07.初めての仕事と手遊び
二人の姿を見送った後、俺は気を取り直し、自分の用事を片づけることにした。
薪問屋の旦那が俺の体を心配し、買取の額を少し多めに払ってくれた。
どうしようか少し迷ったが、長屋を回って子供の古着を二着手に入れた。
いまユノが着ているのは俺の母親の着物で、つまり大人用の着物を子供に着せているためかなり不格好だ。裾の丈の長さを無理やり引き上げて調整し、腹回りに皺寄せされた布を、上から腰紐で適当に留めている。
本人は何も言わないが、相当動きづらいと思う。
俺がこんなことをする義理はないのに、と思いながらも、ひとまず子供の着物が手に入ってほっとした。
それでも銭が少し余ったから、昼飯の寿司を腹いっぱい食った。
血を飲まれてからずっと続いていた倦怠感がスッとなくなった。やはりメシを腹いっぱい食べるに限る。すべてが解決する。
夕方の鐘までまだ時間がある。
ちらっとユノの顔を思い浮かべた。あの爪があるから、いざとなれば身を守れると思うが……。
少し迷ったが、遊郭のある通りに行って香雪楼を遠目に確認した。
ユノは赤い上等の着物を着て、店の前の縁台に腰かけていた。遠目では女子に見える。
すぐ隣に見世(※格子窓のついた部屋)があり、その中の遊女と手遊びをしているようだ。無邪気に笑って、手を開いたり閉じたり、上げたり下げたりしている。
本人は楽しそうにしている、と思う。
通りにちらほら人は歩いているが、店の前に客はいない。
たまに通りがかる男が、ユノを見て足を止め、また歩き出す。ユノに声をかける男もいるが、一言声をかけて去っていくくらいだ。
俺はその場を離れた。
太陽の位置はまだ高い。時間を潰す必要があるな。
河川敷の橋のそばで腰を下ろし、時間が過ぎるのを待った。
…………
……………………
ゴーン、ゴーン……
夕方の鐘が鳴る。
俺は立ち上がった。その拍子に懐中時計が懐から落ちかけた。慌てて両手でつかむ。
忘れていた。これを売る所を探すんだった。
――ま、明日でも良いか。
俺はやや足早にユノを迎えに行った。
これの処分はまた今度考えよう。
◇ ◇ ◇
縁台に座っているユノは、俺の姿を見ると嬉しそうに笑って手を振った。
服は先ほど見た赤色ではなく、藍染の着物になっていた。遊郭の着物というより、普通の子供の着物だ。
ユノは縁台から降りようとしたが、見世の中の遊女から何か言われて踏みとどまる。
なるほど、あの縁台から降りるなと言われているのか。
俺が近づくと、ユノは息せき切って話し始めた。
「見てください、これ、オヒネリってのをもらいました!」
そう言って、紙に包まれた銭を見せた。
よかったな、団子が一本買えるぞ。いや食べられないんだったか。
「楽しかったか?」
「はい! みんなが面白い遊びを教えてくれました。見ててください! こうやって手を開いて、こうして」
「わかったわかった、あとで見てやるから」
店の奥を覗くと、番頭らしき人と目が合った。
俺は会釈をして声をかける。
「夕方の鐘までの約束なので失礼します。着ている着物はどうすればいいですか?」
「その着物は差し上げると言っとりましたよ。あと、預かっとる物があります」
そう言うと番頭は店の奥に行き、すぐに風呂敷を持って現れた。
「その子が着とった服です。それと、これを」
番頭は懐から小銭袋を取り出し、銭を取り出して差し出した。
俺は面食らいながらも、銭を両手で受け取った。今日薪を売って得た銭の半分ほど。約束通りの額だ。
まさか本当に貰えるとは。
番頭が続ける。
「また明日も来てほしい、と大旦那が言っとります。けっこう評判だったようで」
「ああ、だから……」
俺がユノを出すのを渋っていたから、銭を握らせて連れて来させようということか。
「――わかりました。また明日、同じ時間に連れて来ます」
「へい、伝えときます」
番頭はそれだけ言うと、奥に戻っていった。
手のひらに残った銭を見る。
「少ないですか……?」
ユノが不安そうな顔で俺を見上げるので、俺は銭を袋に入れて懐にしまい、頭をガシガシと撫でてやった。
「上出来だ。天ぷらそば食ってから帰るか。血がうまくなるぞ」
ユノはボサボサの頭を気にもせず、嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
もらった銭で天ぷらそばを二杯食った。腹いっぱいだ。
まだ銭は余っている。そういや、もうすぐ集落に台車を引いた行商人が来るから、その時に味噌や塩を買おう。銭の入っている懐を撫でると、自然と笑みがこぼれる。
家に帰る道中、ユノは遊郭で習った手遊びを披露してくれた。
「みんなに教えてもらったんです。むずかしくて、ちょっとしか覚えられなかったですが……」
歌に合わせて、左の手のひらに、右手の人差し指や小指を順ぐり押していく。
「よぉものやまやま、みぃどりなし。えっと、きぃよき……」
「清き流れも、だ。小指をこうやって」
俺が歌って手を動かしてやると、ユノは顔を輝かせた。
「ショウ、上手ですね!」
「ここいらの子供はみんなできる」
「ぼくもできる? 最後のところ、むずかしくて……」
「誰でもできる。ほら、教えてやるから」
歩きながら手遊びを続けると、だんだんと心を開いてくれたようだ。
家に着くころには、すっかり口調が子供らしくなった。
「うまい? できたかな? 兄上にも見せてみる!」
「よかったな」
「兄上、ただいま! 帰ってきたよー!」
ユノは戸を勢いよく開けて入っていった。俺はユノから背負子を受け取り、家の裏手にある薪棚の中に置いた。
家に着いても人がいるというのは不思議な感覚だ。しかも両親という身内ではなく、赤の他人。
俺は無意識に手遊びの歌を口ずさんだ。
「よぉものやまやま、みぃどりなしー……」
歌っているのに気付き、咳払いでごまかす。
子供は大嫌いだったのに、その子供と手遊びを楽しむなんて、自分がバカみたいだ。
俺はゆるんでいた表情と頭を引き締めるため、自分の額をガツンと殴った。