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借りた服に着替えたわたしは、卓さんに連れられて今朝目覚めた部屋を後にした。「寝間着はこれに入れて、どうぞ」と渡されたナップサックを背負い直し、改めて背後のアパートを振り返る。そう何時間も滞在してた訳じゃないけど、なんだか随分長いことこの部屋にいた気がする。きっと色々ありすぎたせいだろう。
借りた服のサイズは幸い、ルーズなボーイッシュスタイルと思えば丁度よく、Tシャツなんかはぴったりだった。ただ、さすがにブラジャーもなくTシャツ姿というのはマズいので、申し訳なく思いつつも卓さんにお願いして追加で上から着れるシャツを貸してもらった。事情を話したときに顔を真っ赤にして慌ててた卓さんは、ちょっとかわいいと思った。
それにしても、こんな女の人が着てもおかしくないかわいいピンク地のTシャツ、よく持ってたな、卓さん。私服に着替えた彼はすらっとしてて、手足も長くて、どんな服でも着こなしてしまいそうだけど、こういう攻めたファッションもよくするのだろうか。今はなんだか、よくある男子大学生のテンプレに埋もれそうな服装をしている。それでも客観的に見て、一角に様になっていた。
(んー、タケちゃんもこれくらいスタイル良ければ、もっといろんなお洒落が似合うのになー)
どちらかというとガチムチ系の恋人を思い描き、卓さんの服装を着せてみる。あ、弾け飛んだ……。逆にタケちゃんの体系を卓さんみたいにすらっとさせると……ああ、無いわ。
やっぱりタケちゃんはタケちゃんのままでいいね。
「ふふ」
「? どうかしました?」
いけない。隣に卓さんがいるのを忘れて妄想に耽ってしまった。
「あ、ううん。なんでもないです。ちょっと思い出して」
「ええ? ああもう、さっきの俺のことなら早く忘れてください」
「え? あいえ、卓さんじゃないです」
「あ、そうすか……」
言えない。もし彼氏が卓さんみたいなスタイルだったらと想像したらおかしかった、なんて。
……彼氏、か。
(タケちゃん、わたしがいなくなったの、気付いてくれるかな。心配させてたら、悪いな)
本当はさっき卓さんに電話借りたときにタケちゃんに連絡つけれたらよかったのだけど、いつも電話帳から呼び出してるせいで、電話番号を覚えてなかったのだ。うぅ、帰ったらまずタケちゃんの電話番号を千回書き取りして覚えよう……恋人の連絡先も覚えてないなんて……わたし、彼女失格かも……ああ、どんどん弱気になっていく。
頼みの綱の実家も、なんだか様子がおかしかったし。
(お母さん、いったいどうしちゃったんだろう)
先程の電話での会話を思い出し、ますます目の前が暗くなる。
「あ、そうだこだまさん。なんか食いもん、食べましょうか」
不意に、卓さんが明るい声でそんな提案をしてきた。
「え……?」
「いや、ほら、そういえば俺も朝からなにも食べてないですし。時間ももう遅めの朝食と早めの昼食の間というか、こだまさんもお腹減ってません?」
「ええ、でも……」
それは、まあ。頭がぐちゃぐちゃしちゃっててそれどころではなかったから今まで何とも思わなかったけど、言われてみれば今にも腹の虫が鳴りそうなくらいだった。でもわたし今お金持ってないし、つまり卓さんは奢ろうって言ってくれてるんだよね。この期に及んで図々しく食べ物まで、いいのだろうか?
素直にお願いすることを躊躇うわたしに、卓さんは路地の先を指さして付け加えた。
「そこの通りに出たらすぐ郵便局あるので、十分にお金下ろしてきますから。丁度定食屋も開き始める時間ですし、それに、ここまで来たら一食分くらい変わらないし、みたいな感じじゃないですか」
卓さんが言い終わらない内に、賑やかな商店が軒を連ねる通りに出た。車の通りも多く、狭い歩道には窮屈そうに固まって歩く数人の若者たちや自転車に乗った人たちが行き交っている。
その傍らに、全国共通どこでも目にするオレンジ色の看板が見えた。
「じゃちょっと行ってくるので、すいません、少し待っててください」
そう言い残して卓さんはわたしが返事をする前に郵便局へ走っていってしまった。
取り残されたわたしは、これ以上遠慮しても逆に迷惑かなと思い直し、大人しくお言葉に甘えさせてもらおうと決めてから郵便局の前で卓さんが出てくるのを待った。