おかあさん
『……わかった』
リリアさんが。静かに——頷いた。
その瞳には。深い、哀しみと。それでも、揺るがない覚悟が、宿っていた。
『アデライド。最後に——もう一度。あなたと、こうして。話せて、よかった』
リリアさんが、アデライドへと。そっと、近づいていく。その手が、アデライドの胸元へと。ゆっくりと、伸ばされて——。
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でも。
その手が。ほんの一瞬、止まった。
リリアさんの視線が、アデライドの傍らで泣きじゃくるイザベラへと——注がれる。
この子から、母親を奪う。たとえ、それが——救いだとしても。この手で。親友を。そして、その娘の、母を。
リリアさんの、指先が。かすかに——震えた。
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でも。
それも、一瞬。
リリアさんは。ぎゅっと、唇を結んで。もう一度、まっすぐに——アデライドを、見つめた。
『……ごめんね、アデライド。そして——ありがとう』
その手が、アデライドの胸へと。すうっと、沈み込んでいく。
光が——あふれた。
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『あ……ぁ……』
アデライドの身体から、黒い靄が。ずるり、と——引きずり出されていく。その靄の奥に、ひときわ濃い——闇の、核のようなものが。リリアさんの手に、掴まれて。
『——ぁ、あ、あああッ!?』
闇精霊が。絶叫した。
『は、離せ……! 離さ、ないか……っ!』
闇が、激しく暴れる。リリアさんの手から逃れようと、アデライドの魂にしがみつくように。黒い靄が、ぶわりと——膨れ上がる。
「——っ、く……!」
リリアさんの顔が、苦痛に歪んだ。引き出そうとする手が、じりじりと——押し返されていく。
『無駄だ……! この女の魂は、私のもの……! 誰にも——渡さ、ない!』
(……リリアさんが、押されてる)
まずい。このままじゃ、リリアさんが。闇に——呑み込まれて、しまう。
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その、ときだった。
『……お母さん。一人で、戦わせたり、しない』
精霊になった、シルヴィアが。リリアさんの隣に、すっと寄り添った。両手をかざして、淡い光を——送り込む。
「ぼくも! ぼくも、手伝う!」
ピピが。つぶらな瞳を、ぎゅっと閉じて。ちいさな身体から、精一杯の水の光を——放つ。
『フン。……仕方ない、な』
フェンも。やれやれと言いつつ、風をまとった光を——リリアさんへと、重ねていく。
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(……私も)
周りを、見て。私も、目を瞑った。
じっと。心を、込めて。祈る。
(どうか。アデライドを、救って。イザベラから、お母さんを奪わせないで。みんなの想いよ、リリアさんに——届け)
指輪が、あたたかく応える。私の中の力が、ひとすじの光になって。リリアさんへと——流れていく。
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その、ときだった。
ふわり。ふわり、と。
草原の、あちこちから。淡い光が、湧き上がってきた。
(……あれは)
闇が現れたとき、怯えて姿を消していた——あの、小さな精霊たち。湖のほとりの、憩いの場に棲む、精霊たち。それが、一つ、また一つと。戻ってきて、私たちの祈りに寄り添うように。やわらかな光を——リリアさんへと、送りはじめた。
まるで、この場所を。自分たちの、大切な場所を。穢す闇を、許さない、とでも、いうように。
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精霊たちの。私の。そして、草原じゅうの、ちいさな光の。すべての祈りが、ひとつに——集まっていく。
リリアさんを、包み。その手に——力を、与えていく。
黒い靄が、光に灼かれて。じりじりと——後退していく。
『な……っ、馬鹿な……! こんな、ものが……!』
リリアさんの手が、再び——闇の核を掴む。今度は、もう、緩まない。
『——もらうわ。アデライド、ごと。あなたを』
光の中へと、闇の核を。アデライドの魂ごと——引きずり出していく。
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『おのれ……おのれぇ……!』
闇精霊の輪郭が、光の中で。ぐずり、と——崩れて、いく。
その、崩れた闇の中から。無数の、人の顔が——浮かんでは、消えた。苦悶に歪んだ顔。泣き叫ぶ顔。虚ろな顔。きっと——これまで、この闇に喰らわれてきた、人たちの。なれの果て。
いくつもの悲鳴が、重なり合って——響く。一つの、声では、ない。何十、何百という、絶望の合唱。
闇精霊の身体が。どろり、と。黒い泥のように——崩れ、溶けていく。
そして——消える、間際。
その濁った目が、ぎろり、と。イザベラを——捉えた。
『——道連れ、だ。せめて……この、娘も——! 呪われ、ろ……ッ!』
闇精霊の、最後の力が。黒い鏃のように、まっすぐ——イザベラへと放たれた。
「——イザベラ!!」
私は、叫ぶ。でも、間に合わない。あの闇が、イザベラに——。
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その、瞬間だった。
ふわり、と。
イザベラの前に、光をまとった——シルヴィアが、舞い降りた。
そして。その身体で、黒い鏃を受け止める。いや——弾き、返した。
ぱぁん、と。光が弾けて。闇の鏃は、霧のように——掻き消えた。
『——っ!?』
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シルヴィアが、ゆっくりと。イザベラの前で、振り返る。優しく、微笑んで。
『……もう、大丈夫よ』
その横顔は。どこか——安らかで。長い間、抱えていた、何かから。ようやく、解き放たれたような。そんな、表情を、していた。
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『あ……ァ……』
最後の、悲鳴を、残して。
闇精霊は、光の中に。完全に——消え、去った。
あれほど、草原を覆っていた、闇が。嘘のように——晴れていく。
そして。
その場に、残されたのは。
ぐったりと力を失った、アデライドと。その魂を抱きとめる——リリアさんの姿、だった。
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「……おか……さま……」
イザベラが、喉の奥から、絞り出すように呟いた。よろよろと立ち上がり、母のもとへと——駆け寄る。
「……おかあさま……! いや……いやよ、おかあさま……っ!」
アデライドの瞳が、うっすらと開く。もう、そこに、闇の色はなかった。ただ——穏やかで。優しい、母の、瞳。
「……イザ、ベラ」
アデライドの手が、震えながら。娘の頬へと、伸ばされる。
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「ずっと……あなたを。一人に、して……ごめん、ね」
「そんな……あやまらないで……! わたし、わたし、おかあさまのこと……何も、知らなくて……っ」
「いいの。……いいのよ」
アデライドが、涙を流す娘の頬を。そっと、撫でる。
「あなたが——無事で。本当に……よかった。あなたは。わたしの……たった一つの、宝物。生まれて、きてくれて……ありがとう」
「おかあさま……おかあさまぁ……!」
イザベラの慟哭が、晴れた草原に——響いた。
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『アデライド。……そろそろ、時間よ』
リリアさんが、優しく声をかける。アデライドの身体が、少しずつ——光の粒に。なっていく。
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リリアさんが。ふと、シルヴィアの方を見た。
『シルヴィア。……立派に、なったわね』
『……お母さん』
シルヴィアは。涙も見せずに、ただ、穏やかに微笑んだ。
『うん。……ありがとう。最後に、また、会えて』
『ええ。……あなたが、無事で。本当に、よかった。どうか、幸せに、ね』
『いってらっしゃい、お母さん。……アデライドさんと、一緒に。ゆっくり、休んで』
その別れは。哀しいというより——どこか、あたたかく。穏やかな、ものだった。
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「……リリア。あなたが、迎えに来て、くれて。よかった」
アデライドが。穏やかに——微笑む。それから。最後に、もう一度。イザベラを、見つめて。
「イザベラ。幸せに、なりなさい。あなたの、周りには。こんなにも——あなたを想ってくれる、人たちが、いるわ」
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その視線が、ふと、私たちの方を向く。シルヴィアを。ユリウスを。そして、私を。
「……あの子たちを。どうか——」
言いかけて。アデライドの表情が、ふいに、曇った。
何か。大切なことを。思い出した、かのように。
「……っ、そうだ。気を、つけて。あなたたち——」
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アデライドの、声が。切迫した、ものに、変わる。
「闇は——あれだけでは、ない。もっと、大きな……もっと、恐ろしい、ものが。この国の、奥に……あの、人の——」
でも。
そこまで、だった。
アデライドの身体は。もう、ほとんど、光に包まれていて。
「……どうか。気を、つけて……」
その言葉を、最後に。
アデライドの姿は、リリアさんと共に。あたたかな光の中へと——溶けて、消えていった。
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後に、残されたのは。
晴れ渡った、草原と。涙を流す、イザベラと。
そして——胸に、刻まれた。最後の、言葉だけ、だった。
(……あの、人?)
アデライドが、最後に。言いかけた、言葉。「あの人」とは——一体、誰のことなのか。
まだ。何も——わからない。
でも。確かに、感じていた。この戦いは。まだ——終わっていないのだと。




