記憶に、残らない人
王妃との、お茶会から。数日が、過ぎても。
あの、虚ろな瞳の余韻は。私の中に、こびりついて、離れなかった。
あの底知れない、闇の気配。「長く生きられるわ」という、脅し。間違いない。あの人は、危険だ。私が追っている、何かの中心にいる。
でも。
(……そういえば)
ふと、思い出した。
あのお茶会の、帰り際。王城の、長い廊下を、エマと歩いていたとき。すれ違った、一行が、あった。
侍従たちに、囲まれた。きらびやかな、装いの、一団。その中心に、いたのは。
(……あれが。王様、だったよね)
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不思議だった。
あんなに、印象的だった、王妃のことは。一挙手一投足まで、鮮明に、思い出せる。なのに、王様のことは。
(……どんな、顔だったっけ)
思い出そうとしても。なぜか、像が、結ばない。
立派な、衣装。きっと、整った、身なりだったはず。それなのに。顔も。背格好も。声も。まるで、霧がかかったように、ぼんやりしている。
確かに、そこに、いた。すれ違った。なのに。まるで、最初から、誰もいなかったみたいに。記憶が、すり抜けていく。
(……なんで、だろう)
ただ地味なだけ、じゃない。存在感が薄いだけ、でもない。もっと不自然な。記憶に引っかからない。輪郭が溶けていくような。そんな、奇妙な感覚。
(……そういえば)
もっと、前にも。
あの、最初の夜会。私が初めて、王妃の寒気を感じた、あの夜。あのときも。王妃がいたなら、当然、王様だって。どこかに、いたはずだ。国の催しなのだから。
なのに。
(……まったく、覚えてない)
あの夜のことは。イザベラの酷薄さも。王妃の、底なしの瞳も。ユリウスの、横顔まで。鮮明に、覚えているのに。王様の姿だけは。記憶の、どこにも、ない。
最初から。そんな人は、いなかった、みたいに。
(……ずっと、そうだったんだ)
いつも、そこにいる。なのに、誰の記憶にも残らない。まるで、自分から存在を消しているみたいに。
(……気のせい、かな)
私は、軽く、頭を、振った。
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その、もやもやが。すっきりしないまま。私は、エマに、何気なく、尋ねてみた。
「ねえ、エマ。……王様って。どんな方なの?」
「王様、ですか?」
エマは、少し、きょとんとした。それから、首を、かしげる。
「そう言われますと……。あまり、お噂を、聞きませんねえ」
「噂を、聞かない?」
「ええ。王妃殿下や、イザベラ王女殿下のお話は。社交界でも、よく耳にします。でも、王様は……あまり表に、お出にならないというか。政務も、近頃は王妃殿下が取り仕切っていらっしゃるとか」
(……王妃が、取り仕切ってる)
「ご病気、なのかしら」
「さあ……。そういう、お話も。聞きませんし。ただ、なんと言いますか。……いらっしゃるのは、確かなのに。話題に、のぼらない、お方なんですよね。不思議と」
(……話題に、のぼらない)
エマの言葉が。妙に、引っかかった。
いるのは、確か。なのに、誰も、語らない。記憶に、残らない。
私が、廊下で、感じた、あの、感覚と。同じ、だった。
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その夜。
私は、自室で。あの、すれ違いの記憶を。もう一度、たぐり寄せて、みた。
精霊士の目で。あのとき、私は、何を、感じていた、だろう。
王妃のときは。はっきり、わかった。あの、濃く、淀んだ、闇の気配。むせ返るような、寒気。
なら、王様は。
(……あれ?)
思い出して。私は、ぞくり、とした。
王妃のときの、ような。明確な、気配は。なかった。でも。
無、でも、なかった。
むしろ。あの一行の、中心。王様のいた、その場所だけが。ぽっかりと。気配が、抜け落ちて、いた。
まるで。何かを。覆い隠す、ための。深い、深い。静寂のような。
普通の人なら。生きていれば、必ず何かしらの気配が、にじむ。喜びも、苛立ちも、疲れも。なのに。あの場所だけが、不自然なほど、何もなかった。
まるで。底の見えない湖の、水面のように。表面は静かで、何もないように見えて。その、ずっと奥に。何か、途方もないものが。沈んで、眠っているような。
(……っ)
背筋が、冷たく、なった。
(……何、これ)
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『……みどり』
肩の上で。ピピが、ぽつり、と。
『……僕も。あのとき。なんだか変な感じ、したんだ。あの、真ん中の人。怖いわけじゃ、ないんだけど。なんか……見ちゃいけない気がして。目を、そらしちゃった』
(……ピピも)
無邪気な、ピピが。目を、そらした。それも、また。不自然だった。
『フェンは、どう思う?』
私は、心の中で、問いかけた。けれど。
『……さあな』
いつもは、饒舌な、フェンが。珍しく、言葉少なだった。
『……あまり。私からは。言えることが、ない。ただ』
「ただ?」
『……あの気配には。近づかない方が、いい。今は、まだ。それだけは、確かだ』
フェンの声に。いつもの、軽さは。なかった。
(……フェンが。ここまで、言うなんて)
あの、飄々としたフェンが。明確に警戒している。それが、かえって私の不安を煽った。
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(……王様)
いるのに、いないような。誰も語らない、王様。気配が、ぽっかりと抜け落ちた、不思議な存在。
王妃が放つ、あの強烈な闇の気配とは。まるで、種類が違う。でも。
(……無関係、とは。思えない)
なぜか。そう、感じた。
王妃の、すぐそばにいて。なのに、誰の記憶にも残らない。気配を隠すように、静まりかえった存在。
まるで。あえて。目立たないように。気づかれないように。何かを、待っているような。
(……でも)
私は、首を、振った。
考えすぎ、かもしれない。今、追うべきは、王妃のこと。暗号のこと。王様まで、気にしていたら。きりがない。
(……今は。一つずつ)
そう、自分に、言い聞かせる。
けれど。心の奥の、隅っこで。小さな棘のように。あの、不思議な感覚が。ちくり、と残り続けていた。
いつか。この、違和感の、意味を。知る日が、来るのだろうか。
窓の外。今夜も、王城の尖塔が。夜空に、黒く、そびえている。
その、いちばん、奥。誰も、気に留めない、その場所で。
何かが。静かに。じっと。時を、待っている。
そんな、気が、してならなかった。




