外伝・女錬金術師は決断する・1
「実はね、セリー君。……私、婚約者に騙されていたかもしれないの……」
私の言葉に、テーブル向かいのセリー君が表情を固くした。
うん、やっぱりそうなるよね。
私も今でも信じられないもの。
でも、騙されていたかもなんて言ったけど、心のどこかでは間違いない事実だと受け止めている自分もいる。
あの人はもう、私のところに帰ってこないのだろう、って。
私、シオンは、婚約者であったアカサ・ギーダさんに、多額のお金を持ち逃げされてしまったのだ。
「……婚約者に? ……穏やかではありませんね」
その通りだ。
とても悔しい。
心がずっとザワザワしていて、一人でこのことを考えていても埒があかない。
だからこうして、全然関係ないセリー君に話を聞いてもらっているわけで。
せめてこうして話をすれば、少しはこの心も軽くならないかと。
私はそんなつもりでセリー君に、どうしようもない話をしようとしている。
「……詳しいお話を、聞かせてください」
いつもはニコニコ笑って元気な声で喋るセリー君の、いつになく静かな声と真剣な表情に、私は少しドキリとしながら、
「……実はね、」
と、私の心を苛む出来事を、セリー君に打ち明け始めた。
◇◇◇
「……つまりシオンさんは、錬金術師として弟子入り先の工房で修行をしつつ、いつかは自分の店を持つのが夢だったと」
そう。
私の夢は、母やバク叔母さんのような、立派な錬金術師になることだ。
だから王都の国研高(国立研究院附属高等学校のことだ)に通って必死で勉学に励んだし、
卒業後は母の知人の工房に弟子入りをして、錬金術師としての知識と経験を積んできた。
そして苦節数年、ようやく半人前と呼ばれることがなくなってきて、師匠からも今後の自分の進む道をきちんと考えるように言われるようになってきて、
今まで蓄えてきた、修行中に受けた依頼の報酬を元手にして、自分の店を開くという夢の第一歩を踏み出そうとした、その矢先。
弟子入り先の工房からの帰りが、いつもより少し遅かったある夜。
私は、アカサさんに出会った。
「……最初は、全然好きとか嫌いとかなくてね。ただ、少し変わった人がいるだな、くらいに思っていたの」
春前のころ、だったかな。
町中の街灯の下にうずくまって何かをしている男の人が見えて、こんな時間に何をしているんだろうと思って遠目に見ていたら、
「突然立ち上がって、大きな声で言うの。やった、ついに繋がったぞ、って」
それで、突然のことでビックリして声が出ちゃったんだけど、
そしたらアカサさんは「驚かせて申し訳ない、けどこれを見てほしい」って言って、足元に作られた砂山と、その砂山を貫くトンネルを見せてきたの。
「変わってる人だなぁって思いながら、いかにそのトンネルを通すのがたいへんだったかの話を聞いていたんだけど」
気づけば、近くのレストランで一緒にご飯を食べていて、また今度一緒に遊びに行こうって話になっていて、
何回か会っているうちに、自然と惹かれていく自分がいて、
アカサさんからの、結婚を前提に付き合ってほしいって言葉にも、特に悩む必要もなく頷いていたの。
「以前、セリー君に獲ってきてもらった、太陽の赤石ってアイテム。あれね、本当は2人の婚約指輪を作るために必要だったの」
私が作れるアイテムの中で一番効果の高い「太陽の指輪」は、あの石がなければ錬成できない。
だから、セリー君にお願いして、赤石を獲ってきてもらったの。
「……そうだったんですね。……けど、シオンさん、指輪なんてしていましたっけ?」
「今にして思えば、そこで変だと気づくべきだったのかもしれないわ」
私が、2人分を指輪を作るって言ったら、アカサさんは「女性の貴女に作ってもらうなんて、男としてのプライドが許さない」って言ったの。
それから「それよりも、貴女の夢である錬金術アイテムの店を立ち上げるための資金にするといい」って言われて、
私の蓄えてきたお金と、アカサさんの持っていたお金を一纏めにして管理する話になって、
そのお金を担保にして、もう少し大きなお金を借りようって話になって、
家とお店が一緒になった物件を探して、土地や建物の購入のためのお金を、お店の経営者となる私名義で借りたところで、
アカサさんは、どこかに行ってしまった。
借りてきたお金と、私たちのお金を全てまとめた金庫と一緒に。
「……二週間ぐらい前に忽然と姿を消して、最初の数日はすごく心配したわ。何か大きな事件や事故に巻き込まれているんじゃないかって」
けど、そこからアカサさんのことを探していたら、どんどん変な話が出てきた。
「アカサさんが住んでいるはずの住所には全然別の人が住んでいて、アカサさんが勤めているはずの会社の人からは、そんな名前の従業員はいないって言われて」
他にも、探せば探すほど、アカサ・ギーダという男性はそもそもこの世に存在しない人間だったんじゃないかって思えるようになってきて、
結局、私に残ったのは、私名義で借りた大きな大きな借金と、
どうして私はあの人のことを信じてしまったのだろうという、深い深い後悔だけだ。
「私にはもう、どうすることもできない」
私は多くのものを失ってしまった。
何もかも、もう取り戻せない。
「……シオンさん」
ずっと話を聞いてくれていたセリー君は、眉間に深いシワを寄せたまま、数秒目を閉じた。
それからゆっくり目を開くと、
「ひとつだけ、確認させてください」
「なにかしら」
「シオンさんは今でも、……その、逃げた婚約者のことが好きなんですか?」
……どうなんだろう。
「好き……、かどうかは分からないけど、できるならもう一度会って話をしたいとは思うわ」
「それならもう一つ。たとえば何か、やむにやまれぬ事情があったとして。その事情がきちんと判明して、持っていかれたお金が全て返ってきたら、シオンさんは婚約者のことを、許せますか?」
それは、まぁ。
「そうだったら良いのにな、とは思うけど……。たぶん、違うと思うから」
きっと、今までみたいな関係には戻れないんだろうな、と直感的に思う。
「……分かりました。……モルモさん、聞いていましたよね」
と、セリー君が突然、くるりと振り返って誰かの名前を呼んだ。
すると、斜め後ろの席に座っていた女性が観念したような笑みとともにこちらに歩み寄り、セリー君に頭を下げた。
「たいへん失礼いたしました」
「良いですよ、別に。それよりも、俺はちょっと調べることがあるので、シオンさんの送迎をお願いしたいです」
「かしこまりました」
なんだか、上司と部下みたいなやり取りを見せられたあと、ニコニコ顔の女性に連れられて、私は大きな家にやってきた。
そしてその中の一室に案内されると、
「本日はこちらでお過ごしください。お食事の用意ができましたら、またお知らせいたしますので」
と、言われて、そのまま部屋の中にポツンとひとり。
広いお部屋だ。
お掃除も行き届いているし、置かれた家具や調度品も、落ち着いて品のあるものばかり。
素敵だな、と思う。
そして私は、よく分からないままここに連れてこられてしまったものの、何かをするという気力も今はなく、
ベッドを借りて横になっていたら、いつの間にか夜になっていた。
そして、私をここまで連れてきてくれた女性が呼びにきてくれて食堂に向かうと、
「あれー! シオンさんだ! お久しぶり!」
「なんでシオンがここに? それと、タキ兄ぃは?」
「オォー。なんだか、面白いことになてる予感するネ」
と、セリー君のお弟子ちゃんたちが、食卓に揃って座っていた。
えっと、どうして皆がここに……?
さらに、
「おやおやおやァ? もしやと思うが、シオンかい? 久しいねェ、卒業以来か」
なんと、学生時代たいへんお世話になったステラ先輩まで現れて、そのまま食卓についた。
え、なんで……?
「モルモくぅーん。今日の晩ご飯はなんだい?」
「今日はキーマカレーにしました。温泉卵か目玉焼きか、お好きなほうを乗せますよ」
「味玉はないのかい?」
「はい、作れますよ」
「あたし温泉卵!」
「ボクは半熟目玉焼きで」
「ワタシはカチコチ固焼きヨー」
「シオンさんのお好みは?」
「え。……それなら、生卵で」
なんだかよく分からない内に、皆で一緒にご飯を食べた。
キーマカレーは、美味しかった。
◇◇◇
アカシアにはアカサさんを探し回る足で立ち寄ったため、一度叔母さんのお店に寄ってお泊まりセットを回収。
そこから数日ほどお屋敷(驚くべきことに、ここはセリー君の持ち家らしい。すごい)に滞在させてもらえることになった。
「まぁ、セリーなら良いと言うだろうし。私もたまには、後輩君とディスカッションしてみても良いだろうよ」
ということで、錬金学分野の新しい論文についての話とか、ステラさんが独自に研究している迷宮学の話を数日かけてイチから教えてもらえたりした。
特に興味深かったのは、迷宮内でポップするアイテムというのは、迷宮が自己内で錬成して配置しているのではないかという考察だ。
それはつまり、迷宮内でも錬金術が使えるということだ。
迷宮内で回収したアイテムを使用してその場で錬成できれば、アイテムの回収効率ももっと上がるのではないか、とステラさんは考えているらしい。
「おお、そうだ! シオン君も今度、迷宮に潜ってみないか? 私とモルモ君と一緒なら、確実に安全に配慮した状況で錬金術を行えるようにできるし、それでも心配ならセリーの弟子たちのパーティーにも一緒に潜ってもらえばいい! 今のあの3人なら、すでに私よりは強いだろうからねェ!」
とか誘われたりして、少しだけ興味が出てきた私は「前向きに考えてみます」と答えたりした。
◇◇◇
そんなふうに過ごして、このお屋敷に来て5日目の朝。
セリー君が帰ってきた。
「ア、アカサさん……!?」
なんと、いなくなったはずのアカサさんを連れて。
けど、
「そ、そのキズはどうしたんですか!?」
アカサさんは、見るも無残な姿になっていた。
精悍なお顔は、何度も殴られたみたいにどこもかしこも腫れ上がって血だらけで、
服は、ボロ切れでも纏っているかのようにボロボロになっていて、
しかも、両手を後ろ手に縄で縛られていて、そこから伸びる縄が首と腰に繋がっているようだ。
私が慌てて駆け寄ろうとすると、セリー君がそれを手で制する。
そして険しい表情のまま、アカサさんの後ろに立つ男の人(少し陰気な感じの、痩せた人だ)に目配せをした。
「ハンズ」
「はいよ」
痩せた人が、アカサさんの耳元で何かを囁くと、とたんにアカサさんはブルブルと震え出し、そして床に額をゴツンと擦り付け、
「す、す、す、……すいませんでした!! お、俺は、貴女のことを、ず、ずっと騙していました……!」
と、言った。