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虹彩都市アイリス  作者: とんさき
第四章 地底の篝火
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地下世界38-1

その場所には無数の蟲が殺到していた。

サイズは人の一般的な成人の手のひらほど。

長い触覚を不気味に動かし、細い六本の脚と滑空しかできない退化した羽を蠢かせ、彼らは地を這っていた。


コックローチの群体だ。

そこらじゅうに犇めき、その数は計りきれない。


「おい! フラーラまだなのか!? 君も手伝ってくれ!!」

「無茶言わないでくださいっ! この繊細な道具は途中で止めたら壊れちゃうんですっ!!」


蟲の軍勢に囲まれ、怒鳴り合う二人の男女が奮闘していた。

犬耳を生やしふさふさの毛を蓄えた尻尾を持つ男は、少しだけ開けた洞窟内を縦横無尽に動き回り、中央で大きな道具を操る小柄な女性を守っている。


「くそ! 新しい道具はこれだからダメなんだ! 叩いてもどうになりゃしない!」

「文句を言う暇があったら集中してください! 抜かれてます!」


獣人が太い爪を一閃。男は緑の血を浴び六つに分解された蟲の死骸が転がった。

束の間、転がった死骸の上に新たな蟲が現れる。


彼らの居る場所には通路が四つ。前後左右に道が交差する洞窟の通路だ。

守るに辛く、攻めるにも辛い最低の立地。


獣人の視界の隅にぷぎぷぎと鳴き声を上げながらご機嫌に蟲の死骸を喰らうポニャディングが映った。

罠を見破るためと連れてきた数匹が戦場であるということを気にもせず右に左に好き勝手に動いている。

戦場とはかけ離れたご機嫌な様子に獣人は言葉に表せない苛立ちを感じた。


その時、ポニャディングの一匹が通路を煌々と照らす紅い壁に全身で突っ込んだ。

≪炎の壁≫(ファイア・ウォール)だ。

獣人と小柄の女性が使用した≪炎の壁≫は膨大な熱量をまき散らし、3メートル程の通路二つを炎で塞いでいる。


知能の低いコックローチは通路に立ちふさがる炎の壁に無謀な突撃を繰り返しているのか、場にはそぐわない揚げ物のような香ばしい匂いと炭化した悪臭が漂っていた。


火力のせいか壁を越えてくる蟲はなく、皆一様に死骸が消失している。

ポニャディングは熱さを喜んでいるのか炎の壁を行ったり来たりと鼻歌のような鳴き声まで上げ始めた。


「開発者に一時停止でもつけるように言ってくれ!」

「ついでに蟲の嫌がる臭いでも出すような機能もつけさせますよ!」


獣人は怒鳴りながらも何かに意識を割きつつ爪を翻した。

同時に彼の周囲で多数の剣が躍った。

彼の意志の元、17本もの剣が空間を忙しく動き回り、低俗な蟲を突き刺し二つに分割していく。


しかし、コックローチは自分が分割されていることを理解せずに別れた頭部と胴体がそれぞれ動き続けた。


上半身は執拗に二人を目指し、下半身はでたらめに動き回る。

総じて蟲は生命力が強い。

頭部を失ったコックローチの死因は餓死だというのだから笑えない。

丁寧に殺さないと蟲は何時までも活動をやめないのだ。


「これだから知能の低い生物の相手は嫌なんだ!」


獣人の心底嫌っているという叫びも無数のコックローチが奏でる不快なぎちぎちという音に虚しく吸い込まれた。


コックローチは二つの燃え盛る≪炎の壁≫に飛び込み続け、また別の二つの通路では爪と剣に蹂躙され死骸を晒す。


獣人は繰り返される攻防をルーチンのようにひたすら続けることしかできない。

秘術道具とそれを守る小柄な女性のために。


状況は膠着し、前にも進まず後退もせず事態は一向に好転しない。


本来であれば下等な蟲と獣人、小さな女性との実力差は明白だ。

一対一で彼らはあれば瞬く間に蟲を殲滅する。


だが、現実は違う。

蟲は解体される度に出現し無数に湧き出て、貴重な道具を守らざるを得ない彼らを追い詰めている。


数を圧倒する個の実力は確かに存在しているが、同時に如何な実力を持つ個だろうと圧倒できる数というものも確かに存在しているのだ。


今、獣人たちの置かれている状況はまさにそれそのものだった。


「いい加減そのポンコツを破棄してくれ!」

「そのポンコツが私の給料の何十年分だと思ってるんですか!」


声を荒げつつ小柄な女性が操作するのは彼女の身の丈以上もある道具、『坑道地図生成機』。

立体的、平面的、二種類の周囲の地図を作成してくれる秘術道具だ。

便利な道具ではあるが素晴らしい性能故にいくつか欠点がある。

周囲の地形を読み込むのに時間が掛かり、本体もの大きさも1メートルを超え重さもかなりものだ。


携帯して運ぶには適したものではない。


洞窟の道々はノームとトンネル・ワームが縦横無尽に気ままに掘り続け、彼らの思うがままに塞がれ、掘られ、際限なく変化を繰り返す。

ある時は未知の巨大な空洞に繋がる道が作られ、またある時は何処にも繋がらない行き止まりの道が生まれる。

故に目的地にたどり着くため、自らの拠点に帰るためには道しるべが必要になる。


洞窟内の地図は値千金に相当する非常に貴重な情報だ。

彼らは今まさにその情報を集めるために窮地に陥っている。


貴重な道具を破棄することができないがために、無数のコックローチと戦わねばならないのだ。


「なんでこんなとこにクソ蟲がこんなにいるんだ!」

「私に言われてもわかりませんよ!」


不満を漏らしながら二人は『坑道地図生成機』にコックローチを一切寄せ付けず応戦していた。


一匹一匹は脅威とはとても言えないが、彼らにとって状況が悪い。

デリケートな道具が近くにあるせいで≪連鎖する雷撃≫などの広範囲を制圧する秘術は使えない。


獣人は爪を振るい、『秘影剣』を操り蟲をバラす。

聞くに堪えない蟲の断末魔の声が幾重にも響いた。


犬耳の男は発動している秘術の効果時間を思い出し、切れかけている≪炎の壁≫の術を更新した。小柄の女性も慌てて秘術を使用する。

道を二つ塞ぎ、ようやく得られている均衡状態が崩れてしまっては状況がさらに悪化してしまう。

そのような事態はあってはならない。


決意を新たに、獣人は『秘影剣』を使いコックローチを細切れにする繊細な攻撃を幾度となく実行する。

けれど、膨大な物量を前に攻めには転じれず、刃の結界を作るのが精一杯。


「撃ち漏らしてます!」


女性の声に反応し、獣人は横目で音の方へ視線を移した。

獣人の視界の隅を投げナイフ数本が通過し、脚をすべて失ったコックローチが悶えているのが目に入る。

小柄な彼女は投擲の態勢を取っていた。


刃の守りを抜かれてしまったらしいと獣人は理解した。

彼らにとって最悪なことに道具の操作から彼女が手を離したせいで守らなくてはならない時間が伸びてしまったことも瞬時に悟る。


秘術の時間管理に、『坑道地図生成機』へと蟲を寄せ付けないようにするための戦場の把握、針に糸を通すような緊張の連続に彼は自らの判断能力が低下してきているのを感じた。


「チッ!!」


獣人の口から舌打ちが勝手に出るが現実は変わらない。

意識を切り替え、彼は戦いに再び意識を傾ける。


苦戦を強いられながらも今の状況を打開するには簡単な方法が彼の脳裏には浮かんでいた。


『坑道地図生成機』を破棄するのだ。


実行さえしてしまえば視界を埋め尽くす蟲の群れだろうと突破するのは容易い。

それどころか殲滅すら可能だろう。

しかし、脳内の答えを実行するのは本当にどうしようもなくなった時だけだと獣人は考えていた。


秘術道具を守ることが依頼なのだからこなさねばならない。

道具に危害は及びかけたが命が危ういわけでもない。


状況は最悪にはほど遠い。


ただ、同時にこの均衡が長くはもたないことも理解していた。

獣人は自身の腕に装備されている秘術手甲に嵌っている宝石の数、≪炎の壁≫のストックを祈る様に確認した。


即時に発動できる秘術媒体の中にはすでに≪炎の壁≫がない。


別の手を講じることはできるのか、獣人は手元にある秘術と脳力の倉庫に蓄えられた秘術道具を頭の中で確認する。

  

「あと1分もあれば測定が終わります!」


希望の込められた女性の言葉が獣人の大きな耳に飛び込んでくる。

獣人には福音のように思えた。


あと1分。

彼女の言葉を聞いて獣人は油断することなく脳内で戦いのシミュレーションを開始する。

必要な道具と、それらを使うことで得られる猶予。

難しくはあるが不可能ではないと獣人は結論付ける。


ーーその時、突如、コックローチの動きがピタリと停止した。


異変を不審だと感じたが獣人は機を逃さず停止したコックスローチを細切れにしていく。

仲間や自らの肉体が切り付けられながらも蟲は反応しない。


動かない蟲を殺すだけの妙な間。


「いったい何が起きてるんでしょうか……」


呆然としていた小さな女性がコックスローチの異常な行動に言葉を漏らした。

獣人は変わらず防戦にまわっていた鬱憤を晴らすかのように蟲を切り刻む。


コックスローチが停止してからたっぷり10秒。殺戮が始まってから9秒。

『秘影剣』の届く範囲の蟲を皆殺しにするのにあまりある時間。


四つの通路の交差路から離れ、守りを疎かにしてでも蟲を屠るべきか獣人に刹那の逡巡が過った。


瞬間、蟲が一斉に退却を始めた。


攻撃範囲外で壁のように折り重なったコックスローチが不快な脚音と共に恐ろしい速度で雪崩のように遠ざかる。


「……え?」


女性が『坑道地図生成機』を背にしながら、疑問符は発した。


獣人もこれ以上の追撃を躊躇い、気を緩ませず蟲の行動を見守る。

彼の心配も虚しく、ものの数秒でコックスローチの群れは視界から消え去り、後には二人の人間と死骸を嬉しそうに食い荒らすポニャディングだけが残った。


獣人が空間に漂う剣を、宙に空いた黒孔へと収納した。

17本の剣が消えうせる。


「一体全体どうしたっていうんだ?」


獣人が秘術道具を守る女性に向き直り、血に濡れた手で頭を掻こうとすると、突如、湿り気を帯びた猛烈に強い風が吹き荒れた。


思わず体制が崩れる。

小柄の女性は暴風で身体を飛ばされないように『坑道地図生成機』にしがみ付いている。

風の影響で効果時間が切れる前に≪炎の壁≫が掻き消えた。


女性の体重まで担わざる負えなくなった『坑道地図生成機』がぐらぐらと揺れ始める。

獣人は倒れそうになった道具に慌てて飛びつき、姿勢を低くしてぐらついた道具と女性の身体を支えた。


「今度はなんだっていうんですかーーッ!」


女性の叫びを無視して獣人は下半身を踏ん張りながら周囲を確認した。

洞窟の岩の隙間から生えている植物は根の張りが甘かったようで幾つも風に飛ばされていた。

彼が見たところ風以外におかしなところはない。

気になるのは砂埃と共に吹き荒れた暴風は強い湿り気を帯びていることぐらい。


僅かな間、風に耐えると一過性のものだったのか先程までの強風が嘘だったかのように洞窟内が静まり返った。


獣人は未だに道具へ抱き着いている女性を尻目に、砂埃を払おうと立ち上がる。


「あぶないな。貴重な道具って言ったんだからきちんと支えておいてくれよ」


女性も風が通り過ぎたことを理解したようで獣人に続いて最低限の身だしなみを整えようとした。

二人の身体には緑色の蟲の血がべったりとついており、彼らの努力も虚しく砂は水分を吸ってまとわりつく。


獣人は早々に諦め、女性は自らの風体を見て深くため息をついた。


「助かりました。有難うございます。飛ばされないようにしがみ付いてて大事な道具を壊しましたなんて言った日には…………」


女性のため息を再び吐き、失態を再確認してさらに肩を落とす。


「君の上司、ミガルドなら笑って許してくれるだろうさ」

「笑って地底の地獄探索を命じられますよ……」


肩を丸めてより一層小さくなった女性が顔まで青ざめさせる。

気落ちしながらも彼女は仕事をこなし、道具から出てきた地図を丁寧にしまい込んだ。


「……無事に終わってよかったです」


獣人は女性の様子を笑いながら呪文を短く唱えた。


脳力が起動し、重たい『坑道地図生成機』の下に黒孔が出現した。

ずぶずぶとその道具が沈んで飲み込まれていく。

動作していない『坑道地図生成機』はなんの不具合も起こさずに沈む。

そして、遂には完全に収納された。


お腹を満たしたポニャディングが遊びを求めて興味深そうに黒孔の上へと乗った。

ところが直前までの事象に反して、ポニャディングには何も起こらずぷぎぷぎと声を上げるだけ。


獣人はそれらの様子を気にも留めず風に飛ばされた装備はないか身体を確認し始める。


「しかし本当に今のは何だったんだ。いきなりコックスローチの群れが現れたのいい、あんな強風といい……」


言葉の途中で獣人が何かを感じ取り、点検作業を中断して小柄な女性を引きずり倒し地面に伏せさせる。


「げふっ!」


うめき声を獣人は意識の外に追いやった。

遅れて彼自身も下半身に力を込め、女性の風よけになるようにしゃがみ込む。


直後、膨大な量の風が二人を襲った。


気を抜けば吹き飛ばされそうになる身体を常時使用している秘術の守りと脚力でしのぐ。

風はまたしても湿気を感じさせ、ポニャディングは俵型の身体に生えたちょこんとした足で器用に風を受け流している。


それから十数秒の後、風が止んだ。


獣人は鼻を赤くした女性の恨みがましい視線を受けながら立ち上がった。

彼は女性の眼差しを受け流し、直面している謎の事象について考える。


やがて、獣人の頭にとある自然災害のことがよぎった。


「まさか……」


疑念を確かめるべく意識を集中させ、遠くの音と気配を探る。


大きな耳に壊れたシャワーのように激しく細かい水を打ち付ける音が届いた。

荒れるような風のうねりを尻尾に生えた毛が感じ取り、洞窟内部の空気の湿りを舌が訴えた。


彼は此処に至りようやく理解した。


「……なるほど、コックスローチもこれから逃げてきていたのか」

「何が起きてるのかわかったんですか?」


事情を理解できていない女性が人形のように小さな首を傾げ、疑問符を投げかけた。


「フラーラはあまりアイリスの外で活動はしないのか?」

「そうですね。どちらかというと街中での仕事が中心でしたね」

「……何かを探すような脳力だからか」

「まぁ、そんな感じです。それで、あの風は……」

「喜べ、だったらいい経験になるぞ」

「はい? 質問の答えになっていませんが……」


困惑する女性を余所に獣人が楽しそうに口角を上げた。


「嵐がきたんだよ」


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