外伝・人形遣いは再確認する
「……おやおやおや、こんなところで君と会うなんて。実に奇遇じゃあないか」
……なんてこった。
この女とこの店ではち合うなんて。
ここの紅茶はずいぶんとお気に入りだったんだが。これはもう、ここには来ないほうがいいかねェ。
「あら、ご機嫌よう。ふふふ、そんなに嫌そうな顔をなさらなくてもいいじゃない。私と貴女の仲でしょう?」
と、ふざけたことを言うこの女は、はっきり言うとこの私、クリステラの天敵だ。
致命的に考え方が合わないし、笑みも喋り方も態度も全てが鼻につく。
さながら下水を流れるドブ水のようなものさ。
魂まで腐った臭いがプンプンしていて、どれほど香水を振っていたとしても隠し切れやしない。
こんな女の顔など1秒たりとて見ていたくはないな。
仕方がない、まだ席に着く前だった私が別の店に行くとするか。
「ふふふ。いつになくせっかちね、ステラ。良いじゃない、せっかくなんだからもう少しお話しましょうよ」
ドブ女のマインが、店を出ようとした私を呼び止める。
「お生憎様。私はマインと違ってヒマじゃあないのさ」
「いつもは平気で夕方までダラダラ寝ているクセに。そんなに忙しいなら、もっと早起きして時間を作ったら?」
「いつも2時間かけて化粧しているよりはマシさ。よほど素顔に自信がないようだねェ。私は、化粧などしなくても困ったことがないから、君の苦労は理解できないよ」
「ふふふ」
「ははは」
マインが手にした扇子をパタンと閉じた。
そしてゆっくり立ち上がると、顔を寄せてきて囁く。
「ねぇ。あんまりつれないことを言うなら、また貴女の可愛い弟君を誘惑してあげてもいいのよ?」
あ゛ぁん……?
「……色ボケも大概にしたまえよ? そもそも君、少し前に新しい彼ピとやらができたって吹聴して回っていなかっかい?」
「ああ、あの子。向こうから情熱的に迫ってくるもんだからついオーケーしちゃったけど、何回か搾ってあげたらもう勘弁してくださいって泣かれちゃってね。今頃は故郷に帰って、ママのオッパイでも吸ってるんじゃないかしら?」
このドブ女は、相変わらずドブカスだねェ。
化粧と服装で良い女のフリをするのが上手いから、初見の若い男の子はコロッと引っかかったりするわけだ。
で、なによりドブいのが。
「だから、また耳のピアスが増えてるのか。相変わらずの悪趣味っぷりだよ」
この女、付き合った男が増えるたびに、新しくピアス穴を開けてピアスを一つ増やすんだ。
なんでも、処女を貫かれる代わりに相手の男に穴をあけてもらって、そこに相手の男のイメージに合うデザインのピアスをつけるのだとか。
だからこの女の両耳には、左右合わせて50以上のピアスが刺さっている。
いくら古アルブ族の末裔で耳が長くとんがっているといっても、もう穴だらけで刺さるところはほとんど残っていないほどだよ。
「君みたいなド腐れ女を、可愛いセリーに近づかせるわけにはいかないなァ……」
「あら、怖い。けど、それなら良いでしょう? 弟君のかわりに、少しぐらい私とお喋りしてちょうだいな」
……仕方ないねェ。
「良いだろう。そのかわり、一番良い紅茶を頼ませてもらうよ。ティーポッドが空になるまでは、君の無駄話に付き合ってやろうじゃないか」
「ふふふ。じゃあ、そちらの席にどうぞ?」
こうして私は、腐れドブカス女とティータイムを始めたのであった。
まったく。
せっかくの紅茶の香りが台無しだよ。
◇◇◇
「で? 弟君は、結局誰と付き合うのかしら?」
……初っ端からふざけた質問が飛んできた。
「君ねェ。……ふぅ。そんなの私が知りたいぐらいだよ! セリーのやつ、お姉ちゃんにも全然教えてくれやしないんだから!」
「あら、意外。貴女のところの姉弟仲なら、相談ぐらいしてそうなものなのに」
ほんとうにね!
まったくセリーの奴ったら。
秘密主義というかなんというか。
例のダンジョンボーナスのことだって、私にすら内緒にしていたわけだからな。
もっと早く教えてくれていれば、私の検証ももっと捗ったというのに!
「じゃあ、貴女から見て、誰が一番可能性が高いのかしら?」
「……それは、私の私見を述べろと?」
「ええ。一緒に住んでて身近で見ているんだから、いくら恋愛経験値ゼロの貴女でも、なんとなく感じ取れることはあるのではなくて?」
……誰が恋愛ザコだってェ?
だがしかし。
そうだなァ……。
「セリーからの矢印が一番大きいのは、シオンだろうねェ」
「それって、少し前から住み始めた錬金術師のこと? へぇ、意外ね」
「意外でもないさ。セリーは歳上で背が高くて美人で知的で抱擁力のある女性が好きなんだ。むしろドストライクだろう」
「……ふぅーん?」
む。このドブ女にセリーの趣味を教えたのは失敗だったか?
系統を合わせてこられると厄介かもしれないな。
「そんな怖い顔しないでほしいわね。ちゃんと貴女が私とのお喋りに付き合ってくれたら、弟君には悪さしないわよ」
どうだか。
ドブ臭い口から出た言葉にどれほどの重みがあるのやら、だよ。
「しかし、そうなのね。ふぅん……」
と、マインが扇子で口元を隠し、何かを考え始めた。
私も、多少はドブ臭くなくなったので紅茶に口をつける。
うん。美味しい。
「まぁ、もっとも。シオンのほうがどう思っているかは分からないけどね。好意的には思っているだろうけど、直近で男関係に失敗しているから、案ずるところも色々ありそうだ」
「弟君も、クソ野郎かもしれないって?」
「まさか。自分には資格がない、とか思っていそうだってことだよ」
「ああ、そういう。……可愛らしい娘ね」
マインがいやらしく嗤うが、このドブ女にはシオンの葛藤などカケラも理解できないのだろうな。
感謝とか負い目とかを感じる心など、持ち合わせていないだろうし。
「けどそれなら、余計に気になるわね。誰が弟君をモノにするのか」
「おいおい、セリーは物じゃないぞ」
「でも、優良物件ではあるでしょう? 少なくとも、そこいらの実力だけしかない男どもよりは、よほど素敵だと思うけど」
「男ならなんでもいいくせによく言う」
「美味しいに越したことはないわ」
「腐ったものでも平気なくせに」
「腐りかけが一番美味しいのよ?」
ああ、そうかい。
やはりこの女とは、意見が合わないね。
それに。
「本当に。誰になるのかしら。……誰になったら、面白いのかしら」
「…………」
「元気な子かしら。生意気な子かしら。お茶目な子でも良いんだけど、どういうふうに進展するのかしら。……ふふふ、ふふふふふ……」
ニヤニヤとして、あれやこれやを考えている。
この女は、まだ有りもしないことを夢想しては、それをつらつらと書き綴っておくのが趣味らしい。
未来に想いを馳せると言えば聞こえはいいが、現実がどうだとか実際はどうなったとか、そういうことを確認するよりも、自分の頭の中の想像のほうが大切らしい。
だから、私とは致命的に考え方が合わないのだ。
私は、現実を一つずつ確かめて、解き明かしていくことにこそ意義があると考えている。
知らないことを認識し、分からないことを理解していく。
形のないものに名前をつけ、混沌を切り分けて整理する。
そしていつも現実が、私の予想を超えていく。
それを突きつけられることこそが喜びであり、そのために私はダンジョン探索をしているのだからな。
人様の色恋に口を挟んで、あーでもないこーでもないと囀るこの女とは、やはり仲良くできそうにない。
私は、紅茶を飲み干して立ち上がった。
「まぁ、好きに夢想したまえよ。いずれにせよ、私には関係のないことだ」
「あら、もう行っちゃうの? もう少し、付き合ってくれてもいいのに」
「お生憎様。私は忙しいんでね」
君のように有りもしないことを考えている暇は、ないのさ。