

ここらに根差した獣人なのだろう。

顔を隠しているせいで性別まではわからない。


彼ら4人は暗がりを互いの死角を補うような動きで進む。

動作は洗練されている。集団での戦いに精通しているようだ。

暗がりでも目立つ装備の系統から隠密行動というよりは正面からの戦いを想定しているように思える。


「いや、居る。酷い臭いで細かくは特定はできてないが近いぞ」


鼻をひくつかせながら先頭の獣人が答えた。


辛うじて居場所こそ知られていないが時間の問題だ。

彼らは慎重に奥へと、此方へと向かってくる。


俺の隠れている物陰までの距離はいくらもない。

音もなく『加速のポーション』取り出し、嚥下する。


同時に彼らの後方、路地の入口からガラスの砕ける音がした。


「なんだッ!?」


嗅覚で警戒を怠らない獣人を除き、全員の意識がそちらに向かう。

彼らの視線の先に転がっているのは何処にでもポーションの空瓶の破片。


注意が逸れたのに合わせて俺は物陰からスローイングナイフを数本、先頭の獣人へと投げつつ躍り出た。

加速された世界でナイフと並走し、最初の目標へと迫る。


「ーーッ!!」


路地の奥へと意識を向けていた獣人は一瞬だけ目を見開き、すぐに身構えた。


彼らの後ろで落下した空瓶は俺の仕業だ。

詠唱せずとも脳力で物陰から瓶を落とす程度わけはない。

脳力の発動も一瞬で何が起きたのかすら悟られていないだろう。


真直ぐに先頭の獣人めがけて飛んでいく4本のスローイングナイフ。

対応の遅れた獣人へと当たるかと思われた寸前、見えない何かに弾かれナイフが明後日の方向へと飛んで行った。


≪不可視の緊急盾≫。

不可視の力場は安価なくせに相変わらず良い仕事をしている。


だが、その程度の対応は織り込み済みだ。

同じ秘術は複数かけてはおけない、これで1つ護りを剥がした。

俺の速度に対応できない彼らを尻目に防御の秘術が起動してしまった獣人の側面へと移動

する。


敵も身体がついてこないだけで中々の動体視力を有しているのか、視線だけは俺の速度に対応していた。

憎々し気な表情で俺を睨みつけている。

無視して、まるでスローモーションのように動くそいつへと最短距離でククリを突き出した。


ガキン、と硬質な音が路地に響く。


俺のククリを受け止めたのは氷の盾。


≪不可視の緊急盾≫と似たような俺の知らない新手の秘術かそれともこいつの脳力なのか。


攻撃を防ぎ得意そうな眼をしている獣人を捨て置き、すぐに思考を切り替える。

この表情からしてまだ護りを備えている可能性が高い。

ククリを引き戻し、彼らが死角を補うためにとっている円陣形の中心へと即座に向かう。


拡張された知覚が、4対8つの瞳が俺の動きを目で捉えていることを教えてくれた。

すかさず宝石に意識を傾け、呪文を唱える。


「≪光爆≫(サン・ライト)」


術者に影響しない光の奔流が彼らの視界に炸裂した。

しかし、彼らもさるもので視界が奪われたのにも関わらず、3人は動きに淀みがなく次につながる動作をしようとしている。

1人は氷の盾を操り何かを試み、また1人は懐からポーションの瓶を取り出し、また1人は何らかの秘術を発動させようとしている。

最後の1人は光に怯んだのか動作が1テンポほど遅い。


俺は鈍い動きを見せた獣人へと狙いを定めた。


「≪風の道≫(ウインド・トンネル)」


発動させた秘術が弾かれたスローイングナイフを包みこみ軌道が急激に修正され、動作の遅い獣人へと射出された。


同時に空いている手で背中に隠していたリボルバーを引き抜き、身体を回転させながら全員に1発ずつお見舞いする。


放たれた銃弾は当然のように空中で速度を落とした。

≪凶弾の遅延≫(ディレイ・オブ・バレット)。

効果時間中に弾丸による攻撃は意味を成さない。


これで全員から銃弾への守りを奪い取った。

未知の秘術による護りがあるかもしれないが、そこまで気にしすぎていたら身動きが取れなくなる。

役割を果たしたリボルバーを彼らに見えないよう脳力で黒孔にしまいこみ、追加で今までとは形状の違うスローイングナイフを革のサスペンダーから抜き取る。


内包された秘術に意識を傾けつつ、1本ずつ対応に隙の無い3人の獣人へと投擲した。


「≪加速する矢≫(バースト・ブリット)」


飛び道具全般に作用するその秘術がナイフから解き放たれた。

投げられたナイフの後方に小さな爆発音が響き、常ならぬ加速で三人へと迫る。


俺は結果を見届けずに動きの鈍い獣人へと急ぐ。


犬耳に伝わるガラスの砕ける音から判断して、ポーションの使用は防げた。

秘術も回避に専念させることで使用を防げているだろう。

氷の盾の奴はナイフを防ぐために盾を使ったはずだ。


僅かだが時間は稼げた。


先程の≪風の道≫で獣人へと殺到したナイフは当然の如く≪不可視の緊急盾≫で阻まれていた。

迫る俺を見て獣人は刹那の逡巡の後、慌てて手を獣化させようとしている。


動きの練度、速度自体は悪くない、だが思考の反射が遅い。

その遅さは戦いにおいて何よりも致命的だ。


俺はそのまま流れるようにそいつの胸を一突きに貫いた。

路地に血の臭いが溢れる。


ククリから伝わる確かな感触と膝から崩れ落ちる獣人。

そして、唐突に背筋へと走る嫌な予感。


まずは一人という達成感と共に感じた不吉な気配に対し、俺は即決した。


「≪氷の槍雨≫」


野生の直観に従い、残る三人へ無数の氷の槍を仕向けて距離をとろうと試みる。

けれど、想定に反して倒れた獣人の身体からククリが抜けない。


舌打ちをしながら貫いた獣人を見れば、血を口から溢れるように吐き出しながら此方を向いて嗤っている。


最後まで足掻くか。

ククリを諦め、即座に跳び退き、3人から距離をとった。

ちょうど、最初に隠れていた場所の近くだ。


着地をして、三人を視界に収め、一度の瞬き。



瞬間、眼前に広がる世界の様相が一変した。



小さな氷の盾を出していた獣人は7つの大きな花弁のような盾をそれぞれ操り、秘術を使用しようとしていた獣人は炎を纏う2本の触腕を生やしている。

当然の如く、俺が撃ちだした氷の槍は奴らの氷の盾と炎の腕に防がれている。


ポーションを使おうとしていた獣人は見た目に変化がなく脳力を使用しているように見えないが、実際のところはどうかわからない。

そいつも氷の槍を地面に転がっていたジャンキーを盾にしてきっちり防いでいる。


一瞬前からは予想できないあり得ざる光景。

瞬時に展開された大規模な脳力。


≪時間操作・詠唱≫(オーバークロック・ブレインスペル)だ。


わかってはいたが入手方法も限られる高級品を使ってくるなどよくあるただの強盗ではありえない。

酒場の噂程度の信憑性しかなかったはずの物をぽんぽん使わないでほしいものだ。


さらに、よくよく観察してみれば彼らの手の爪の鋭さが増している。

秘術が解けると同時に獣化し始めたようだ。


脳力に獣化。

獣人に出せる全力で俺をどうにかするつもりらしい。


どう対処すべきか、脳をフル稼働させて思考を巡らせる。



……脳力の使用? それとも獣化? 



いや、ダメだ。思い出せ、黒龍と白龍の戦いを。

こんなところで奥の手を使わなければ勝ちえないのならばこの先に進もうとしている道を歩み切ることなど到底できやしない。

それに、誰かに見られて監視されている可能性の高いこの状況で手管を晒すわけにはいかない。


この場で大規模な脳力使用や獣化を使わずに無事に勝利を収める道は確かに細い。

だが、今の俺にならその細い道だって必ず渡り切れるはずだ。



加速の効果時間を脳内でしっかりとカウントして残りの行動を決定した。

手甲の宝石に意識を傾け、定められた力ある言葉を詠唱する。


「≪雷光の槌≫(トール・ハンマー)!!」


名に恥じぬ紫電で紡がれた巨大な槌を彼らに向かって振り下ろした。

鈍い衝撃。雷光が役目を果たし、霧散した。


光が収まると氷の花弁が雷光を受け止めていた。

三人の獣人は完全に獣化を遂げ、牙を剥き出しにしている。

彼らは無傷ではあるが、槌の威力に氷の花弁は数枚砕け散り、残りは3枚。


雷全てを防げたわけではないようで秘術の余波が路地に流れ、ジャンキーが2人ほど焦げ尽きている。

トリップしていた最後のジャンキーがようやく事態に気が付き、路地の奥へと力なく逃げて行いこうと立ち上がった。


獣人達は中毒者のことなど気にも留めず皆一様に瞳を復讐心で燃やし、闘志でみなぎらせている。

攻撃が防がれたせいで獣化の邪魔ができず、彼らの変身は完了してしまった。


「ウォオオオオオオオオンッ!!」


炎の触腕を生やした獣人は、仲間が雷光を防げると信じ切っていたのかと秘術が消えるよりも早く俺に向かって飛び出していた。

雄叫びを上げ、自ら振るいあげた鋭い鉤爪に呼応するかのように炎の触腕も熱気をまき散らし俺へと迫る。


厄介なことに獣化のせいで彼の速度は数段上がっている。

膨大な熱量に巻き添えを喰らった最後のジャンキーが悲鳴を上げながら地面をのたうち回った。


「≪加速の付与≫(クイック)」

「≪解術≫(ディス・アート)ッ!」


炎の獣人の後方、脳力を見せていない獣人からサポートの秘術が飛んでくる。

詠唱された秘術は加速のポーションと似たような効果の呪文だ。

速度の優位性を崩されないよう慌てて横槍を入れる。


直進していた補助秘術は俺の放った光線により霧散した。


「≪呪文抵抗≫(スペル・レジスト)」


続けて秘術を詠唱し、熱へと備えを獲得する。

これで熱の余波で身体が火傷することはない。

依然として質量をもった炎の塊は脅威ではあるが、加速中ならばまだ俺の方が動きは素早い。

回避は容易い。


炎の獣人の突進を避け、後方に控えている獣人目掛けて突き進む。


「チッ!!」


すれ違いざまに舌打ちが耳に入った。

見たところ、今対峙しているパーティは炎の獣人が攻撃、氷の盾の獣人が攻撃と守備を担うオールラウンダー、最奥の獣人が全体のサポートなのだろう。


まずは先程も速度補正の秘術を撃ってきた厄介なサポートから潰す。

待ち伏せで得られたアドバンテージがひっくり返されてはたまらない。


「≪みかわしの霧≫(ケン・ブルート)」


視覚情報を錯乱させる霧を発動させ、俺の身体へと纏わりつかせる。

どこまで効果があるかは不明だが使わないでいるよりずっといい。


炎の獣人に続き、氷の盾を展開する獣人の横もすり抜け、サポートの役割を果たしている獣人へとあと数歩の距離。


「させるかっ!!」


雄叫びにも聞こえる獣じみた咆哮をあげ、獣人が氷の盾を操作した。

俺の進路へと氷の花弁が立ちふさがる。

だが、罅の入った氷の盾三枚程度では俺は止められない。


「≪霧の武器≫( ミスト・ウェポン)」


無手だった両手に淡い霧の剣が現出した。

ダガー程度の刃渡りだ。

左右の手に柄を握りしめる確かな感触が伝わる。

感触はあるが重さはない。


重さがない分、断ち切り難くはあるが、最低限の切れ味は保障されている。


速度を重視したい今の状況にはうってつけの武器でもある。


「≪雷の武器≫」


威力不足を補うべく、新たな秘術を詠唱する。手甲の宝石が力を開放し砕けた。

加速は単純な移動速度の上昇だけではなく身体全体の速度、つまり詠唱速度までも加速させてくれる。

だから絶対に、敵にその恩恵を与えるわけにはいかない。


サポート役を狙うのは必定だ。


霧の武器に稲妻が帯電し、バチバチと音を立てた。

特に損傷の酷い氷の盾に狙いを定め霧の武器を振い罅が入った部分にを乱暴になぞる。

虚ろなダガーの軌跡に薄い煙が尾を引いた。


大きな抵抗もなく1枚の氷の盾が砕け散り、身体を通す隙間が生まれる。

飛び込むように隙間から侵入し、サポート役の獣人に肉薄した。


勢いに任せて再び霧のダガーを振るう。


残念なことに敵の反応が辛うじて間に合い、鋭い爪に斬撃が阻まれた。

そのまま獣人に爪が弾かれ、ガードに使った爪が上に跳ね上がる。


想定よりも敵の腕力が弱い。

速度を重視した軽い一撃だというのに、獣化しているはずの正面の敵は受け止めきれていない。


何故だ。


「やめろっ!!」


一瞬の思考の間に炎の獣人が追いつき、炎の触腕を振るい、迫りくるのを感じた。


目の前にはがら空きの腹と苦汁をなめたような渋い表情の獣人。

筋肉の動きから距離をとろうとしているのが分かった。

後方にいるだけのことはあり、肉弾戦はあまり得意ではないのかもしれない。


このまま攻めたいが、正面の敵を殺しきれる確証はない。

今、避けなければ確実に炎をくらう。

流石の≪呪文抵抗≫も物理的威力を伴った炎の一撃の威力までは防げない。

追撃は不可能。


身体を捻り、無理な体勢で横に飛び退く。

肌を熱気が撫でた。


一度距離をとろうと更に足に力を入れた時、残された2枚の氷の盾が俺の動線を塞ぐべく動いているのを知覚した。


突破か留まるかの二択。

どちらも可能。

けれど、数瞬前に氷の盾を目の前で破壊して見せたというのに、果たして刺客として送り込まれてきたであろう敵が同じ手で俺の動きを制限しようとするだろうか。


いや、ありえない。

脚の力のベクトルを無理矢理に変更してその場に居座る。


同時に俺が向かおうとしていた方向に氷の槍が飛来した。

おそらくは俺が先程使用した≪氷の槍雨≫に類する力。


選択は正しかった。

二度目の舌打ちが耳に届く。


舌打ちをしたいのはこちらの方だ。


炎を纏った獣人が間髪入れずに向かってくる。

サポート役の獣人が距離をとり、宝石を砕いた。


「≪氷盾の護り≫(シールド・オブ・アイス)」


氷の盾がそいつの周りに3枚程出現する。

市販には出回っていないであろう秘術。

この街に特有のものというよりはおそらくはオリジナルの秘術。


元となっているのは砕けた氷の盾を操っている獣人の脳力だろう。

敵勢力は脳力をそのまま秘術発動媒体に封入できる技師をも擁しているようだ。


氷の盾が出現するのと同時に炎の獣人も自慢の触腕を大きく広げ俺の周囲にリング状の炎を生み出した。

せめてもの幸いは脳力で出した氷の盾はすぐには修復が利かないのか新たに出てこないことだ。


思考する間に炎のリングは俺と術者を囲い、回転し始めた。

俺の上には氷の盾が周回しだしている。


サポート役の獣人と氷の盾の獣人は準備を整え終えたのかスローイングナイフなどの飛び道具を構え、炎の獣人はリングに変化した炎とは別の触腕を新たに現出させた。


敵は警戒こそ緩めないものの、僅かに笑みをこぼした。


どうやらこれは彼らお得意の布陣のようだ。

直接戦闘を近接が得意な炎の獣人が担い、炎と氷の盾、そして秘術でこのフィールドから脱出をさせずに連携して対象を殺しきる。

既に殺害した獣人の役割も気にあるところだが、大方、そんなところだろう。


「――――――ッ!!」


一際大きな獣の雄叫びと共に炎の獣人の触腕と拳による攻撃が開始された。

秘術で軽減された熱気を肌に浴び、残り二人の獣人に気を配りながら最小限の動きで回避する。


氷の盾避ける。

炎の触腕を避ける。

スローイングナイフを避ける。

≪雷撃≫を避ける。秘術による攻撃を避ける。

避ける、避ける、避ける。


俺は三人の中心で感覚を研ぎ澄まし、攻撃を避け続ける。

本来は氷の盾を秘術の代用品ではなく完全な状態での脳力で完結させている布陣なのだろう、攻撃間隔に一瞬の隙間こそ見受けられるが、この布陣から脱出できるほどの隙間ではない。


速度を生かした不意打ちの効果は完全に無くなり、3人が互いを補うように見事な連携を見せ始めた。

必ず誰かが死角に潜り込み、さらに俺がこの円陣の中心から出れないように周囲にも攻撃の用意があると秘術の力をちらつかせている。


時折飛んでいる身体能力を向上させる秘術だけは≪解術≫を打ち込み無効化しているが、秘術手甲に嵌っている宝石の残り数、特に≪解術≫の数が心もとない。

戦闘に役立つ秘術はかなり目減りしてしまったが、この瞬間に携行袋から補充させてくれるほど甘い敵ではない。


攻勢にでようとしたり脱出を試みるたびにスローイングナイフが、秘術が湯水のように飛んできて気勢を制されるのがなんとも歯がゆい。


速度の勝っている現状では彼らの攻撃は俺には当たらないが、それを理解してるためか、三人の獣人は大胆な攻めを行わず加速の接続時間切れを狙い確実に時間を潰すような戦い方だ。


戦闘開始から手甲の宝石はいくつも砕いている。

秘術の残りも少なく、加速のポーションの接続時間もあと10秒もない。


完全に敵は加速の時間切れを狙っている。

消極的で堅実な攻め方。正攻法と言っても良い。

依頼だか任務だか知らないが最も確率高く勝利する手段だ。



だが、それではだめだ。

俺には届かない。



虎の子の宝石に意識を傾ける。

今までは副作用が強すぎて使えなかった同系統秘術の重ね掛け運用。


けれど、黒龍のせいで強化された俺の五感ならば可能だ。



「≪瞬間神経加速≫(ナーヴ・イントラプト)!!」



全身の細部に至るまで電撃が走ったかのような衝撃。

瞬間、視界が切り替わる。

刹那の世界は斬り刻まれ、獣人三人の瞬きすらスローモーションのようにゆっくりと流れた。


異なる種類の加速の重ね掛け。

本来、加速の秘術は身体に負担がかかる。

特に脳や三半規管への負担は著しい。


揺らぐ視界を神経を研ぎますことで正常へと引き戻し、加速の世界からさらに一段階の上がった世界で重たい水をかき分けるように汚れた床の上を前へと進む。


過去に試した際には正体を保つことすら難しかった重ね掛け、今は龍の力を身体に浴びて強制的に引き上げられた知覚が俺に正気を与えてくれる。


それでも想像以上に身体への負担は大きい。

筋肉への負荷も想定以上だ。

歩みを進める度に足が軋みを上げる。


それもそのはず、ゆったりと動いているように脳が誤認しているが、実際は恐ろしい速度のはずだ。


重たい身体を引き摺り、一番近くにいた炎の獣人の正面に立つ。

手に握った紫電を纏う霧の武器を目の前の心臓と顔面に捻じ込む。

炎の獣人は苦悶の表情すら浮かべることなく今起きている危機に気が付かないまま瞬きをして瞼を牛歩のように開こうとしている。


そいつが自身の負傷に気が付くまで待ってはいられない。

この秘術は加速のポーションよりも速度上昇が大きい分、効果時間が短い。

悠長に過ごしてはいられない。


展開された炎のリングを誰にも邪魔されることなく潜り抜け、氷の盾を操る獣人の目の前へ移動。

霧の武器を構える。


その時、目の前の獣人と視線が合った。

彼はどうやら本当にかなり優れた動体視力を持っていたようだ。

遅い世界で少しずつ、そいつの表情が恐怖に変わっていく。


俺は迷わず両手で武器を突き刺した。

顔面と胸。どちらも致命傷。

停滞した速度では血を流すことすらなく傷がつく。


身体を切り返し、最後の一人へ最短経路で距離を詰める。

こいつは拘束だ。情報を仕入れたい。

サポート役ならば戦闘脳力持ちよりも捕縛しやすいはずだ。


獣人に迫り、機動力を奪うべくダガー両足へと向ける。

霧の刃が獣人の足に吸い込まれていく。



「ーーーーーーッ!!」



驚きで目を見開いた。


突如、目の前の敵が消えた。

刃が届く寸前に。

行きどころを失った武器が空を切る。

後に残されたのはなんらかの秘術の痕跡のみ。


困惑を意識の外に追いやり、慌てて周囲を見回す。


大した苦労もなく目的の人物が目に留まった。

斬りつけようとした場所から10メートルほど離れた場所、路地裏の奥の方にそいつは立っていた。

先程斬りつけようとした時と同じ体制で。

そいつの動きは相変わらず遅いまま。


何が起きた。

いや、詮索は後だ。


迅速に動かねば加速のポーション、≪瞬間神経加速≫の効果時間が切れてしまう。

理屈は分からないが追撃するより他に道はない。

幾許もない加速の時間。足に力を込めてダガーを構えて地面を蹴り抜く。


半分ほど進んだところで加速の恩恵が途絶えた


殺した二人の獣人から血飛沫が上がる。

標的の獣人が此方に一瞬だけ自身の建っている場所が変わったことに動揺しながら向き直り何かに意識を集中し始めた。


秘術の気配だ。


間に合うか。

いや、間に合わせる。


「きゃあああああああっ!!」


地を蹴る足にさらに力を入れようとした直前、悲鳴が響いた。

上空から。


聞き覚えのある声に瞬時に状況を理解する。


エルフの娼婦にかけた≪軟着地≫が解けてしまったらしい。

彼女は≪軟着地≫を使ったことがないのか、落下速度をコントロールできることを知らなかったようで自分で動きを調整することなくただ、漫然と一番遅い速度で停滞しながら降りてきていただけだったらしい。


それでは到底、地面にはたどり着けない。

路地裏の隙間から宙を見上げれば、顔を覆いながら落ちてくるエルフの女性。


内心このまま見捨てたかったが、そういうわけにもいかない。

シティ・ガードに見張られている可能性があるのだ。

勝手に巻き込まれた中毒者はともかく、罪なき女性を俺のせいで殺すわけにはいかない。


速度を殺し、急停止。勢いを利用してスローイングナイフなどを投げつける。


「≪風の道≫」


正面からの投擲に、軌道を変化させたナイフも獣人は余裕をもって躱しきった。

目的の獣人までは約5メートルの距離。

これが通じなかったのからば仕方ない。


宙に跳びあがるため、建物の壁の足場を探しているとそいつの姿が掻き消えた。

透明化や視覚を誤魔化す類の術ではない。

そいつの気配すら消失している。


転移だ。どう考えてもシティ・ガードの本拠地で見せられた映像の秘術と類似している。

やはりこの襲撃はあの件と関係しているようだ。


術の発動タイミングからしてこのまま直進してても間に合わなかった。

此処で襲撃者を手中に収めたかったが仕方がない。

チャンスはすぐにやってくる。


溜息を吐きながら地を、壁を蹴り、宙に跳んで上から落ちてくるエルフを柔らかく受け止める。

≪軽量化≫が掛かったままのお陰で大した衝撃もない。


揺らさないよう着地して顔を覆ったままの女性に声を掛ける。


「おい、大丈夫か?」


エルフの娼婦は放心している。

抱えていた彼女を地面に降ろす。顔を覆っていた手は力なく下げられた。

視点が定まっていない。

よほど怖かったらしい。


彼女の顔の前で軽く手を叩いてみる。

音で正気を取り戻したのか、娼婦の目の焦点が徐々に定まり俺を見つめた。

それからゆったりと周囲を見回し、深呼吸をした。


「………………」


顔面が潰れた死体や焼け焦げた中毒者の死体を見て騒がないあたり、血には慣れているようだ。

こんな場所で客引きをしているせいだろうか。


「えぇ、大丈夫よ。ちょっと高いところが苦手なだけ」


女性はなんでもないと、言うように両手を上げた。

最初の接触時と違い、彼女の所作からは香り立つ色香は感じられない。

どこにでもいる普通の女性と話しているかのようだ。


技術一つであの雰囲気を作り出せるのは凄まじい。


「すまない、ちょっとばかり厄介な連中に目を付けられているみたいでね。巻き込まないためには上しかなくてね」

「……全く私も運がないわね。へんな人をこの辺じゃ見ない耳だからって誘うんじゃなかったわ…………それにしても……酷いあり様」


娼婦に釣られて路地を見回す。

肉の焦げた臭いに、血の臭い。

いくつもの死体が転がっている。


死体に歩み寄り、突き刺さったままのククリや殺した襲撃者の持つ布袋や装備を簡単に取れる範囲で回収する。

鎧なども価値はありそうだが、生憎と悠長に死体からはぎ取っている時間はない。


分かってはいたが今回の事で先手を取る事の重要性を再認識した。

接近に気が付かず準備もできず襲われていれば今、転がっていたのはおそらく俺だったのだろう。


「さて、このまま楽しくお喋りと行きたい所だけどそういうわけにもいかない、俺はもう行かなきゃならないんだ。もうすぐシティ・ガードがくるなんだが迷惑ついでに一つ頼み事をお願いしても良いか?」


娼婦は調子を取り戻してきたのか、可愛らしく顎に手をあて少し考えてからその手を此方に差し出した。


腰の布袋から金貨を取り出し、彼女の手に数枚落とす。


「ありがとう犬耳のお兄さん。さっきみたいな上空プレイじゃなければ何でも言うことを聞いてあげるわ」


金貨を口元に据えて娼婦は囁くように言った。


「面倒かもしれないけどシティ・ガードがくるまで此処で待っててくれ。そんでシティ・ガードが来たらロストヴァっていう人物にこう言うよう伝えてくれ。急いでるからこの場から離れるが、事が済んだら会いに行くと。それだけ言えば納得してくれるはずだ」

「えぇ、わかったわ」

「じゃあ、俺はすぐに行く。後は頼んだ」


女性の返事を聞き、すぐに告げる。

ひらひらと娼婦に手を振られながら見送られ、俺は血まみれの路地裏を後にした。


足早に大通りを歩きながら俺は黒孔から骨の欠片を取り出した。

糸の括りつけられたそれを目線の位置まで持ち上げる。

骨はカタカタと震え、くるくると回り、やがて一点を指し示した。


賭けだったが上手くいったらしい。

秘術でココに≪伝言≫を送り、俺は急いで街の暗がりへと溶け込んだ。


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