三人の、友達
お茶会から、屋敷へ。
馬車に揺られながら、私は、どっと、押し寄せる疲れを、感じていた。
気を、張り詰めっぱなしだった。あの、本物の悪役令嬢を、相手に。一瞬も、気を抜けなかった。ピピの力が、なければ。きっと、もっと、消耗していた。
『おつかれ、みどり……。僕も、なんか、どっと、疲れちゃった』
肩の上で、ピピが、ぐったりと、伸びている。いつもの、はしゃぎっぷりが、嘘みたいだ。
(……ピピも、疲れてるんだ)
あの会場で、ピピは、ずっと気配を読み続けてくれた。それに——「ここの精霊たちが、力を吸われてる」と感じ取っていた。きっと、ピピ自身も、あの場の淀んだ空気に、あてられたんだろう。
「ありがとう、ピピ。あなたのおかげで、切り抜けられた。……ゆっくり、休んで」
『うん……。みどりが、無事で、よかった……』
ふにゃ、と、力なく笑って。ピピは、私の肩で、丸くなった。
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屋敷に、着く頃。
ふわり、と。馬車の窓から、一陣の風が、吹き込んだ。
『——戻ったか』
フェンだった。お茶会の間、ずっと、会場の外で、待機してくれていた。
(……フェン。ありがとう。何か、変わったことは?)
私は、エマに、気づかれないよう、心の中で、問いかけた。
『……ふん。無事のようだな。まあ、お前のことだ。心配は、していなかったがね』
相変わらず、素っ気ない。でも——その声に、いつもの、気だるげな余裕が、少し、欠けている気が、した。
『それより——みどり。あの場所。会場の、奥のほうから。妙な気配が、漏れていた』
(……妙な気配?)
『ああ。ぞわり、と、肌を撫でるような。冷たくて、昏くて……生き物の気配とも、違う。なんと言えばいいか……“ぽっかり空いた、穴”みたいな。すべてを、吸い込んで、しまいそうな』
(……穴?)
フェンの、言葉の、選び方に。私は、ぞくり、と、した。
あの、優雅なお茶会の、その奥に。何か、得体の知れないものが潜んでいた。ピピが言っていた、「精霊たちが力を吸われている」のと——きっと、無関係じゃ、ない。
『私も、長く、生きているがね。あんな気配は、そうそう、お目にかかれない。……関わらないほうが、いい。あれは、まずいものだ』
あの、フェンが。知的で、食えなくて、滅多なことでは、動じない、フェンが。「まずい」と、言う。
(……あの場所、やっぱり、何か、おかしい)
お茶会の心理戦に、気を取られていたけれど。本当に不気味だったのは——もしかしたら、イザベラ、その人より。あの、会場の奥に潜んでいた、“何か”のほうだったのかもしれない。
でも——それが、何なのか。今の私には、わからない。考えても、答えの出ない、問いだった。
(……一つずつ、だ)
私は、ひとまず、その不気味な気配のことを、頭の隅に、留めておくことにした。
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その夜。
お茶会の、出来事を、何度も、反芻していた。
特に——イザベラの、あの言葉が。頭から、離れない。
——あなたが、わたくしに、何をしたか。
シルヴィアは、イザベラに何かをした。それも——あの、底冷えする王女が。表向きは、淡々としていながら。内心では、ぐちゃぐちゃになるほどの。怒りと、憎しみと——悲しみを抱くような、何かを。
(……知りたい)
シルヴィアと、イザベラの過去。それを知らなければ。きっと、前には進めない。暗号の「あの人に気をつけて」の意味も。イザベラとの関係も。全部、その「過去」に繋がっている気がする。
(……まずは、エマに、聞いてみよう)
エマは、シルヴィアの、古くからの侍女だ。もしかしたら——昔のことを、何か、知っているかもしれない。
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翌朝。
髪を、梳いてくれている、エマに。私は、できるだけ、さりげなく、切り出した。
「ねえ、エマ。……昔の、わたしのこと、聞いても、いい?」
「昔の、お嬢様、ですか?」
「うん。……記憶が、ないでしょう。だから、わたし、昔の自分が、どんなふうだったのか。よくわからなくて。特に——イザベラ王女殿下とは、昔、どんな関係だったのかな、って」
エマの、手が。ほんの一瞬、止まった。
「……イザベラ王女殿下、ですか」
エマは、少し、言いにくそうに、口ごもった。それから——記憶を、辿るように、ゆっくりと、話し始めた。
「昔は……それは、仲が、よろしかったんですよ。お嬢様と、イザベラ王女殿下。それに——ユリウス様も」
(……え)
(……ユリウスも? ……いや、それより)
一瞬、言葉を、失った。
(……イザベラ様と、仲が良かった……?)
思わず、櫛を持つエマの手を、見つめたまま、固まってしまった。
あの、イザベラと。あの、底冷えするような目で、人を見下し。お茶会で、淡々と、私を追い詰めた——本物の悪役令嬢と。シルヴィアが、仲が良かった?
冗談、でしょう。
あの夜会で、初めて向き合ったとき。私が感じたのは、純然たる、敵意だった。シルヴィアと、イザベラは、宿敵同士。そうとしか、思えなかった。なのに——昔は、友達?
(……うそ。ぜんぜん、想像つかない)
「ええ。お三方は、幼い頃から、よく一緒に遊んでいらして。身分の差は、ありましたけれど。そんなの関係ないくらい、仲の良い……本当に、仲の良いお友達でした」
(……あの三人が)
無邪気に、笑い合う。幼い、シルヴィアと、イザベラと、ユリウス。——その光景を、思い浮かべようとして。でも、今の、あの酷薄なイザベラの顔が、どうしても邪魔をする。結びつかない。あの王女に、そんな子供らしい時代が、あっただなんて。
でも、エマが、嘘を、つく理由は、ない。
つまり——本当に。かつては、そうだったのだ。あの三人は。
「でも——あるときから。お嬢様が、イザベラ王女殿下と……距離を、置くように、なられて」
エマの、声が、沈んだ。
「何があったのかは……わたしには、わかりません。ただ——お嬢様が、ある日を境に。王女殿下のことを、避けるようになって。それから——王女殿下も、だんだん変わっていかれて」
「変わって?」
「ええ。昔の、あの、明るい王女殿下は……どこにも、いなくなって。今のような……その、冷たい、お方に。まるで——別人みたいに」
(……別人みたいに)
その言葉に。私は、ひっかかりを、覚えた。
「エマ。……お嬢様が、王女殿下と、距離を置くように、なったのって。いつ頃の、こと?」
エマは、少し、考えて。それから——どこか、痛ましそうに、答えた。
「……お嬢様の、お母様が。お亡くなりに、なった、頃でした」
(——っ)
心臓が、とくん、と、鳴った。
シルヴィアの、母。亡くなった、実母。
その、死を境に。シルヴィアは、イザベラと、距離を置き。イザベラは、変わって、いった。
(……母の、死が。関係してる?)
「お母様のことは……わたしも、あまり詳しくは存じ上げないんです。お身体を崩されて——とは、聞いていましたが。お嬢様は、その頃のことを、ほとんどお話しになりませんでしたから」
エマは、申し訳なさそうに、目を、伏せた。
「お力に、なれず……すみません。わたしが、お仕えするように、なったのも。ちょうど、その、少しあとで。それより、前のことは……」
「ううん。ありがとう、エマ。十分だよ」
私は、微笑んで、首を、振った。
エマも、すべてを、知っているわけじゃ、ない。むしろ——核心は、何も。でも、それでも、大きな手がかりを、得た。
(……母の、死。三人の、友情。そして、決別)
点と点が。おぼろげに、繋がりかけて——でも、まだ、線には、ならない。
シルヴィアの母は、なぜ亡くなったのか。その死と、イザベラとの決別に、どんな繋がりがあるのか。なぜ、シルヴィアは、親友だったイザベラを避けたのか。
(……エマが、知らないなら)
残る、手がかりは——一人。
あの、三人の友情を、共にした、もう一人。ユリウス・グランツ。
彼なら——知っているはずだ。あの日、何が、あったのか。
(……ユリウス様に、聞かなきゃ)
街で、別れたとき。彼は、言っていた。「いつか、君が、ちゃんと向き合える日が来たら。そのときは、僕も、力になる」と。
(……今が、その時、かもしれない)
私は、窓の外を、見やった。
シルヴィアが、遺した、謎。母の、死。イザベラとの、決別。
その、真ん中に——きっと、答えがある。
怖いけれど。知らなければ、ならない。
たとえ、それが——どんなに、つらい、真実だったとしても。
(……待っててね、シルヴィア。あなたの抱えてたもの。少しずつ、わたしが、解いていくから)
胸の奥が。応えるように、ほんのり、温かく、なった。
その、温もりに。背中を、押されるように。
私は、ユリウスに、会う決意を、固めた。




