いい
紅い月が映る。
鬱蒼とした木々に中でチリン、チリンと鈴が鳴り響いた。
問われた言葉に返答はない、薄暗い中で影が交差する。
「お得意の手はどうした」
―――っ、――!―――ッ!!
金属がぶつかり合う音が数度、鳴り響いた。
「どうやら出尽くしたようだな。―――死ね」
無機質な声で放たれた言葉と共に大きく影が動き……鮮血が舞った。
音はない。静寂の後、月の光に照らされて影の正体が明らかとなる。―――女性だ。
未だ血の滴る刀を手にした女性が大きく息を吸い呟いた。
「……月は紅く染まってしまったのですね」
無機質な声。徐に死体へと手を向け…もう一度空を見上げた。
◆
異世界ライフ
「焼けましたよ。・・・?」
「あー。つまらん」
学校で唯一人のいない屋上。危険防止の柵にもたれかけ、景色をながめる。
ここ一年で見慣れた屋上にグラウンド、家々、空。
今の世界におもしろいものはあるのだろうか。
「退屈だ。異世界でも行ければいいのに」
ゲームといわれた仮想世界バーチャルリアリティが第二の現実世界リアルといわれるようになって半世紀。
数々の世界が創られ終わり行く中で未だ爆発的人気をもつ世界タイトルの中で最も現実に近い理を入れているといわれている世界がある。
それは
内容は
日本は川神市…変態橋と言われる大きな橋の下。
そこではここ最近観られなかった人の群れができていた。
人だかりの殆どはこの橋を越えた先にある川神学院の生徒たちだ。朝の通学時間ということもありその規模は大きく、歓声が上がっている。彼らが騒いでいる理由は川神の住人にとってもはや生活の一部となっている武神こと川神百代と少しは名の通る格闘家の試合が始まるからである。
ただ、ここ最近は挑戦者が減って見れなかったので今日は集まる人が多い。そして久しく試合のしていなかったがために鬱憤の溜まっていた百代は嬉々としてストレッチを行っていた。
彼女にとって挑戦者の強さは勿論だが、祖父である鉄心にとやかく言われずに腕を振るえるのはこの場ぐらいなものなので感情は高まる。そんな感情を親しい者や彼女を知る者たちは十二分に理解しているため、今回は野次馬を追い払わず寧ろ壁代わりとして混じり試合の見物客となっていた。
「運のねぇ野郎だな…なぁ大和、何日ぶりだっけか挑戦者は」
野次馬に上手く溶け込んだ者の一人、岳人は自分と同じく逃げ込んだ者だけに聞こえるような声で軍師に聞いた。
「二十日くらいかな。昨日本人がカレンダー見ながら新記録だとか言ってたから」
「うっわ…。タイミングといい、ご愁傷様だな」
岳人が言ったように今回の挑戦者は過去最悪なときに挑戦した。
「今週は天神館との交流戦があるからね。テンションはかなり高くなってるはず…」
二人して空を拝んだ。
話に出た天神館とは、分かりやすく言うなら西の川神学園であり交流の一環としてお互いでの決闘が許可されている兄弟校のようなものだ。
そして今回修学旅行ついでに川神にある工場地帯での交流戦を申し込んできたのだ。
つまり、久々に腕が振るえるという高揚感とすぐにやりたいという焦り、何より鈍ってないか――もちろんそんなことありえないが――確認が取りたかった百代にとって今日の挑戦者はいつにも増して嬉しい存在だった。大和が危惧するようにテンションは最高潮の部類に入る。
そのあたりを考えて大和たちは解散に時間のかかる野次馬達を離れた場所に誘導させるだけにして半分壁扱いとして混じった――のだが。
「……いつもより力んでる」
「ん? ああ、まぁ久々だから仕方ないんじゃないかな。それよりもうちょいこっちだ――抱きつくな!」
「…おされたの」
「嘘が下手だなおい」
適当にあしらいつつ大和が百代に目を向けた。武力の低い彼では特に変わった部分を見つけることもできず、武力の高い京の意見を否定することもできないので今後気をつけておこうと頭の隅に記憶した。
歓声が上がる。
「ハァァァァッ!」
「ぬげらっっ!?」
勝負は一瞬。
超高速で接近してからの数十の打撃。ガードどころか威力は弱めてもそのスピードはいつもより押さえきれずこの場の誰一人としてその一打さえ見ることはできなかった。
百代が相手の後方に背を向けて立つと同時に挑戦者がその場で倒れる、という今までにない試合だったが観客たちにとって彼女が勝つことが喜びでもあるので『なんだかわからないが勝負には勝った』というものと、『今週の交流戦も勝てるだろう』などの意見が占めた
「はぇぇー…すれ違ったようにしかみえん」
「私も視えなかった」
「む、京にも視えなかったとなると」
クリスの視線を受けた由紀江も首を振った。
解散していく人混みを避けて皆が橋の下へと向かう。携帯で挑戦者の回収を頼んだ百代が手を振っている。それなりに満足したようだ。
だがしきりに背後を振り向いては首を傾げている。
「お疲れ様でーす桃先輩…どうかしたんですか?」
「いや――気のせいか? どうにもみられてた感じがしたんだ」
「……川神院の人?」
「んー…川神院の視線ならわかるんだよなー。どちらかと言えば懐かしい感覚かな」
「今なにげにすごいこと言わなかったかこの人」
しばらく周辺を見つめた後、肩を竦めて百代が歩き出す。
メンバーも後に続く。次第に会話も盛り上がり視線のことなど頭から消えていった。
■●■
武神が勝負を行う前、同じ川神市で一人の青年が瞑想をしていた。この物語の主人公である。
格好は体全体を包帯で巻き、その上に顔まで隠すフードを着るといういささか奇抜な格好となるが何より車椅子であることが記憶に残るだろう。
「………ん。もうそろそろかな」
袖を少しめくり真っ白な腕に巻いた時計の針を見る。時刻はまだ朝方、ようやく日が見えてきたぐらいだ。ゆっくりと車椅子を器用に――小刻みにジャンプして――動かし段差を降りると壁にかけてあるバックを取る。中身を確認していると見知った気配が近づいてきた。
―――ガギャンッ…
ここ――道場――の門は少し古いので開けるのに少しコツがいるのだが今回は無理やり開けたのか、開くと同時に鋭い音がした。
「ギャー!! また門が壊れたわ!」
壊したであろう者の声が響き、苦笑する。別に怒る気はないがこのタイミングであることはいただけない。
「……ハァ、おい一子。お前は師匠を連れて先に行っとけ。ここは俺が直しとく」
「でもそれだとタッちゃん遅刻しちゃうよ! タっちゃんがお師匠を送ってくれれば…!」
「送るのはお前の役目だろうが…俺のことはいいから。一子に修理はできないだろ?」
「う…それは……そうだけど」
その後何回か言い合いがあって一子が折れた。こうしている間にも時間は過ぎるのだ。
「お師匠! お迎えに参りました。あとまた門壊しちゃいました」
そっと玄関を開けた一子が自分を見るなり一言謝って車椅子を持ち上げる。別に車椅子と自分を持ったところで彼女にとってなんともない。
段差のない玄関先まで運ぶと門の破損具合を視ていた忠勝の近くにそっと降ろされた。
「師匠、おはようございます」
「おはよう。忠勝くん、工具は好きに使っていいからね」
「ちゃんと使った分も補充しときます」
周囲から不良として見られている彼だがその優しさは知っているので律儀にそう返した彼をみて笑う。
ちなみに家の鍵はほぼ毎日来る二人にスペアも合わせて渡してある。
「えーと…よし! まだ何とか間に合うわ!!」
「気をつけて行ってこいよ一子。師匠も体にお気をつけてください」
「うんっ!」
軽く一子の頭をなでて忠勝は裏へといった。
ゆっくりだと遅れそうなので少し早めに一子が車椅子を押す。五月に入ったとはいえ朝はまだ肌寒い。気を利かせた一子が足元に毛布をかけてくれた。
「お師匠、体調のほうは大丈夫ですか?」
「……うん、だいぶ良くなってるよ」
そうですか、と笑いかけてくる。
彼女との付き合いは親しい者のなかでも一番長い。それに数少ない怪我する前の自分を知っている人物だ。怪我をして今にも死にそうだった自分を助けてくれた一人でもある。
血を吐いたり気絶するたびに泣いて看病してくれた事は感謝しても足りない。
今では容体も落ち着いて安定してるし、気を使っての治療である程度回復してきている。無理しない限り大丈夫だし前のように血反吐を吐くこともないだろう。
「少し早めますね!」
そう言ってさらに押す力が増し、早くなっていく。
「そういえば今週は天神間との交流戦があるらしいね」
「一体どこで…て聞いても無駄よね。お師匠は参加するんですか?」
「一応、参加はするけど参戦はしないかな。相手は武神を倒すのに戦力の大部分を充てるだろうから残った戦力は強くないはずだし…」
「そうですか。あ、勝てると思いますか? 私達」
「うーん…今回の交流戦で一年は負けると思う。武と智において三年と二年に大きく差がついてるし……勝敗は二年生の動き次第かな」
まぁ、二学年と三学年が突出して強いだけで一年も例年並みにはある。
ただ天神館は全体的に、特に二年は豊富だと聞いているし少々荷が重いだろうか。
「お互いに二年は特に全体の質がいいから勝敗を分けるとしたら将と駒の連携、作戦への運び次第で変わってくるね。そうだ、頃合もいいし交流戦は本気でなくても真剣にやっていいよ」
「―――っ、本当ですか!」
「おっとと。うん、もう僕から伝えることは無くなってきたし……。この先は川神院での修行や組み手、経験を通して自分の考えを持つことが課題かな」
仮免許皆伝というやつだ。
大声でやったーと叫ぶ一子ちゃんに少ない視線が集まるが本人は気にした様子もなくはしゃいでいる。
落ち着いてから他愛のない話をしていると目的地が見えてきた。
「―――終点!」
ザザッ、大きな門の前で車椅子が停止する。
門には川神院の看板が飾られ、放棄とちりとりを持った屈強な男達が掃除をしていた。
「よいしょっ」
自分を持ち上げて階段を上る。掛け声に気づいてこちらを見た者は一瞬物珍しそうにこちらを見ると、一子ちゃんを見て納得したように掃除へと戻った。川神院には世界から様々な人がやってくるので自分のような格好をした者でもそう不審者扱いにはされない。むしろ総裁の孫にあたる一子ちゃんが連れてきたのだから問題ないと判断したのだろう。
トントン、と段差を避けたりジャンプするように中へと入る。
「一子ちゃん、ゆっくりでお願いね」
「え? あっ…」
お約束というか…一子が足を滑らせる。足を前に出す形で滑ったために上に抱え上げられた自分は重力に遵い車椅子ごと彼女の顔に落ちる―――と言うことはない。
一子ちゃんも迷いもなく自分から手を放して尻餅をつく。当然そのままでは彼女に落ちるので腹部に力を入れて足を跳ね上げる。足は簡易にだがベルトで固定しているので車椅子が足から離れることはない。空気を蹴るようにして前へ反転し、後ろ向きに右手を出して着地しバランスを取った。
腕の力で大きく跳ねて体勢を戻す。
「よっと、大丈夫かい一子ちゃん?」
「だ…大丈夫です」
尻餅をついて汚れたスカートを叩きながら起き上がる。
すぐさま謝って今度は慎重気味に進みだした。
「」
「貴方が一子の言っていた行方くんでいいのかナ?」
見計らったように一人の男性が出てきた。
というより門をくぐった時から複数人の監視の目は感じていたが。
それは中々に鍛えられたもので一端の実力者でも気づかないレベルだ。
「ええ、貴方はルー師範代ですか?」
「おっと名乗ってなかったネ。ソの通り、総代モ中で待っているからそこで話そうカ…」
ルーが背を向けて歩きだす。
後をついて中へ入ると奥の部屋に案内された。
襖を前にほんの僅かだがルーの頭がぶれる。
視線が消える……軽く周囲に目配せして監視を解いたな。
かなり洗礼された動きだ。
後ろにいた一子ちゃんもそれは感じ取ったようで不思議そうに周囲を見渡した。
「総代、お客人でス」
うむ、と返事が聞こえ襖を開いた。
―――さて、ここからが大変だ。