【第8話】 立ち向かうべき時
裏口へ向かう途中のことだった。
(……これで……良いのか?)
確かに今の俺にはどうすることも出来ないかもしれない。
急に『バランセ』だの『呪文』だの『速攻技』だの言われても……。
理解できるはずもない。
理解しようにも、パズルのピースが少なすぎる。
だからこのまま逃げることは恥ではないと、普通は思う。
でも……でも……。
何だろう、この気持ちは……。
湧き上がってくる、この悔しい気持ちは……。
『女の子に守られて逃げるのぉ? かっこわる~、ダッサ~、キモ~い』
カエデにそう言われたことも理由の一つだけど、己の『選択』の不甲斐なさもあった。
立ち向かうことの出来ない自分が、とても悔しかった。
『やっぱりアナタには無理だったか……』
高校入試が迫るころ。
俺が第一志望の高校受験から逃げて、確実に受かる方に逃げた時、母はそう言った。
それは実力的に『無理だったか……』という意ではなかった。
失敗を恐れず立ち向かうのは『無理だったか……』の意だった。
しかも、その第一志望の受験は、俺より成績が良くない人が沢山受かっていたから尚更悔しかった。
逃げずに立ち向かっていたら、俺なら受かっていたのだ。
(くそ……)
また俺は、同じことを繰り返すのか?
あの時みたいに……。
(そんなの嫌だ……)
俺は立ち止まり、広間へ引き返した。
(やってやる……。俺なら出来るはずなんだ……)
あの二人は戦うだろう。それを見て、パズルのピースを揃える。
そうすれば……俺なら何とか出来るはず。
いや、絶対に出来る。
だって俺には『奥の手』があるじゃないか……!
(よし……まだ始まってないな……)
廊下から半身になって広間を覗き込むと、丁度対決が始ろうとしたところだった。
(この戦いを見て……ピースを集めるんだ……)
俺は集中力を高める。
「さあ、かかってきなさい、ユイ」
カエデは右手のナイフを器用に何回転もさせて、身構えた。
「言われなくても分かってるよ」
冬美崎はポケットから『バランセ』なるカードを出した。おそらく、あれが非現実的な現象を引き起こす源となっているのだろう。
冬美崎は唇を人差し指で撫でながら、静かに唱え出す。
「『触れること、叶わぬ幻想、凍結し。【零度光線】』」
唱え終えた瞬間、冬美崎が持っていた『バランセ』なるカードが消えた。それと同時に冬美崎のやや前方から青白いレーザーが複数に放出され、カエデに向かった。
多数のレーザーを、カエデはバク転、空中捻り、軽やかなステップでかわしたりと、常人離れした動きで掻い潜っていった。レーザーは貫いたものを芯まで見事に凍らせているようだが、標的に当たらなければ意味が無い。
レーザーが全て着弾し終えると、冬美崎の手元に『バランセ』なるカードが再出現した。そのカードを源に、冬美崎は再び唱え出す。
「……『左右の扉――」
「相変わらずノロマね! ユイ!」
冬美崎が唱える途中、カエデは素早く冬美崎に斬りかかった。ナイフは冬美崎の右肩をかすめる。冬美崎は肩を押さえながら座り込んでしまった。
「うぅ……痛っ……」
冬美崎が着る青い制服に、鮮血が滲む。肩を押さえながら座り込む冬美崎の真正面に、カエデは余裕の表情で立った。
「『速攻技』を使えず、『呪文』しか使えない雑魚のあんたが何で『キング』を守る部下に選ばれたのよ。あんたの先生もバカねぇ」
その発言が頭に来たのか、冬美崎はカエデを睨み付けて拳を振るった。その拳をカエデは軽やかなバックステップでかわして、冬美崎から距離を取った。
「ユイってさあ、コレかわせたっけ?」
ニヤリと言いつつ、カエデは冬美崎に向かって左手刀を突き出した。
(あの構えは……)
カエデが凄まじい稲妻を放出する前に、必ずしていた構えだ。
「【雷神――」
「や、やめろ!」
俺は反射的に、広間に飛び出していた。
(しまった……)
まだパズルのピースが揃っていないのに……。
冬美崎を助けようと体が反応して、つい出てしまった。
カエデと冬美崎は素早くこちらを向いた。ひとまず、カエデの稲妻を阻止することに成功したけど……。
「はあ? あんた逃げたんじゃなかったの?」
カエデは苛立ちの表情で、右手に持つナイフを器用に回転させた。
「……崎風くん?」
冬美崎は肩の傷を押さえながら弱々しくしている。
「い、いいからやめろ……。えっと……その……あの……」
俺がボソボソ言っていると、カエデは冬美崎に歩み寄った。そしてカエデは冬美崎の腹を、勢い良く蹴り飛ばした。
「あっ……ああああああ!」
広間に冬美崎の叫び声が響き渡る。
「な……何して……」
「はあ? 何? 何か言いたいことでもあるわけ?」
睨んできたカエデに圧されて、俺は視線を逸らしてしまった。それを見てか、カエデは見下すように鼻で笑った。
「あんたさあ、さっきから遠くでボソボソ言うことしかできないの? ウザいからこの場から消えてくんない?」
言いつつカエデはもう一蹴り。叫ぶ気力すらないのか、冬美崎は無言でもだえていた。
「さーて、ナイフで一刺しして終わらせよっかな~?」
カエデは横目で俺を見ながら、これ見よがしにナイフを振り上げた。銀色に輝くナイフの刃先が、冬美崎に向けられる。
「や……めろって……」
「はあ~? やめろって? やめてほしかったら、こっちに来て直接止めれば?」
カエデはナイフの刃先を冬美崎に近づけた。
(くそ……どう……どうすれば……)
震えた足は先を行かない。根をはった植物のように、地から離れない。
(くそ……もっとピースが……ピースが揃えば……)
何とかなるのに……と、俺が思った矢先のことだった。
「逃げて……」
冬美崎は、うずくまりながら言った。その一言に、俺はハッと冬美崎の方を向いた。するとカエデは何故かナイフを引っ込めて、不気味に微笑んだ。
「逃げて……。君は、命の引換券になる『バランセ』が埋め込まれてないから、ヤられたら死んじゃうの……。あっ……『バランセ』っていうのは『呪文』や『速攻技』を唱えたりできるカードのことで……って言っても、やっぱ解んないか……」
えへへ、と冬美崎は八重歯を見せた。
「でも……冬美崎は……?」
「私は……大丈夫……。命の引換券になる『バランセ』が埋め込まれてるから……。耐えられないほど苦しくなったら、それと引き換えに逃げることできるから……」
冬美崎は笑顔を付け加えた。『引き替えに逃げることができる』というのが、俺に心配をかけさせないようにするための気遣い(嘘)としか思えなかった。
「はいはい、楽しいお喋りはここまでー」
カエデは手をパンパンと叩いて、場を仕切り直した。
「じゃっ、続きを――」
カエデがナイフを向け直すと、冬美崎は素手でナイフを弾き飛ばした。ナイフは近くの床に音も無く突き刺さった。見た感じ、切れ味は相当のものだろう。
カエデは無駄の無いステップを踏んでナイフを拾いに行き、冬美崎から距離を取った。
「へぇ。まだそんなに元気あったんだ、ユイ。死んだふりってやつ?」
「へへ……。まあ、そんなところかな? 崎風くんを守らなきゃいけないし……。ピンチは乗り越えられる者にしか、神様は与えないからね……。こっから逆転するんだよ……私は……。自分には乗り越えられる力があると信じて動くんだ……」
八重歯を見せながら、冬美崎は苦しそうに立ち上がった。
(冬美崎……)
ここで俺の集中力は、過去にないほど高まった。
踏ん張る冬美崎の姿に奮起されて……。




