赤い白雪姫
トガとニエはラークシャサ族との戦闘で重傷を負い、寝たきりとなってラーマとクシャトリヤ達に囲まれ看病されていた。
「そういやラーマの旦那、あんたらはなんでこんな森に居られるんで?」
「父の命令で十四年の追放生活をしている」
「十四年!?」
その場に居たクシャトリヤ一同が驚愕とした、さすがに十四年は長い、昼夜問わず、いつ獣に襲われるかも分からない深い森の中で、木の皮を身に包み、武器も弓だけの装備では人は一ヶ月も耐えられやしない、そんなことができるのは苦行者か聖仙、賢者だけだろうと誰もが考えていた、ラーマ達はそのどれにも当たらない若さ故に信じ難い事実だった。
「ち、ちなみに今追放されてから、どれくらい生活してるんで……?」
「ちょうど十三年目に入る、あと一年で終わる」
クシャトリヤ達は仲間同士でコソコソ話していた、いくら天食者といえども人である以上、森という規則や境界も正義もない世界で生きるのは辛いもの、食料も安定して取れはしない、災害もいつ起こるかわからない。雨季になれば特に酷く、洪水は起こりそれによって命落とすこともあれば、運良く助かったとして食料が取れない状況に三人置かれる。例え力がいくら強くとも人は寝なくてはならない。その間、獣に襲われれば永眠も免れない、自然は寛容なのだ、どんなことも許されている、故にどれほど残酷にもなれる。そんな世界で生きると考えるだけで凡人には気が遠くなる話だ。
「この子起きないわね……傷は大したことないはずなのに……」
シーターが一人悲しげに呟くとクシャトリヤの人間が一人、助言した。
「おそらく、ドゥーシャナのスパイスにやられたかと……」
「ドゥーシャナってラークシャサ族の?」
「ええ、あの人は神器から人を眠らせる粉を振りまけるのです、しかも厄介なことに、あの人の粉にかかった者が目を覚ましたところを誰も見た事ありません……」
「解毒出来るかどうかもわからないってことね……神器から出た粉なんて、この世のどこにも存在しない可能性がある……」
「もしお前達が不意にその粉にかかってしまった場合はどうしてた?」
ラーマが疑問を投げかける。
「その場合は……そのまま放置されるか、葬儀を執り行う事になっております……」
「ラークシャサ族にとっちゃ俺たちは家畜以下なんだ、どうなろうと気にしやしない……」
ラクシュマナが自分の考えを言う。
「ドゥーシャナ本人ですら解毒方法を知らない、もしくは知らなくてもいいとでも思っていたんでしょうね」
兄妹が寝込んでから三日が経った。
「う……うっ」
トガが目を覚まそうとしている。
「どこだ……ここは……」
「がるっ!トガ、起きた!」
「あら、起きたのね」
「お前は……」
「私はシーター、シーター・デーヴァよ、あなた達二人を大勢のクシャトリヤが運んできてね、色々してくれたのよ」
シーターが母親のように穏やかな微笑みをトガに向ける。
「そうか……ぐっ……!」
トガが胸の傷を苦しそうに抱える。
「まだ傷が痛むでしょう、あまり動かないでください、傷が広がってしまいますよ」
「ニ、ニエは……!?」
「その子、ニエって言うのですね、ニエなら、こっちのベッドに眠っていますよ」
ベッドと呼ぶにはあまりにお粗末すぎる物だった、草など柔らかいものを束ねた物の上に布を被せていただけだった。
「ニエ……シーター、俺はどれだけ寝ていたんだ?」
「三日です」
「三日も……見たところニエの傷は俺よりずっと軽いはずだ、見たところ完治している、だがなぜ起きない?ニエは俺よりずっと頑丈だ、どんな傷だって日にさえ当たれば、たちまち完治する……っ!」
「……」
「おい、どうした、なぜ黙っている!」
「ニエは敵……ドゥーシャナの眠り粉が体に入ってしまい傷は完治しても体内に粉が残り、起きないのです……」
「がる……ニエ……大丈夫……?」
「……!!なんとかしないとっ……!!」
トガは傷の痛みよりずっとニエの状況に苦悶している、眉間のシワはアスラ族ほど刻まれ、目の険しさはラーヴァナにも匹敵していた、歯の隙間から漏れる息遣いは蛇のナーガ族そのもの。
「落ち着いてください」
「落ち着いていられるかっ!」
「がるっ……怖い……」
トガの怒鳴り声にラーマ達が駆けつける。
「どうした、なにがあった」
「ラーマ様、彼は自身の妹の症状を知って取り乱しているのです」
「おい、お前何様か知らないがシーター様に怒鳴りつけるなど無礼にもほどがあるぞ!」
ラクシュマナが弓を握りしめ、トガに詰める。
「なんだ、てめぇはっ」
「ふん、まるで傷を負った哀れな獣だな、必死に痛みを堪えて吠えることしか出来ない……」
「クニール・クルシフィクションッ!!」
「危ないっ!」
ラクシュマナが息継ぎしないうちにトガは神器を腕に顕現させ、即ラクシュマナの足元に向かってフックを撃ち込む、撃ち込まれた地面からいつもの土や砂で出来た脆い棘ではなく、鉄にも負けない硬い棘の槍が三本生え、トガの刹那的殺意に勘づき、間一髪でラクシュマナを庇った。
「……!!」
「兄上ッ!」
「大丈夫だ、これくらい大したことは無い」
シーターは微笑みを崩し、目を見開いた、ラクシュマナは自分に敵意を向けられた事より、兄を傷つけられたことに激怒した……が傷を付けられた本人は顔色を何一つ変えなかった。
「よくも兄上を!」
「チッ、次は外さねぇ……」
「二人ともよせ!」
場はラーマの鶴の一声で静まった。
「力で黙らせ合うのは森の動物と何が違う?我々は森で十三年間過ごしたが自分たちを人間と誇り持って宣言できる、それはなぜか……我々は自然の規則ではなく、人の規則、ダルマに従って生きてきたからだ」
「ああ?ダルマ?ふん、なにをくだらねぇことを」
「このっ!」
「人間なんざ、畜生と何が違う?人間だって動物の内に入るんだ、なにを偉そうに言ってやがる」
「我々人間には動物にない規則がある、自然界は強者が己の力を心赴くままに振るい、弱者は虐げられるだけだ」
「そうだ、それが世界の真理だ」
「だがダルマの法のもとには、弱者であっても救われる、暴力ではなく規則や話し合いで解決出来る、それは人間にしか出来ない行いだ」
「はっ、しゃらくせぇ、そんなのを強者がわざわざ守るかよ、そんな弱者に有利なだけの法を強者に当てはめようなんざ、どう考えても無理がある」
「だが強者も守らなければ、平民達に反旗を翻され社会は崩壊する、その崩壊した社会に安寧はなく、誰もが闘争を絶え間なく強いられる、それは強者にとっても不都合だろう」
「それしきのことで憂いるような奴は強者でもなんでもねぇ、弱者と同じだ、結局立場が変わっただけだ、平民が集まり、元の王を打ち砕く、そのとき平民は強者だ、強者が絶対なのは変わらねぇだろ」
「集合してようやく強者となれるなら、それほど脆い存在もない、集団とは小さな綻び一つで、すぐに決壊するものだからだ、故に誰もがダルマの法を守るべきなのだ、規則さえ守れば誰もが幸福になれる、強者も弱者も関係なく、わざわざそれに背く必要は無い」
ラーマの言葉にシーターが続く。
「弱肉強食で常に緊張の絶えない自然の法、そのアダルマに唯一安息地をつくれるのは人間だけ、これほど素晴らしい事を成せる存在は人間にしかできない誇り高いことなのです」
「幸運なやつだな、殺意もってお前が攻撃をした結果が、人であれば誰もが自覚すべき説教をされることになるなんて、お前は尽きることの無い感謝すべきだ」
「……ふんっ」
「チッ、どこまでも救いようのないクズだな」
「あ?やんなら、外でやろうぜ……今度は両者の合意を得た決闘なら、てめぇのジジくさい兄も文句言わねぇだろ?」
「っ!なんて無礼なっ!その昆布頭をはねて、獣の餌にしてやる!」
「ラクシュマナ、その口を閉じるんだ、その言葉づかいは出す度、お前を内から腐らせる」
「申し訳ありません……」
「ふん、兄には逆らえないか、このブラコン野郎」
「ボクをなんと言おうが構いませんが、兄上の不敬は許さない」
ラーマが一息ついた後、トガに名を尋ねる。
「……お前、名はなんという」
「……トガ」
「トガ、お前はラクシュマナに苛立つことよりも優先するべきことがあるはずだ、お前がいくらラクシュマナと戦おうと無意味だ、例え勝ったところでお前の妹、ニエの現状は何も変わらない、そんな無駄なことをしても疲れるだけだ」
「……チッ、そんくらいわかってる……」
「苛立ちを抑えられないのね……どこか、それとも誰かにぶつけないと発散できないと人は考えます、でもそんなことをすれば次の怒りの種が生まれるだけ、もしくは一時しのぎにしかならず、解決はしないのですよ」
「だったらどうすりゃいいんだ」
「諦めるのです」
「あ?黙って溜め込めと?」
「いえ、そんなことは言っていません、私はただ道理を知り、怒りを捨てるように言っているだけなのです」
「はぁ?」
「因果応報、今のあなたの怒りは過去にあなたが行った事が結果として起こっただけなのです、その怒りの原因は誰でもなく、あなた自身が起こした事なのです、それなのに誰かのせいにしてどうするんです?自分の責任は自分で取るしかないのですよ」
「あんたら、夫婦だろ」
「ふふっ」
「話を聞けばわかる、よくお似合いだ」
「お前ごときにこの御二方を評する資格は無い」
「ラクシュマナ」
「はい……」
「プッ、ハーハッハッハッ!!」
トガが急に笑いを吹き出したことに、その場に居た全員が驚いた、あのラーマですら目を少し見開いた。
「何がおかしい」
「いやいや、お前らのやりとりに慣れたらなんだか笑えちまってな!ハッハッハッ!」
「ふふっ」
「ふん」
ラクシュマナは顰め面して、シーターは小さく笑い、場は和やかになっていた。
「そうだな、二人の話は理解できる……がまだ納得し難い」
「お前なぞに理解などできるわけが無い」
「チッ……」
舌打ちを打つトガと心底嫌そうに顰め面をするラクシュマナ。
夜になるとトガ達はこれからどうするか話し合った。
「体内にある粉を取り除く方法、つまり体内から排出させる方法は……サンサーラ・ターメリックを摂取させるのが早いでしょう」
「シ、シーター様!?それはっ!」
「なんだそれは」
ラクシュマナが嫌な予感を的中させたように止めに入り、トガはそのサンサーラ・ターメリックについて訝しむ。
「サンサーラ・ターメリックとはその身を転生させるが如くの勢いで新陳代謝をさせる香辛料です、どんな不調だろうと吹き飛ばし、ナーガの毒も完治させ、気分爽快スッキリ熟睡した後のように体調を整える香辛料です。ニエは解毒も不可能でしょうから今はそれしか……」
「ですがそのサンサーラ・ターメリックは我ら一族でも貴重な香辛料……デーヴァ神族でも限られた者にしか使用を許されない貴重品ですよ!?」
ラクシュマナは慌て、ラーマは静かに語る。
「人の一生ほどの時間をかけて育てるターメリックだ、バラモン未満は以ての外、余所者であるお前達に分けるのは父が到底許してくれないだろう」
「ならどうすればその許しを貰える?」
「ラークシャサの王、羅刹王ラーヴァナを退かせ、国をデーヴァ神族に献上できる英雄なら、その許しを貰えるだろう」
「なら手っ取り早く敵の頭をはね、暗殺すればいいか」
「そう簡単な話ではありませんよ、王を倒したところで次が控えている、ラークシャサ族は自然の掟を重んじる蛮族です、王が倒れれば、次の王を互いに狙い争い新しい王が君臨するだけですよ」
「しかし確実に強者は一人死に……互いに争い疲弊した所を狙えば漁夫の利で楽に国をとれる」
確信したトガと顔を若干しかめるラーマ。
「……」
「兄上はそういうやり方は好きじゃないんですよね、なのでやるなら一人でどうぞ」
ラクシュマナは隠しきれないしてやったりの顔でトガをあしらう。
「端から期待はしていない」
「トガ様、我々はあなたについて行きます、我々はあなたが国を取り返してくれると信じ着いてきたのです」
「あ?なんで勝手にお前らの悲願を俺に押し付けてんだ」
「……」
「だが、まぁ……互いの利害は一致している、着いてくんのは勝手にしろ、せいぜい足手まといになるな」
「トガ様!」
「ニエとガルーダはどうするのですか?トガ」
「チッ、ニエを連れての行動は不可能だ、心底納得いかないがニエはお前らに預ける、そしてガルーダもここでニエを守ってろ、ニエにもしなんかあったりすれば……」
睨みをきかせるトガ、とても人に頼みをする態度ではないとクシャトリヤの誰もが思った。
「わかった、ニエとガルーダは私たちが預かろう、シーターと同じくらい守ることを約束する」
ラーマは顔色一つ変えずハッキリ宣言した。
「はぁ、兄上がそうおっしゃるのであれば……大変不本意ですがボクも守りましょう」
「ふふっ、ラーマ様、ラクシュマナ様っ」
シーターは機嫌良さそうに笑った。
朝が来ると、生傷を抱えながらトガらはランカー城へ旅立ち、シーターらは敵陣へ向かう彼らを見送った。
「にしてもどうしてわざわざアイツの頼みを聞いたのですか?しかもシーター様と同じくらいに扱うとまで宣言するとは……」
「ラクシュマナ、私はダルマの法に従ったまでだ、例え彼らがラークシャサと戦わなくとも、私は倫理に基づいてニエを守る、見返りがなくともできる限りの事をするつもりだ」
「兄上……」
ラクシュマナは兄の無私の愛、誠実さに惹かれ、わざわざついて行く必要もないのに己の意思で危険な森へ兄について行ったのだ、それはシーターも同じだった。
「規則を徹底して守る、そんなところにも私は惚れたのですよラーマ様……」
シーターは二人に聞こえないほどの小声で囁いた。
森とは弱肉強食で規則のない混沌とした自然であり、全てを許容し、故にどこまでも残酷になれる危険地帯というのがこの国の共通認識です。




