初仕事
レイラの気苦労など露知らず朝の支度を済ませ、騎士団員たちに混じって食堂で朝食を摂ったジンはギルドを訪れていた。
ギルドには既に多くの住民たちが来ていて、対応してくれる課の受付前に長い列を作っている。
もちろんそのほとんどが女性だったが、ちらほらと男性の姿も見えた。
そしてその男性たちが、女性たちが作っている列を無視して直接受付嬢に声をかけるのは、この世界では当たり前のことなのだろう。
そんな生活関係の課があるスペースを素通りしたジンは、冒険者登録をした時に一度訪れていたためか、迷いのない足取りで目的の課に足を進めて行く。
ぶら下げられた看板に『冒険者課』と書かれたそのスペースは、他とは違う異質な空気感を漂わせていた。
それは冒険者たちが、防具や武器といった普通の住民では身につけていない装備を身に着けているためだ。
全員が女性冒険者とは言え、傍から見て粗野な印象は拭えない。
そんな空間に一切の迷いなく足を踏み入れたジンは、きょろきょろと周りを見回し何かを探している。
(ええと、依頼掲示板は……あそこか)
冒険者は危険な職業ということもあり、当たり前だが男で冒険者になるという物好きはいない。
必然的に、ジンは女性冒険者たちの中に混ざることとなり、比較的華奢な女性たちの中では彼の体格の良さが際立つ。
しかし、ジンがわざわざ自分の存在を客観視などするはずもない。
人混みの中、上手く人を避けながら何も気にせず進んで行く。
すると、ジンが掲示板に辿り着く前に、どこからか小さく悲鳴のような声が上がった。
「えっ!お、男っ!?」
この後のクエストについていつも通り仲間と話していたその女性冒険者は、何やらデカい人影が目の端に映ってしまい何気なく確認したのだろう。
そうしたら筋骨隆々の後ろ姿が視界に映り、あまりの驚きに思わず声を発してしまった。
見方によれば彼女も被害者なのかもしれない。
しかし、その声を聞いた他の女性冒険者たちの視線を一身に集め、モーセの海割りのごとく一斉に距離を取られたジンもなかなかに可哀想だ。
自分の前に一瞬にしてできた掲示板までの道。
その道にぽつんと立つジンは、予想外に目立ってしまい困った顔で頬を掻く。
「あぁ……いや、あの、私のことはお気になさらず……」
平身低頭、穏やかに声をかけるジンだが、むしろそれが逆効果だった。
相手が男だということで恐縮している女性冒険者達は、ジンの言葉遣いに戸惑いは見せるが動かない。
そんな彼女たちを見て『これ以上声をかけても無駄だな』と判断したジンは、居心地の悪さを感じながら掲示板の前に立った。
(んー、どれがいいかな。あ、これとか報酬良いな…………ん?)
手早く選んでしまおうと手頃な依頼書を手に取ろうとしたジンの目が、ある依頼書に留まる。
日焼けで紙全体が黄ばみ、依頼内容を記載する文字すらところどころ掠れて読めない。
数ある依頼書の中でも1番年季が入っているその依頼書は、掲示板の1番右下でひっそりと哀愁を漂わせていた。
(これ、依頼日から1年以上も経ってる。誰も受けない理由は何だ?)
少し気になったジンは、依頼の内容に目を通して見た。
すると、何故この依頼が1年以上も放置されているか腑に落ちたようだ。
(なるほど……。依頼内容は治療薬のない短期変異型ウイルスの治療と難しいが、その報酬が……リンゴ3個か)
受けた時のデメリットはあるが、メリットなどないに等しいクエスト内容に少し考え込むジン。
だが、1分もしない内に笑みを浮かべた彼は、まっすぐその依頼書を手に取った。
そしてそのまま、迷いなく受付カウンターへ進むのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あの後、受付嬢に『ほ、本当にこれで大丈夫でしょうか?』と何度も確認されながらクエストを受けたジンは、依頼者の家に向かっていた。
目的の家がある場所は、黒銀の騎士団本拠地がある中心街から外れた郊外。
(随分寂しい場所だな……)
ロベルタは辺境の地と言われているが、中心街には多くの店が立ち並び活気がある。
しかしこの場所は、良く言えばのどかだが、悪く言えば廃れている。
ここに家を構えたら買い物に行くにも一苦労だろう。
簡素な住宅がぽつぽつと、十分過ぎる間隔を空けて建てられているだけの場所を、ギルドで貰った地図を頼りに進んでいくジン。
たまに遊んでいる子どもたちの姿が見えたが、どの子も細く十分な食事がとれていないようだった。
(地図に記されているのはこの家だな……)
住宅街を彷徨うこと10分ほど。
目的の家を見つけたジンは、迷うことなく扉をノックした。
すると壁が薄いせいか、まだ扉が開いていないというのに、家の中から幼い子供の声と思われる元気な声が聞こえてくる。
「ユリ姉!だれかきたぁ!でていい?」
「ちょっと待って!お姉ちゃんが出るから!……あ!コラ!」
舌っ足らずな幼い声に続き、慌てる女の子の叫び声が聞こえたかと思えば、キィーという音とともにドアが半分ほど開いた。
が、ジンの視線の先には誰もいない。
ドアの隙間から、明かりの点いていない暗い室内が少し見えるだけだ。
不思議に思ったジンが首を傾げたその時。
「うわぁ、おっきいひとだぁ!!」
ジンが視線を向けていた箇所よりかなり低い所から声がした。
すぐにジンが視線を下げるとそこには、美しい金髪をした5歳くらいの女の子が、キラキラとした瞳でジンを見つめていて。
ジンがほぼ真下を向く形でようやく目が合うくらいの身長差があるにも関わらず、その女の子に物怖じした様子はない。
しかし、『怖がらせてしまったら大変だ』と思ったジンが膝をつこうとしたその時。
ガっと全開になった扉からまた別の少女が姿を見せた。
「こらルル!勝手に出ちゃダメで……しょ……」
面倒見がいいらしいその少女は、娘を叱る母親のような貫禄を見せながらジンの前に登場した。
栗色の髪を両サイドでおさげにしたその女の子は、ルルと呼ばれた子よりは大きい。
が、それでも10歳を少し過ぎたくらいだろう。
好奇心旺盛な妹へお説教をしていた少女は、妹に向けていた視線を何気なく来訪者がいる前へ向ける。
しかし彼女の視界に入ったのはジンの下半身。
どうせ顔馴染みのおばさんが訪ねてきたのだろうと思っていた少女は、想像もしていなかったガタイのいいシルエットに驚き、パッと視線を上げる。
そこで初めてジンと目が合った。
「あ……え?だ、だれ……え?だ、男性様……?」
「驚かせて申し訳ない。少しこの家の人に用があって……」
まだ10歳ちょっとの少女にも男尊女卑の考えは教え込まれているらしい。
一瞬で顔を青くさせた少女の頭の中には、様々な考えが巡っているのだろう。
どうして男性がこの家に。
何か問題を起こしてしまったのか。
それより男性を迎え入れる時に失礼なことはなかったか。
いや無いわけがない。
ルルが礼儀の欠けた言葉を発したし、自分の対応も最悪だった。
そこまで一気に思考を進めた少女は、妹ルルの首根っこを掴んでバックステップを踏む。
そのまま流れるように床に頭を擦り付ける様は、もはや芸術的とも言えるほど洗練された動作だった。
「大変申し訳ございませんっ!!私はいかなる処罰も受けます!ただこの子はまだ幼くてっ……」
気丈な態度でジンに謝罪をする少女だが、声も体も耐えられぬほどの恐怖により震えている。
幼い子供がしたこと。
ジンが暮らしていた日本では、ある程度のことは許してやらないと周囲から厳しい目を向けられるのは大人の方だ。
しかしこの世界では年齢など関係ない。
どれだけ小さい子供でも性別が女ということには変わりない。
男に不敬だと言われれば、本人に責任能力があるのであれば本人が、ないのであれば母親が罰を受けるのだ。
しかし、少女たちは運が良かった。
今彼女たちの前に立っているのは、勝手に訪ねてきたくせに『頭が高い』と文句を言う男ではない。
むしろ……。
「謝らなくて大丈夫だよ。俺の方こそ急に来ちゃってごめんね。驚かせちゃったよね」
「…………へ?」
少女が予想していたものとかけ離れた穏やかな声。
しかも、謝罪を口にしたどころか、玄関先の地面に膝をついて目線を合わせる配慮までしてきたのだ。
まだ幼い少女は、実際に男と会った回数など片手で数えられるほどだろう。
それでも絶対に、今目の前にいる男が普通な訳が無いということは理解できた。
未知の生物に遭遇してしまった少女は重力のまま下顎を落とし、ぽかーんと口を開けている。
するとジンは、自分をガン見するその視線に気付き、ようやく目が合ったと嬉しそうにはにかむ。
「俺はジン。名前教えてもらってもいい?」
「……ぁ。あ、あ、えっと……私はユリアです!この子はルルで……この後ろにいる子はララって言います」
「……?後ろ?」
「あ、ほら、ララご挨拶……」
視界の中には2人の姿しか見えず、不思議そうにするジン。
そんな彼を見て、ユリアが自分の背後を振り向き声をかけた。
すると、一拍の間を空けてユリアの後ろからぴょこっと、ルルと同じ金髪の頭が見えた。
ボーイッシュなショートヘアをしたルルより少し長いセミロング。
たったそれだけの違いだが、怯えた目でジンを見つめるその子……ララは、気の弱そうな見た目からか庇護欲を掻き立てられる可愛らしい雰囲気を醸し出していた。
そんなララの姿を確認したジンは、彼女の恐怖を取り払えたらと優しく笑いかける。
が、それでも突然現れた見知らぬ人間への恐怖心は拭えなかったのか。
ピクッと体を揺らしたララは、再びユリアの背に隠れてしまった。
「こ、こら!ちゃんと挨拶しなさい!……す、すいません!この子人見知りで……」
「ああ、大丈夫だよ。気長に仲良くなれるのを待つよ」
恐縮しっぱなしのユリアを安心させるよう、ゆっくり穏やかな口調を意識して話すジン。
そんな彼は家に入れてもらうのもそこそこに本題に入った。
「ここに来たのはギルドでクエストを受けてきたからなんだ」
「え?く、クエストって、まさか……」
「うん。1年くらい前に依頼されてたやつ。ウイルスの治療って書いてあったんだけど……」
そこまで話したジンは、家に入った時から気付いていたワンルームの家の奥にいる存在に目をやる。
そこには、床に敷かれた布団の上で、静かな呼吸をしながら眠っている1人の女性がいた。
布団から覗いている首や腕は病的に細く、それだけ痩せていても分かるほど美しいその顔は、暖かみのない白色に染まっていて。
僅かに上下する胸の動きがなければ、生きているのか分からない弱々しさを感じさせた。
「あの女性はお母さん?」
「はい……。1年前に森で魔物に襲われて。傷自体はたいしたことなかったんですけど、その時ウイルスに感染してしまったんです。最初は風邪みたいな軽い症状だったのに、どんどん悪くなっていって……。最近は1日に数時間しか目を覚まさないくらいで……」
「……治療薬はないって書いてあったけど、ヒールも効かないの?」
「……ヒールは効くみたいです。でも……」
途中で言葉を切ったユリアが、表情を曇らせる。
おそらくその先には受け入れたくない現実があるのだろう。
それでもユリアは、口にしたくない事実を苦しそうに呟いた。
「母は……聖魔法の適性がないんです」
ユリアが口にした言葉を、ジンも薄々察していたようだ。
特段驚いた様子は見せなかったが、少しだけ残念そうに視線を落とした。
この世界において、病気や怪我の治療方法は主に2つあり、一般治癒と魔法治癒に分けられている。
一般治癒は、人が持つ自然治癒力や薬を使った原始的な方法。
万人に対して施すことができ、1番メインの治療方法だ。
一方で魔法治癒とは、その名の通り治癒魔法を使った治療方法であり、治療時間が短く効果も大きい。
一般治癒なら全治1ヶ月の怪我を数日ほどで治せたり、魔力さえあれば調剤などの前準備が必要ないので使い勝手がいい。
しかし、もちろん魔法治癒も万能ではなく、聖魔法の適性がある者にしか効果がないのだ。
つまり、聖魔法の適性がないユリアの母親に魔法治癒は施せない。
なら一般治癒でと思っても、元々治療薬がない上に、短期変異型ウイルスということで、対応する新しい薬を作っている途中でその性質を変えてしまう。
為す術がない絶望的な状況が今日まで続いていた。
「騎士団の医療班に所属しているイザベラさんがたまに見に来てくださるんですが、鎮痛剤で苦しさを和らげるくらいしかできないそうです……」
「そうか……」
治療のプロがダメだというなら、素人には何もできない。
言葉を無くして黙り込むジンを前に『ああ、やっぱりダメか……』と、ユリアは内心落胆していた。
が、それでも、男性であるジンが、わざわざここまで来てくれて、気にかけてくれたことに笑顔でお礼を言おうとした。
その時だった。
「よし、分かった!じゃあ俺に任せて!」
ユリアを真っ直ぐに見つめたジンは、ニカッと笑顔を浮かべ沈み込んでいたユリアの頭を撫でた。
この世界で子供の世話をするのは母親の役目。
父親などという人間は、子供にとってはないに等しい存在だ。
だからこそ、自分の頭を優しく撫でるその大きな手に、今まで感じたことのない『暖かさ』を感じたユリアは、理由も分からないまま涙腺が緩むのを感じた。
そして、何の根拠もないくせに、心が……ジンに希望を見出していることに気付いた。




