【第13話】 束の間の休息
病院で起きたことは夢じゃない。左手に埋め込まれた『バランセ』を見れば一目瞭然だ。
あの後、冬美崎ユイに『呪文』で傷を治してもらったことだけは覚えてる。
治してもらってる時は意識がもうろうとしていて、気付いた頃には多くの人で溢れる病院の広間のソファーに座っていた。傷が治るだけでなく、カエデにズタボロにされた制服も、踏んづけられたスマホも新品同様になっていた。
俺は寝間着姿で、ベッドの上で仰向けになって両手を再確認した。
左手には『7』のバランセ。
右手には、手首から中指の先端にかけてまでの傷跡がある。
「冬美崎ユイ……カエデ……センカ……キング……バランセ……呪文……速攻技……」
天井を見つめて呟いていると……。
『コンコン』
部屋の扉がノックされたと思って、俺はドキリとしていた。
母さんに、何か言われるのでは……と。
でも『コンコン』と音を立てたのは、窓だった。
(なんだ窓か……。焦った……)
俺はホッと息を吐いた。
さっき窓を鳴らしたのは、風か何かだろう。
ここはマンションの五階。『人がノックする』なんてこともあり得ないし、そもそも音自体が空耳だったのかもしれない。
『コンコン』
二度目の窓からの『音』。
風が強いのかな、と俺は窓のカーテンを開けてベランダを見た。
(えっ……)
ベランダを見て、俺は驚きすぎて声を出せなかった。
ベランダには、ポニーテールでスタイルの良い女子が立っていた。身長は一七〇センチの俺と同じくらい。女子は青い制服に身を包んでいる。襟、袖の先端と裾が赤く塗られていて、スカートの裾も赤い。
冬美崎ユイだった。
(え、ちょ、え?)
人って本当に驚いた時は声に出ないんだな……。なんて言ってる場合じゃないか。
冬美崎は俺と目が合うと、ヒラヒラと両手を動かした。そして『開けてー』と口を動かしていることが分かった。
俺はゆっくりと窓を開ける。
「ヤッホー、崎風くん」
ニッコリ言うと、冬美崎はピースしたのだった。
「……え、あ、ふ、冬美崎? 何でここに……」
「ちょ~っと用があってね」
冬美崎はウィンクを付け足した。
「……ここ五階だぞ? どうやってここまで……。いや、その前に何故俺の住所を知ってるんだ?」
「え? それはね~、企業秘密だから言えない」
……よく分からないが、このまま立ち話をするのも何だしな……。
いやでも……家に入れて母さんに見つかったら……。
(ええい、しゃあない……)
俺は自室の扉の鍵をかけて、冬美崎に入ってもらうことにした。
「と、とにかく、入っていいぞ……」
俺はベランダの窓を閉めて、大扉の方を開けた。
「え? 大丈夫?」
「あ、ああ……。大声出さなければ……」
「ありがとー。んじゃ、お邪魔しまーす」
言いつつ冬美崎は靴を脱いで、中に入った。
俺と冬美崎は、テーブルで向かい合う形で座った。
部屋で女の子と二人きり……。
人生初の状況で何を話せばいいか分からず、しばらく気まずい沈黙が続いた。
「あっ、そうだ!」
沈黙を破ったのは冬美崎。俺は辛うじて「何だ?」と反応することに成功。
「崎風くん、体調の方は大丈夫? いくら怪我が治っても、流れた血は戻ってこないから安静にしてなきゃダメだよ。頭がクラッてしたりしない?」
「あ、ああ……大丈夫だ……。怪我とか治してくれて、ありがとな」
「えへへ、どういたしまして」
冬美崎は八重歯を見せてハニカミながら、後ろ髪をいじった。冬美崎の緩い反応は、俺の緊張を解いてくれた。それが冬美崎の持つ独特の空気感なのかもしれない。
「冬美崎、あのさ……一つだけ訊いてもいいか?」
「うん、なになに?」
「病院でのことなんだが……」
「あっ、そうそう。色々説明しないとね。何から話そうか? センカのことから話した方がいいかな?」
俺が頷くと、冬美崎は咳払いをした。
「まず、私たちは『裏設定』っていう、バランセが普及した世界の住人なの」
「裏設定?」
「そう。この現実世界の裏に設定された世界のこと。崎風くんにも解りやすいように言えば、異世界ってとこかな? そこに居る二人の王様が、あるトラブルによって、センカっていう『兵力を競い合う行事』をすることになったの」
俺は冬美崎の話を聞き入れる。
「そのセンカの最終目標である『キング』の駒に設定されたのが崎風くんってこと」
やはりそうか……と、俺は呟いた。
「あのさ、冬美崎……俺に対するカエデの攻撃が弾かれた時があったよな? それってまさか、キングの近くにその味方が居たら、敵の攻撃は弾かれるという法則があるからじゃないか?」
「うん、その通りだよ。キングが敵に『戦う意志』を向ければ、その効果は打ち消されるけどさ」
なるほど、と俺は深く頷く。
「崎風くん。センカについて、他に何か訊きたいことない?」
「あ、いや、センカの概要については大体理解できてるし、詳細については後でいいよ」
俺は拳を口に当てながら、一息挟んだ。
「でも最後に一つだけ……何故俺なんだ? 大体、俺は王の兵士じゃないし、バランセの存在すら知らなかった俺に、キングの駒を任せるのは愚策じゃないか?」
「あー、んー、それが解んないんだよねー。思い当たる節はあるけど、私側の王様に訊いてみないことにはさー」
冬美崎は腕を組んで「うーん」と唸った。
「まあ、解らなければいいよ。まとめれば『厄介なことに巻き込まれた』だな。とにかく今日は少し疲れたからさ、裏設定やバランセのことの詳細は今度ゆっくり説明してくれ」
言っている最中、俺はとてつもなくまずいことに気付いた。
「そ、そうだ。センカはまだ続いてるんだよな? また俺を狙うカエデみたいな兵士が来るのか? どうすればいい?」
俺を落ち着かせるように、冬美崎はゆっくりと首を横に振る。
「今から明日の朝にかけては絶対大丈夫だよ。私が保障する。だから明日までは安心して休んで」
「そう……か……」
俺は、ほっと息を吐いた。
何気なく部屋の時計を見ると、時刻は午後八時を回るところであった。
「……じゃあ冬美崎、今日はこれで。早く帰らないと親が心配するぞ?」
「そーしたいのは山々なんだけどねえ。センカについて詳しく話したいこともあるしぃ。ちょっとここで休憩したいんだよねぇ」
「えと……親は……大丈夫なのか? 心配しないか?」
「うん。色々あってね。私なら大丈夫」
「へえ……」
俺と同じ境遇なのかな……?
家に帰ったら、親が『勉強しろ』だのうるさい、とか。
だから帰りたがらないとか……?
「にしても殺風景な部屋だねえ」
色々考えていると、冬美崎は俺の部屋を見渡しながら言った。
「殺風景って……そんな酷いか?」
「だあって漫画とかゲームとか無いじゃん。本棚に問題集がビッシリ。殺風景極まりないよ」
「しょうがないだろ? ゲームとか親に禁止されてるんだから。遊ぶ暇があれば勉強しろって……」
「へえ~。崎風くんも大変だねえ」
ニンマリと微笑む冬美崎。その姿を見て、俺はホッとしていた。
(良かった……こんなに元気で……)
病院で弱々しくしていたイメージが強いので、元気の良い冬美崎の姿は俺をホッとさせた。
血行が良くなった冬美崎の顔は可憐だった。図抜けて美人という感じではないけど、人を惹きつける、ナチュラルな可愛さがあった。
笑うと八重歯が見えるからか、取っつきやすい空気感がある。
「どしたの? さっきからジーッと見つめて」
「あ、別に……」俺はすかさず視線を逸らした。「今日会ったばかりでこんなこと言うのもなんだが、こんなに元気のある冬美崎を見るのは嬉しくて、つい……」
「ふーん?」
変なの、と冬美崎が呟いた、その時だった。




