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 こだまさんが部屋へ戻っていくタイミングに合わせて俺も風呂掃除を一段落させ、掃除道具を片付けてから居間に戻ると、こだまさんはベッドではなく、卓の一隅に着いて俺を待っていた。相変わらず掛け布団は羽織ったままだが。彼女の格好もなんとかしてやらないとな……

「すいません、お待たせしました」

「い、いえ! こちらこそ本当に色々と……あの、これも、ありがとうございました」

 ペコペコお辞儀しながらハンドタオルを差し出してくるこだまさん。俺はそれを受け取ると、

(……湿っている……)

 即行で回れ右して洗面台の方の洗濯機にシュートした。経験のない鼓動の高まりが再び俺の思考を停止しにかかる。平静を装って再度向き直ると、微妙な表情で居心地悪そうにしているこだまさんと目が合う。

 ……? ……! いや違くてですね別に使用済みタオルが気持ち悪かったとかそのようなことでは決してなく!!

 頭の中でそんな試行が巡ったが、それで合ってる確信も持てず、結果落ち着かない沈黙が流れた。

 少々強引な咳払いで俺は場を仕切り直し、すごすごと卓のこだまさんと対面の位置に腰を下ろす。

「で、あー、えーと、これから何をすべきか考えたんですけどね」

「は、はい……」

「取り敢えず、身内の方と連絡を取ってみたらどうかなと」

 そう切り出し、お使いくださいという意思を込めて自分の携帯電話を卓の上に置く。こだまさんは驚きつつも、心の底から安堵したような表情を見せた。

「あ、ありがとうございます。その……わたしも丁度そう考えていて、できれば電話を貸してもらえればって思ってたんです」

「お、そうでしたか」

 同じ発想に辿り着いたというのは、なんだか少しむず痒く、それでいて嬉しさが込み上がってくるような不思議な感覚だった。自然笑顔になりながら俺はこだまさんに電話を勧める。

「こんな状況ですし、どうぞ使ってください。遠慮しなくて大丈夫なので」

「はい。本当にありがとうございます」

 もう一度深々と頭を下げてこだまさんは携帯電話を手に取り、ぎこちない手つきで少しの間それを弄った後、

「あの……すいません、パスワードが」

「おっとこれは失礼」

 反射的にうっかり八兵衛のようなリアクションで答えてしまった。急いで携帯を受け取り素早くパスワードを開けて、ついでにダイヤル通話の画面まで操作し「どうぞ!」とお返しする。

 ああ苦笑いされてる。最初のギスギスした雰囲気よりは全然いいけど、こうも素が出てしまう程ハイになってるってのはそれはそれでどうなんだ。

 苦悶している内に、こだまさんがダイヤル入力を進めながら腰を上げる。

 あ、と俺が気付くとこだまさんは「あっいえ! 大丈夫ですから」と手で制し、俺をその場に残して部屋を出ていった。閉じられたドアに嵌め込まれたガラス越しに携帯を耳に当てがうこだまさんが見える。

 ああ、なにしてんだ、俺。そりゃ他人が一緒にいる空間で電話なんて、話しにくいに決まってるだろ!

 う~、と配慮の足りない自分を一頻り責めたところで、

(……いや、そもそもなにさっきから一々一喜一憂してるんだ?)

 少し過剰に反応し過ぎな自分に気付く。こんなに人に翻弄されるなんて初めてだった。それに衝撃的な初対面ではあったものの紛うことなく見知って間もないはずなのに、どうも他人のような気がもうあまりしないというか……

 そう思うと、余計に変に意識してしまう。

(いや! 待て待て。落ち着け。相手は初対面だぞ? 実際どんな人かなんて、もっと一緒に過ごして知っていかないと判断できないじゃないか。だ、だいたい、こんな意味不明なことに巻き込まれてるだけで住んでる場所も全然違うし、接点なんて0に等しいんだから……あー、いや! それ以前に――)

 ちら、と閉ざされたドアを見やる。何を言っているのか聞き取れない程度のこだまさんの声が聞こえ始めた。どうやら無事電話は繋がったらしい。ガラス越しに覗く長い黒髪を見ながら、俺は改めて確認するように心の中で念じる。

(この人には恋人がいるんだ。きっと素敵な両想いの関係を結べているんだろう。なら――)

 一度大きく息を吸って、先走りそうな気持ちを宥めて、

 ――助けて、タケちゃん……

 恋人に助けを求めていた彼女の声を思い浮かべて、


(なら、"俺には関係ない")


 よし。頭を切り替えよう。今こだまさんが身内の人と連絡を取っている。ならこだまさんが元いた場所に帰る算段はこれである程度つくハズだ。

 残る問題は、どうやってこだまさんを身内の人のところまで送り出すか。

 俺が掃除してる間にこだまさんが消したらしいテレビをもう一度点け直す。そして適当にチャンネルを回し、現在時刻を確認してすぐに消した。電話の邪魔になってもいけないしな。

 それから俺は簡単にこれからのスケジュールを組み立てながら、なるべく物音を立てずに準備を始めた。

 取り敢えず着替えて、カバンの中身を確認して要りそうな物を目に付いた物から放り込み、あとは残りの衣類の中から慎重に皺の付いてないものを厳選しつつ、あぁそういえばナップサックでもあれば便利かな。

 そんなこんなしている内に、思いの外早くこだまさんが通話を終えて部屋に戻ってきた。ようやく身内の声が聞けてさぞ明るい顔をして帰ってくるものと思っていたのだが、俺の予想に反し、その顔には一層不安の色が濃くなっているように見える。

 目が合うと、俺の装いが変わったことにこだまさんは少し驚いたようだった。しかし浮かない表情は変わらない。

「こだまさん? ご家族の方とは連絡が取れたんですか?」

「ええ、まあ、取れたには取れたんですけど……なんと説明すればいいか……あ、えっと、電話ありがとうございました」

「いえいえ」

 返された携帯をジーンズのポケットに滑り込ませる。こだまさんはいくつかの荷物が現れた部屋を見渡し、やや逡巡したあと不思議そうに俺に目を向けた。

「あの……どこか行くんですか?」

 わたしを置いて? とかいう言外の言葉が聞こえたが、そんな訳はない。

「こだまさんが身内の方と連絡が取れたなら、帰る用意が必要かなって。すいません、こんな服しか貸せそうなものはないんですけど」

 全力で誠心誠意込めて畳んだ衣類一式をすっと差し出す。たぶん男目線では足りない物がいくつもあると思われるが、そこは我慢してもらおう。サイズに関しては俺も背は高い方だが、こだまさんはそれに迫るくらいの長身だし、Tシャツに至っては大きめの女性物なので、問題ないはずだ。

 ……違うぞ? 趣味で女性物のTシャツを持ってるんじゃなくて、趣味のキャラTを買ってみたらたまたま女性用だっただけで! しかたないんだ! 知ってる人には分かるけど分からない人にはお洒落に見える某151番目のモンスターがデザインされたTシャツが、まさか女性物しか生産されてないなんて、知らなかっただけなんだからな!? ほんとにたまたまなんだから!!

 それはともかく、こだまさんは分かりやすく驚いたリアクションを見せてくれたあと、両手で丁寧に衣類を受け取り、ぎゅっとそれを胸に抱いた。

「ありがとうございます。とっても、助かります。本当にありがとう」

「ええ、どういたしまして」

 それよりその服返す時は洗濯しないでくださいお願いしますとか一瞬脳裏を過った。変態か俺は。もちろんそんな期待はしていない。言い合ってた時に一瞬口走ったが、この服が返ってこないだろうことは織り込み済みなのだから。

「それと、こだまさんの交通費も必要だと思うので、どこまで行ければいいか教えてもらえますか。途中でお金引き出して貸すので」

「え……い、いいんですか? さすがにそこまでお世話になるわけには……」

「でも、そうしないとどうしようもないでしょう? こんなこと警察に相談しても相手にされないでしょうし」

 日々質素に暮らしてるので、貯蓄には少し余裕があるしな。……休日とかに一緒にどっか遊びに行く友だちがいないだけなんですけどね。ええ、ぼっちですよ。それがなにか?

「あの……でも、ここまでお世話になりっぱなしという訳には……」

「いいですよ、別に。俺も変な気まぐれになってるだけだと思いますから。気が変わらない内に受け取っておいてください」

「いえ! じゃあ、あとで連絡先を貰ってもいいですか? せめて何かお礼をさせてもらわないと……落ち着いたらきっと連絡しますので!」

 むぅ、ここまで言われては、さすがに断れない。

「分かりました。じゃあこだまさんが着替えてる間に紙かなんかにアドレス書いておきますよ。それでこだまさんが着替えたら、さっそく出発しましょう。関東ともなると、到着する頃には日が暮れてそうですし」

「ありがとうございます。本当になにからなにまで。……えっとそれじゃあ、向こう使わせてもらいますね」

 そう言い残してこだまさんは洗面台の方へ向かっていった。まだ不安は拭い切れていないだろうけど、俺の申し出に、少しでも上向きの希望を持たせてあげれてたらいいなーと、詮無いことを思う。

 それと、つい大きなことを言ったが、無視できない問題が一つある。

 パチパチっと検索をかけて、教えられた駅名を入力し、俺は出てきた交通費と通帳の残高を何度も見直した。

 うん、問題ない。明日から一日二食にして一食をもやし炒めにすれば生きていける。


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