【第5話】 華麗なる侵略者
病院の広間には、多くの人がソファーに座って診察待ちをしていた。
マスクをした老人、母親と幼い娘、スマホをいじりながら待つ金髪の男性、眼鏡をかけたスーツ姿の男性等、ソファーに座る人々を横目に、俺は受付に向かった。
(……そういえば、バスを降りた時から痛みが無いような気が……)
俺は受付の前で立ち止まった。右手のハンカチを捲ると、手のひらの傷は、かさぶたすら剥がれた状態にまで治癒していた。手首から中指の先端にかけてまで、一本の綺麗な傷痕が残っている。
「あの、どうかされましたか?」
受付の前で立ち往生する俺を不思議に思ったようで、受付からナースが声をかけてきた。
「ああいや、えっと、大丈夫です。失礼します……」
首を傾げるナースを横目に、俺はその場を去った。
院内をあてもなく逃げ進んだ先に、紙コップ式の自販機があった。ひとまず近くのソファーに腰をかけた。俺は右手の傷痕を確認――。
(……この傷は何なんだろうな……。いつの間にかできていたり、あんなに血が流れていたのに、こうも早く治ったり……。それに、何で不破の妹は――)
頭の中で色々考えていると、俺の前を一人の女子が通り過ぎた。反射的に女子が行った先を見ると、女子は自販機の側の窓から外を眺めていた。
女子の服装は、上が赤のジャージで下は黒のハーフパンツといった動きやすそうな格好。肩までギリギリ届かないほどの短髪は運動に最適で、とても爽やか。
それらの特徴を見て、俺の脳内が勝手にカシャカシャ動いて推測を始めた。
その結果、彼女は運動系の部活帰りに、怪我をしたか、或いは怪我した友達の付き添いか? そういった理由で病院に立ち寄ったのではないかと、俺は推測していた。
(ん? 外に……何かあるのか?)
短髪の女子は、窓から外を眺めている。その姿を俺がボーっと見ていると……。
不意に、短髪の女子は鋭く速くこっちを向いた。
(げっ……)
俺と目が合うと、短髪の女子は速足でこちらにきて、真正面に立った。
「ちょっとそこのあんた。聞きたいことあるんだけど?」
短髪の女子は可愛らしい声で攻撃的に言った。
女子はやや垂れ目で、あどけなさが残る可愛らしい顔立ちだった。いや、一言に可愛らしいのではない。まるでアイドルのように、周りの空間が煌めいて見えるほど可愛らしかった。
目を奪われるというのは、正にこのことか。俺は女子の可愛らしさに釘付けになっていた。
「何? ワタシの顔に何か着いてる?」
「え? あ、いや、何でも」
見惚れてたなんて言えず、俺は視線を逸らすことでごまかした。
「まあいいわ。ちょっと訊きたいことがあるんだけど?」
「あ、ああ……何だ?」
再びきちんと対面した時、彼女の背丈が女子にしても少し低いことが分かった。あどけなさが残る顔立ちも考慮に入れると、中学生ぐらいかもしれない。
そしてやはり、周りの空間が煌めいて見えるほどの可愛らしさがあって眩しい。
「この病院の南東の端っこって、この辺りで合ってる?」
「……南東? あ、ちょっと待っててくれ」
俺は地図アプリを開いて確認してあげた。
……うん、ここが病院の南東で合ってるな。
「そう……だな。このへんが病院における南東の端っこだ」
「ふーん、ありがと」
どういたしましての意を込めた会釈と共に、俺はスマホをしまった。
「もう一個だけ訊くけど、ポニーテールでバカっぽいことを言う、身長は一七〇センチぐらいで無駄にスタイルの良い冬美崎ユイって人、ここに来てない?」
「冬美崎……ユイ?」
カシャカシャカシャッと脳内でクラスメートや他のクラスの名前、過去の知り合いや友達の名前から、俺はその人物を瞬時に検索した。
しかし該当する者は居なかった。
「……いや、知らないな……。この辺に来てるのか? だったら探してもいいぞ、時間あるし」
本当は家に帰りたくないだけなんだけどね……。
「別に、見てないならいいわ。自分で探す。ありがと」
女子は背を向けて、颯爽と廊下の先を歩いていった。正面の可愛さを知ったからなのか、女子の後ろ姿も俺には煌めいて見えた。
(……変な奴……)
かくれんぼでもしてるのか……?
まあいいか、と俺はスマホを片手にカフェオレを飲み進めた。
(まだ早いよな……。家に帰ってもロクなことないし……)
今日は母さんの帰りが早い日だ。勉強しろだの言われるの嫌だし……。
図書館で自習してた、とか言ってごまかすか。
カフェオレを飲み干した後、俺はスマホをポケットにしまいながらソファーに深くもたれた。その拍子に、先ほどの女子がいつの間にか正面で腕を組んで立っていることに気付いた。
「え? な、何だ?」
俺は心臓を小爆発させていた。
……いつの間に……? 音も気配も感じなかったぞ……。
「雰囲気だけはアイツに似てるわね。顔は全然だけど」
とだけ言い残して、女子は短髪をサラッとなびかせながら、広間の方へ去っていった。なびく髪にも、煌めくオーラが纏っている。
「……ビックリした……。何なんだあいつ……」
速く鼓動する心臓と共に、俺はカフェオレの紙コップをゴミ箱に捨てた。その拍子、足下にカラフルなカードが一枚、落ちているのを発見した。
「何だこれ?」
俺は何気なくカードを拾い上げた。カラフルなカードは、縦にすれば手のひらの中に収まるほど小さい。一般的に市販されているトランプより一回りほど小さいぐらいか。色とりどりのラインで構成されたチェック柄が全体にビッシリと描かれている。
(占いの道具か?)
何気なく裏返して見ると、表と全く同じ図柄だった。
……誰かの忘れ物?
(しょうがない。受付の人に渡しとくか。貴重品かもしれないし)
俺はカードをポケットに入れて、広間へ出た。
広間の中央には、先ほどの短髪の女子が腕を組んで立っていた。
(……何だ……?)
診察待ちしている様子でもない。
何かを探すように、視線をあちこちに散らしている。
そういえば、人探しをしていたな……と俺が思った矢先のことだった。
女子は右手を高く上げて、
「『設定者に告ぐ、できれば四陣、無理なら三陣、妥協の二陣――』」
……呪文(?)のようなものを唱え始めた。静かな病院の広間で注目の的になり、場に居る全員が『何だ何だ?』といった感じで女子の顔を覗き込む。
「『バランセが作る陣内の、現実世界人の存在除去を許可し――』」
ここで俺の体に異変が起こった。
いや、広場に居る全ての人も同じことが起こっていると思う。
(か……体が……)
動かそうとしても、動かない……。
(な……何だ……これは……。声も……出ない……)
広間に居る者も、皆、動こうと抵抗しているのか、小刻みに震えている。その中であの女子は唱え続けていく。
「『それが王の設定ならば、華麗なる侵略者を醸し出すことを許可しろ、契約者名は大道寺カエデ。【デミ、クリア】』」
次の瞬間、眩い白光と共に、広間の人々は跡形も無く消えた。
――俺と女子を残して。
女子は残った俺に気付くと、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「見ぃ~つけた♪」
女子は口元を緩ませたまま言った。
ここで金縛りは解け、俺はその場に尻もちを着いた。




