奸臣
史書を詳しく読んでいないので事実に反する所も多々ありますが平に御容赦を。初投稿なので皆様よろしくお願い致します。m(_ _)m
飛び過ぎる番いの燕が玉欄から見えた。一輪の太陽と二掴みの白雲。春は既に杭州を訪れている。
東京の空はまだ肌寒いのだろう。一瞬だけ思いを北に巡らせたが、それ以外の波が彼の心に湧き立つ事は無かった。初老の男が殿舎のほぼ中央に佇立している。姓は秦、名は檜と言う。故郷は江寧、現在の南京である。
「陛下のおなり……」宦官が皇帝の到来を伝える。秦檜は跪いた。何千回目だろう。科挙に合格して以来三十余年。初めて皇帝に謁見した時の感動は時と共に摩滅し、今は只単に作業を繰り返しているだけである。彼は二度目の宰相の任についてから、自分にそう言い聞かせていた。
皇帝と随伴の宦官達の足音が規則正しく、少しずつ大きくなる。音に大きな変化が起きなくなったと同時に、平伏している彼の視界の端に影が映る。宦官達の足音の歩調が乱れ、やがて消え入る。「愛卿よ、お役目大儀である」しわがれた声が頭上から響いた。間を置き、緩やかに頭をもたげ、立ち上がった。
「龍顔大悦の御様子、何よりでございます」通り一遍の伺候の挨拶。そして無味乾燥な事務の報告。秦檜の視線は皇帝の胸元より上に移動する事は許されない。騒乱の日々はほぼ毎日風貌を見ていたのだが。
「何時も通り。何事も無いのは吉事よ」ここ数年間、彼の報告を聞く度に皇帝は感慨深げにそう呟く。死体が眼前に広がり、禿鷹や烏が曇天を徘徊する華北の平原。辮髪の騎兵隊に追われ、江上の小船に退避し飢えや渇きを耐え凌いだ日々。今その光景の中のどれか一つを脳裏に浮かべても身の毛がよだった。皇帝のこの感慨に関してだけ、彼は心の底から同意していた。
「さて、丞相殿に伺いたいことがある」彼の視線の先に座す皇帝の手が左右に振られた。五感は幾つかの影が退出するのを感じ取った。ああ、あの事だな、と南宋の宰相は思い至った。
「欄干の側に行こうか」皇帝・趙構は玉座から起き上がり、数歩進んで溢れる光の中に消えた。消えた様に見えた。秦檜も続いて消えた。
「こんな風に汝と話するのは暫くぶりじゃの」趙構は微笑んでいた。細い顎。痩せこけた頬。星霜に払われ、黒く皺を刻まれた帝国の元首の容貌。年齢よりも老けて見えるが、兄の欽宗の俤は残っている。太上皇は今頃どうしておられるのであろう。意味の無い同情心はしかし、あの男を殺した日から烈風厳光に形骸を晒しているのみである。
女真族に開封を落とされた靖康二年(1127年)、宋は一旦滅びた。晋が五胡の猛攻に瓦解してから八百年、中華は再び危機に陥った。しかし皇子司馬叡が南渡して晋を復活させたように、趙構も悪戦苦闘を経て帝国を再建した。無論、不平は満天下どこを探しても影も形も無いとは言えまい。しかし趙構は怨嗟の的にはならなかった。なる筈もなかった。
「あの進士の名はなんと言ったかの。姓は陸だったか?」
「陸遊にございます」
「そうじゃった。丞相殿は頭脳明晰で羨ましい」打ち笑う皇帝の姿はとても気さくに見えた。一頻りの四方山話は終わり、本題に移った合図である。
「陸遊がどうされました」
「除名したそうじゃの。小生意気な儒生を懲らしめるのもよいが、あまり厳しいと恨まれるぞ。我が大宋の宰相がそのような小器量かと巷では噂されておるようじゃ」
噂は秦檜の耳にも届いている。現今の宰相の評判は芳しくないようだ。しかしそれを改善しようとする意欲の一片も彼の意識裡には存在しなくなった。表面上の平穏さに麻痺していた。
「陛下の御意、御尤も。自身の不明に恥じ入るばかりでございます」
何を今更、と感じる倦怠感を押し隠して彼は恐れ入った仕草を見せた。本音と建前の使い分けには疾うの昔に習熟している。果たしてどれが本音でどれが建前かは分別できなくなったが。
「うむ。長年の六面八臂の働きは有り難く思っておる。そなたの多大な功績がいわれのない悪名に埋もれるのは何としても惜しいからの」
皇帝は相も変わらず笑みを湛えていた。玉言が虚しくも重々しく胸を貫いた。苦渋が波紋を広げてゆく。ついには表情を掠める程に。
長年の同志である宰相の聊かの変容にさえ気づかない皇帝ではない。春のうららかな日差しが欄干の際では凍りつきはじめた。しまった、と後悔しても何の役にも立たない事は、短くないこれまでの人生でいやと言うほど思い知らされている。皇帝の笑みは掻き消され、平素は温和な面持ちに隠されている禍々しい無表情が顕現する。毎回この変容に直面する度、「皇帝」と「天子」が同居する怪物がこの世には存在するのだ、と秦檜は戦慄する。だからこそ、己は只の道具であると自分に言い聞かせない限り、この年まで生き延びる事は出来なかったであろう。
「丞相殿」しわがれた声音が仏教で説かれる地獄からの召還に聞こえる。
「何か存念でもおありかの」元来長身である趙構の威圧感が増してゆく。皇帝にとり、命令に意見を持つ臣下は不要であるばかりか有害である。あの男――岳飛はその典型であった。秦檜は即座に膝を楼面に着け、上体を前に傾ける。
「滅相もない」声が震えるのが明白に分かる。官僚に成り立ての頃は使命感と敬愛が跪く理由であったが、今では恐怖感であった。
皇帝が眼前に近づき、腰を曲げる。骨ばった両手で秦檜の頭を持ち上げる。二対の眼が向き合うが、彼はその視線から逃れたい一心で、思考が働く余地もなかった。
「秦檜。貴様は何か勘違いしておらんか?自分を被害者だとおもっているのか?」
「いえ、そのような事は……」冷汗が滴る。必死に弁解しようとするが、しかるべき言葉が思いつかない。
「黙れ」大声でもなく、叱責の感じもしない。しかし、感情の篭らない声は恐ろしい。神の声はこのようなものなのだろう。事実、趙構は神であった。中華の守護神であった。彼がいなくば、南北の拮抗無しに中国は女真族に統一されただろう。自己の神聖性を極限にまで高めた人間の姿は麗しいまでに魔王であった。
「自身の功績に誇りを持て。我等は中華再建第一の功労者なのだ。古の皇帝や宰相なんぞよりも永代に まで語り継がれるべき人間よ。何故それを厭う!」口調が激越になって行く。
「陛下。私はもう嫌なのです」圧力に抗し切れず、秦檜は恥も外聞も捨てて泣いた。
「私が目指したものはこんな筈ではなかったのです。求めていた自分ではないのです」
彼は泣き叫んだ。幼少の頃から四書五経を諳んじ、詩文の作成に励んだのは全て経世済民を実現せんが為であった。その理想を思い描く事で、娯楽の少ない少年、青年時代も苦にはならなかった。路頭に迷う貧民を見かける度に、国を救いたいと願っていた。あの陸遊の様に。宋の崩壊に望んでも彼は動揺しなかった。この危急存亡の秋こそ、敢然と蛮夷の暴威に立ち向かえるのは自分だけだと自負していた。女真族に捕まった時も死を覚悟して酋長共を罵った。美名を歴史に残せるのであれば本望であった。しかし、本当に死しても忠節を守ろうと思っていたのだろうか?撻懶の協定要請に心を動かしていた事を否定できるのだろうか?
「今更死後の名を気にするのか?ならばなぜあの時兄上達の前で自決しなかった?認めろ、秦檜。貴様 は死ぬのを恐れた。お前の自分勝手な理想など一銭の値打ちもないのだ。お前は岳飛を殺したのではないか!」
「違う。違います。私は本当に国を救いたかった。救国の理想に燃える岳飛を殺したくなかった。殺せ と命じたのは陛下ではありませんか!」
趙構は呵呵と大笑し、両手を離して立ち上がった。そして哀れむような視線を彼に向けた。
「救いたかった?違うな。お前が望んでいたのは権力よ、俺と同じくお前は権力の亡者なのだ!お前は他 者が面前に跪く様が大好きなのだろう?あの時、俺の命令に抗えば岳飛は救えた。自身の権力と富を保 証する為に殺したのだ。そうではないか、会之!それとも岳飛に進撃を続けさせ、宋が完全に滅亡するのを眺めたかったのか?」
歩兵主体の南宋軍は金軍相手に大いに善戦したが、十分に補給と休息を得た後の女真族の鉄騎に抗えた かどうか。よしんば北伐が順調に進み、欽宗と徽宗の身柄を奪還したとしても、権力闘争で宋が再び混 乱するのは必至であり、最大の軍閥の首領である岳飛が死ぬのは当然であった。
「しかし民草が恨むのは私であって貴方ではない。何故私だけが恨みを受けねばならないのです?どうし て……」
長年の鬱憤が噴出するように、見苦しいまでに秦檜は愚痴をはき続けた。
「どうして?どうしてだと?そんな事も分からぬ丞相殿ではあるまい?」皇帝は再度、膝を折り曲げ、秦 檜を見遣る。一陣の東風が欄干を吹きつけ、涙に濡れた頬を突き刺す。
「皇帝は神聖なのだ。皇帝に間違いがあってはならない。若し間違いがあったとしても、それは側近の 悪巧みよ。一人の下で万人を統治する宰相は当然天下の恨みを蒙らねばならぬのだ!それが貴様の責務 だ!」
声にならない声で彼は泣く。
「いい加減に覚悟しろ、丞相殿。俺は貴様に権力の一部を与えた。悪名はその代償よ。結構な商売ではな いか?およそ考えられる限りの富貴栄華を手に入れたのだからな。それに飽き足らず美名まで求めるの か?何と欲張りな事よ。」
「私が……」嗚咽。
「私が救いたかった国はこんなものではなかったのです。これでも私は国を救ったと言えるのです か?」
「おお、言えるとも。中華は滅びぬ。我等は国を救った。大宋はまだ生きている。そして我等自身の権 力を勝ち取った。これ以上一体何を望むのだ?聴かん気のない粗野な将軍の一人や二人を殺したところ で一向問題は無い!儒とは所詮権力を保持する思想よ!よしんば孔家の次男坊がそう考えなかったとし ても、我等は儒者よ!聖徳の君子よ!宇宙を統べる神よ!」
皇帝の言葉に嘘は無かった。宋は滅びず、長江以南に厳として存在している。秦檜が功労者である事は疑いようがない。言いたい事を言い終え、皇帝はその場を立ち去った。只一人、泣き続ける老人を残して。斜めにそよぐ柳の枝葉が、秦檜には異世界のものに思えた。
これより二年後、秦檜は死去する。彼に遅れる事約五年、趙構は崩御し、高宗の廟号を追贈された。高宗、そして次代の孝宗になっても、南宋政府が彼に明白な売国奴の烙印を押す事はなかった。




