【第6話】 キングの駒
「あんたが『キング』の駒に設定されてたんだぁ」
意味不明なことを言いながら、女子はゆっくりと歩み寄ってくる。危険を感じて俺は立ち上がり、反転して外へ逃げ出そうとした。が、女子は瞬間移動したかの如く、俺の真正面に現れて立ちふさがってきた。
「な……何……何をしたんだ、おまえ……」
女子に怯えて、俺は再び尻餅を着いた。
「逃げても無駄よ。大人しくヤられちゃいなって」
俺は反転して立ち上がり、そのまま走って逃げようとしたが、あまりの恐怖に膝が折れてしまった。俺は四つん這いで不格好にも、女子から逃げる。
「だから無駄だって」
女子は瞬間移動したかの如く俺の真正面に現れて、胸ぐらを掴んだ。女子はそのまま片手で軽々しく俺を持ち上げて強引に立たせた。
「これで終わりよ。【シーグ、R】」
暗号のようなものを唱えた直後、女子の右手に刃渡り二十センチほどのナイフが現れた。銀色に光るナイフの刃先が、俺の首に向けられたと同時、遠くからテンポの速い足音が聞こえてきた。
間もなく、その主が姿を現す。
「止めろ! その者は一般人だ!」
足音の主は大学生風の男であった。前髪を上げた短髪。白シャツの上にデニムジャケットを羽織り、下には茶色いズボンを穿いている。
「なにバカなこと言ってんの? 頭、大丈夫?」
女子は俺からナイフを引き、男の方を向いた。俺はその隙に女子の手を解こうとしたが、ビクともしなかった。
「いいからその者を離せ、カエデ」
男は言った。どうやら女子は、カエデという名らしい。
「悪いけど、この病院に『キング』に設定された奴が向かったって情報を聞いてんの。おまけに、さっき病院全体に『バランセ』の所持者以外の者は限定的な期間に渡って存在を消す呪文をかけたのよ。だから、こいつがあんたらの『キング』ってのはバレバレ」
言いつつカエデが胸ぐらを掴む力を強めたので、俺の顎が少し上がった。
「いや、違う。その者は『キング』ではない。何らかの原因で『バランセ』を拾ったのだ。間違いない」
男は緊迫したおもむきで言った。その顔には、びっしりと汗が滲んでいる。
「あんた本物のバカね。現実世界に『バランセ』があるわけないでしょ? ていうか、もうめんどいから私が攻撃してこいつが『キング』かどうか確かめるよ」
カエデは再びナイフの刃先を俺に向けた。
「違うんだ!」男は叫んでカエデの動きを止めた。「彼にはまだ、命の引換券となる『バランセ』が埋め込まれていな――」
男は何かを言いかけて、ハッと口を紡いだ。
「今、口を滑らせたわね? あと致命的なミスが一つあるわ。あんたが現実世界に来てるってことよ」
「……それがどうかしたのか?」
顔を強張らせる男に対し、カエデはニヤリと微笑む。
「つまり、それって『キング』が現実世界に居るって言ってるようなもんじゃない。ご丁寧にリーク通りの病院に来ちゃってさぁ。あんたらバカでしょ?」
「……くそ! やるしかないのか!」
男はポケットから、見覚えのあるカラフルなカードを出した。するとカエデは俺をソファーに突き飛ばした。
「『美しき、業火の――」
男はカラフルなカードに向かって念じるように、何かを唱え始めた。それに割り込むようなタイミングで、カエデは男に向かって左手刀を突き出した。
「ノロマめ! 【雷神槍――殺】」
カエデは男に左手刀を向けつつ、暗号を叫んだ。
直後、カエデの左手刀から、子どもが絵に描いたようなジグザグで黄色い稲妻が放出された。稲妻は荒々しくうなりながらも、男の心臓部を的確に貫いた。
無音に放出された極太の稲妻は、男を貫いた後、分散して消え去った。
「ここまでか……」男は床に両膝を着けた。「逃げて下さい! 崎風守さん!」
「……え? ……あ……えっと……」
俺はソファーから離れるのが精一杯であった。
「早く! 早く逃げて下さい!」
モタつく俺に苛ついたのか、男は怒鳴った。
「う……あ……」
足が震えて立ち上がることができず、俺は四つん這いになって逃げる。
「そのままカエデを気にせず逃げて下さい! 私がカエデと敵対している限り、君が戦う意志をカエデに向けなければ攻撃は弾かれ――」
プチュン、という情けない音と共に男の声は途切れた。俺が背後に目をやった時には、男の姿はもう無かった。
「さあ、邪魔者は居なくなったわ。これで心置きなく『センカ』を終わらせられる」
ナイフを手にしたカエデが、ゆったりとしたペースでこちらに歩いてくる。
(そ、そうだ……警察……警察に……)
俺はスマホを出して、震える手で『110』をダイヤルした。瞬間、カエデは消えるような速さで俺の真正面に来て、スマホを近くに蹴り落とした。
「電波を遮断する結界が病院全体に張られてるから、どのみち無駄よ?」
カエデは近くに落ちた俺のスマホを踏んづけた。スマホはバキッと音を立てて、画面にヒビが入る。
「おま……おまえ……こんなことして、ただで済むと思うなよ……。け、警察はちゃんと調べるんだ……逃げても逮捕される……」
「あんた、さっきから白々しいわねー。『センカなんか知らない、無関係だ』って演技してるつもり?」
「おまえこそ……何を訳の解らないことを……。病院の人たちだって何処に――」
俺は恐怖で思わず先の言葉を飲み込んでしまった。すると、カエデはムッとした。
「……演技にしては上手すぎる……。あんたさ、服脱いでくれない?」
「……は?」
「いいから脱げ」
カエデは俺の胸ぐらを掴み、そのまま持ち上げて強引に立たせた。そしてカエデはナイフの刃先を俺の首に当てた。金属のヒヤリとした冷たさが、俺の背筋を凍らせる。
「死にたくないでしょ?」
カエデは俺の耳元で囁いた。ゾッと、俺の背筋が二重に凍てつく。
「……わ、分かった……分かった……。な、ナイフを退けてくれ……」
「学ランだけでいいから脱ぎなさい」カエデはナイフを引っ込めた。
俺は震える手でボタンを外し、その場に学ランを脱ぎ捨てた。直後、カエデは俺の白シャツを下から強引に捲り上げて、俺の上半身裸を観察し始めた。
「命の引換券になる『バランセ』が心臓部に埋め込まれてない……。どういうこと?」
言うと、カエデは素早く俺のシャツを戻して、何かを考えるように腕を組んだ。何もかもが急で、俺は乱れた白シャツ姿のまま、その場で硬直していた。
「おかしい……。『センカ』の参加者は全員、命の引換券になる『バランセ』が胸に埋め込まれてるはずなのに……。でもさっきのバカが私の攻撃を阻止したのは、こいつが『キング』であることをバレないようにするためよね……。それにこいつの名前を知ってたし……。つまりこいつが『キング』ってのは、ほぼ確定……。それなのに、こいつには『バランセ』が埋め込まれてない……。そして本気で知らないような素振り……。でも――」
カエデはぶつぶつと考え事を口に出し続けていった。
ここまでで解ったことは二つ。
俺がカエデに『キング』と呼ばれていること。
何らかの理由でカエデに命を狙われていること……。




