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この小説は、道のり未確定終着点不明次の停車時刻も一切合財ノープランの完全見切り発車でお送りいたします。

 びっくりして跳び起きた。というか飛び退いた。

 気付いたら自宅に見知らぬ人間がいるという、預かり知らぬ内に絶対の領域を侵された恐怖とでも言おうか。身動きが取れなくなる予感のような焦りに衝き動かされ、寝起きのまどろみもすっ飛ばして本能的に距離を取った。まず目にしたのが長い黒髪だったせいか、某貞子が脳裏を埋め尽くしている。

 脱出したベッドの上に取り残された侵入者は、俺が跳ね除けた掛け布団を手繰り寄せて体を縮込めている。なぜか相手も防御体制だった。

 目をまん丸く大きく見開いて周囲の状況――八畳半の俺の部屋を一通り見回してから、真っ青な顔を正面に張り付けた。動悸も一気に上がったようで肩を強張(こわば)めて息が荒くなる。お化けと呼ぶには綺麗な肌で張りがあり、パーツの整った顔立ちだ。貞子のイメージは消えた。こちらに危害を加えるどころか、逆に分かり易く恐怖しているからか。

 ナニに? 俺にだろ。

 恐怖の視線というものに射抜かれるのは生まれて初めての経験だった。

 理不尽に背負わされた不可視の槍に貫かれるような息苦しさは俺を次の焦燥に駆り立てる。

 相手の反応から連想される俺の立場――なんらかの不当な手段で婦女を自宅に拉致し、不埒を働く最低男。

 ……社会的な命の危険を感じた。身に覚えはこれっぽっちもないというのに。他の誰に対しても。

 そんな理不尽な混乱に立たされたからだろうか。とにかく自分の立場を改善する為にまずは誤解を解く……というか寧ろこちらが不法侵入されている被害者なのですよと正確な立場を表明すべく弁明の言葉を探しながら口を開きかけた時、改めて相手の顔をまっすぐ見て。

「……こだま、か?」

 女性の顔が実家で高校生してるハズの妹と被った。これドッキリだろという懐疑というか願望がそう見せたのかもしれない。そんな訳なかった。思わず妹の名が滑り出てから、自らの失敗に気付いて大慌てで撤回しようとするがうまく言葉が見付からず、回らない舌を引き攣らせて口をパクパクする奇行を晒してしまった。

 確かに他人にしては非常によく似てる。しかし飽く迄別人と言い切れるだけの差異がある。あいつはこんなに小顔じゃないし、ここまで髪を伸ばすと先が三回転捻りくらいする。黒子(ほくろ)も唇の下から左斜めに並んで二つ。あんな位置にはなかった。

 なにより体の発育が半年じゃ説明がつかない。いや胸とかではなく、身長が。妹の身長は中二ですでに止まっているハズなのだ。座り込んでいても分かるくらい明らかにあと三年は伸び続けていないと実現しない足の長さだ。

 だというのに、俺が妹の名を口にした途端、女性はさらに体を強張らせて、その表情に浮かぶ恐怖をみるみる絶望に上塗りしていった。

「なんで名前……え? あなた、あれ? 会ったこと、ない、ですよね……?」

 さらに不審が追加された様子で尋ねてくる。その目がじわじわと涙目に移行していく。

 直感。よりにもよって名前を言い当ててしまったらしい。俺のクラスが『何故か知らない部屋で一緒に寝ていた知らない男』から『ついに行為に及んだ度し難い変質的なストーカー』にジョブチェンジされている。

 驚いた以上にこちらは焦る。

「いや! すまない、その! 一瞬妹に見えて! 似てたので! それに、そう! 名前を知ってた訳じゃない! まさか妹と同じとは! はい! うん、会ったことないし! 今のは偶然で、こう、ホントにたまたま! 俺はあなたを知らないし! ていうかえーと……こだまさん、というので?」

 なんて迂闊な確認しちまったんだろうと後悔した。最後の問いかけに暫定こだまさんはこくんと一度頷き、直後はっとして泣き顔の色を一層濃くする。たった今、確定こだまさんは名前という大事な個人情報をまんまと暫定犯罪者に明け渡してしまったに等しい心境だろう。

 自分の言動が変質者臭溢れ過ぎて泣けた。いつの間にか訳の分からない手振りまで加えて無罪アピールに奔走していた俺の姿をできればテイク2希望したい。

 やっちまってる感に苛まれて身動きが取れなくなり、俺は固まった。こだまさんも俺のベッドの上で肩身を限界まで縮めた格好で壁に貼り付き、警戒心と恐怖心を剥き出しにしてじっと俺を監視する。

 停滞の時間は、焦りが募る一方だった。状況はどう記憶を掘り返しても俺が寝てる間にこだまさんが不法侵入して、どういうつもりか俺が就寝中のベッドに潜り込んだ、という説明しかつかないのだが、頭ごなしにそれを言って問い詰めたところで事態が好転するような気が全くしない。俺の言い分はそれ一択で、どう切り出そうかと言葉選びに脳をフル回転させているのだが冷静さが欠けていてまるで見付からない。というかどう見ても怯えてる風にしか見えない娘さんに切り出す話としては的外れ過ぎて勇気が出ない。俺なにか間違ってるだろうかと自己懐疑に陥りそうになる。

 そうして膠着した状況から一歩踏み出す勇気が先に生まれたのは、男ではなく女だった。

「あ、あの」

 震える女の子の呼び掛けが停滞していた空気を再び緊張させる。

「は、はい。なんでしょうか」

 俺の声も震えていて、ついでに上擦っていた。

 こだまさんは傍目にも分かる程震える手を胸元に握り込んで、恐る恐る、僅かな希望に縋る目で、消え入りそうな声で、しかし絶対に明らかにしなければならない一線を、踏み越えてくれた。

「わたしに、なにか……し、しましたか?」

「なにもしてません!!」

 即座に否定した。とにもかくにもまず最初にはっきりさせておきたかった誤解を解く機会、全力で食い付くに決まっていた。

 口火を切れたことで、喉まで出かかっていた言葉たちが堰を切ったように溢れだす。

「というか、こだまさん? がどうしてここにいるのか、俺は聞きたいのですが。昨夜は飲んでもないし、寝る前は確かに一人だった。ドアの鍵は帰ってきてすぐに締めたハズだし、窓もクーラーかけてたから絶対に閉めていた。それなのに、どうやって入ってきたんです?」

 突然攻めの態度に変わった俺にこだまさんは目を白黒させて動揺した様子だ。しかしやっと一つの大きな事案に安堵できたところ悪いが、ようやく自分の主張を展開できた俺はペースに乗って視点も主観に寄ってきたようだ。つまり、

「そんな、分からないです……わたしだって昨日は普通に自分の部屋で寝てたハズなのに……起きたらいきなりここで、隣にあなたがいて……ここ、あなたの部屋なんですか……?」

 なんて困惑顔で言われても、「隣にあなたがいて」の部分で声音を変えられても、自演にしか見えない。自然、湧いてくるのはこれまでの焦りや恐怖以上の、怒りだった。

「ええ、俺の家です。こんな一人暮らしの大学生ん家に何目的で侵入したのか知りませんが、あんたがやってんのは不法侵入ですよ? 分かってます?」

「な……!」

「あ……」

 しまった、と怒り任せの暴言を吐いてから俺は我に返る。事実はどうあれ、こういう時に立場が弱いのは男である俺だということを思い出した。現状、こだまさんがその気になれば俺はいつだって社会的に死ねる。

 そして起きてからずっと蒼白していたこだまさんは、言われ放題言われて、怒気を孕んだ紅潮に一変していた。

「わ、わたし、不法侵入なんかしてません!!」

 怒鳴られて即座に俺が気にかけたことは、当然、ご近所さんの耳。これまでの不安に駆られた声からは及びもつかない、どんな障害物も圧し退けてしまえるような大音声は、間違いなく隣三部屋まで聞こえているに違いない力のある声だった。その発声は、明らかに声の出し方を心得ている。

 なんだ、この人、その道の人か?

「ここがどこかも知らないし、寝る時はほんとに自分の部屋にいたんです! というか、あなたがわたしを誘拐したんじゃないんですか!? どうしてわたしこんなところに連れ込まれてるんですか!?」

「ば!? ちょ、いや、悪かった。少し言い過ぎたからちょっと落ち着いて――」

「いや! 来ないでヘンタイ! 変質者! 誘拐犯! ストーカー!」

 マズイ、マズイ! 早く彼女を止めなければと俺の中の世間体を自己評価する機関が警鐘を鳴らす。NGワードを察知して性急に彼女を宥めようと近付いたら物凄い拒絶された。そりゃそうだ。

 異様に長い足を牽制に使ってくるこだまさんの隙を窺う俺の姿は、我ながら本当に婦女を襲う不届き者と大差なかったが緊急事態故深く考えないようにした。

「違いますって! だいたいあんたの家だって知らないんだから誘拐なんてできっこないだろ!」

「ウソ! わたしだって昨日は確かにわたしの部屋で寝たんだから! 毎晩張り込んで誘拐する隙を窺ってたんでしょ、このストーカー!」

「ストーカー言うな! あんた自意識過剰なんじゃねぇの……て、いやそれよりほんとマジでもう大声出さないで――」

 今隣の部屋から物音が聞こえた? 隣の人起きちゃった? 売り言葉に買い言葉なんてしてる場合じゃないよ。死ぬから俺人となりの共通認識がなにもない隣人の誤解により社会的に死を迎えるからホントに勘弁して。

 などという俺の切羽詰った心境とは裏腹にこだまさんは怒りのボルテージをどんどん上げていく。

「じゃあなんでわたしの名前知ってたの!?」

「だから一瞬ウチの妹と見間違えただけでたまたま、おい待て、暴れるな! 枕を投げるな布団を振り回すな!」

「やだ! イヤ! あっち行って! 家に帰して! どういうつもりなのもうやめてよ!!」

「それを言いたいのはこっちグハッ!?」

 油断した。枕を回避したところへ掛け布団を叩きつけられ、後ろで枕に当たって派手に引っくり返ったテレビに気を取られた隙に布団の上から踏みつける勢いを乗せて蹴り飛ばされた。

 布団と縺れて床に転がる俺を尻目にこだまさんが部屋のドアへ駆け寄る。

 いかん。このまま外へ逃がしたら社会的に悪は俺だ。

「さ、せ、る、かああああああああ!!」

 部屋のドアが室内の空気の抵抗を受けて勢いよく開くことを拒む。それでも僅かにでも開いた隙間からこだまさんが体を滑り込ませていく。立ちあがったこだまさんはやはり妹よりも頭二つは背が高く、さらに目を見張る程の細身だった。その痩身が脚から玄関と直接繋がるキッチンへ消えていき、上半身で一度、止まる。

 なんというか胸の辺りが言葉での表現を憚られる有様で引っ掛かっていた。

 しかしその呪縛は一瞬で、俺が掛け布団を引き摺りながらようやく手を伸ばした時には、こだまさんの体のほとんどが部屋の区切りを越えていた。

 閉まろうとするドアの隙間へがむしゃらに手を突っ込む。自慢じゃないが、俺は特徴として挙げられる程度に手足が長い。目一杯足を伸ばして一歩でドアとの距離を埋め、逃げる婦女へと限界まで手を伸ばす。

 長い手足をここまで活かしたのは人生で初だったことだろう。そして俺にとっては幸いにも、こだまさんにとっては災いなことに、こだまさんの腕も足同様に長かった。

 逃げ遅れた手首を追手が掴む。

 ひ、という悲鳴を無視して俺はドアをこじ開け、こだまさんを再び部屋へ引っ張り込んだ。……て、なんか最初も俺が連れ込んだみたいな表現だな。

 (いささ)か自分に不安を覚えつつ、引き摺っていた布団に倒れ込んでくるこだまさんを受け止め、そのまま引き倒す。これ以上の致命的な大声を防ぐ為、布団に包んで床に押さえつける俺は、やってることもなんかすっかり、暴漢そのものじゃないか?

 こうなってしまったら仕方がないので落ち着いて話ができるようになるまで動きを封じていようと割り切った俺の耳に、布団でくぐもったこだまさんの涙声が聞こえてきた。


 お願い。許して。彼氏がいるんです。わたしに触らないで。なんでこんなことに。

 助けて、タケちゃん……


 タケちゃん、ね。

 俺も助けてくんねーかな。誰でもいいから。


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