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06.遊郭の大旦那

 カイセのメシがようやく終わった。

 さっきよりも顔色が随分とよくなった。カイセはそのまま寝入ってしまった。ユノが甲斐甲斐しく、口元についた血を布で拭った。


 一息ついたユノに向かって言う。


「ほら、お前の番だ」

「ぼくは夜にいただきます。続けてたくさん飲まない方がいいので」

「そうかよ」


 その配慮は嬉しいが、それ以上の不幸が俺に降りかかっているのは気付いてくれているだろうか。

 手拭いで何度も手のひらをこすり、舌の感触を必死で忘れようとする。


 不思議なことに傷はすっかりなくなっていた。

 彼らがつけた傷は、彼らが舐めるときれいに治るのだという。ありがたいが、舐めなければならないという事が一番の問題だな。


 俺はユノに言った。


「これから薪を売りに隣町の薪問屋まで行ってくる。ついでに、もらった懐中時計が売れるところも聞いてくる。帰りは夕方になるが、お前らは大人しく待ってろよ」

「わかりました。気を付けてくださいね」


 俺は言葉を返そうか迷うが、何と言ったらいいかわからず、そのまま黙って玄関を出た。

 律儀にユノがついてきた。俺はそれを無視し、家の裏手に回った。薪棚には去年割った薪が積んである。俺はいつもの要領で薪を束ね、背負子(しょいこ)(※木製の(わく)に背負い紐を取り付けた運搬具)にくくりつけた。


 背負い紐を掴んで、振り子の要領で背負子を持ち上げて担ぎ、一歩踏み出す。


 とたんに、足元がふらついた。


 なんとか踏みとどまるが、軽いめまいがする。

 腹が減っている所に血を取られて貧血になったようだ。


「だ、大丈夫ですか!」


 ユノが慌てて俺を支えようと俺にしがみつくが、体格差を考えろ。俺はお前の兄と同じくらいデカいんだ。むしろ足にまとわりつかれると邪魔だ。


「ご、ごめんなさい、大丈夫……ではないですよね……」

「まあな」


 薪を下ろして、めまいをやり過ごす。視界が真っ白になり、手足に力が入らない。

 ようやく力が戻ってきたが、歩くのがやっとだ。しかし薪を担いで売りに行かなければ今日のメシを買う金がない。どうしたものか。


 カイセに担いでもらうか、と思ったがやめた。

 あいつの体調を考慮してではない。単純に面倒なことになるからだ。


 数か月前、旅の行商人で二枚目の男がいると町で噂になり、町中の娘がこぞって見に来て、大通りを埋め尽くしたことがある。

 その時の男よりよっぽど顔がいい。下手に連れて歩くと目立ってしょうがない。

 俺との関係を説明するのも面倒だ。


「お前、これの半分、担げるか?」

「できます!」


 ユノは俺の言葉に被せるように答えた。


 こいつの方もかわいい顔をしているが、所詮は子供だ。男としての魅力があるわけではない。娘たちは大騒ぎしないだろう。


「ぼくにできることは何でもします」

「そういやそんなこと言ってたな。じゃ、頼むとするか」


 薪をくくっていた縄をほどき、半分ずつに縛りなおす。


 母の使っていた背負子に半分の薪くくりつけ、ユノに背負わせる。背負子が少し大きいようだが何とか運べそうだ。


「ちょっと歩くが、我慢しろよ」

「はい」


 少し重そうにしているが、使命感に燃えるキリッとした顔で応えた。頼もしい。

 俺も薪をくくりつけた背負子を背負う。足元がふらつくが、軽くなったことで多少はマシになった。


  ◇ ◇ ◇


 隣町に着いた。

 歩いて半刻(※三十分)の距離だが、不慣れな子供には長い道のりだったはずだ。しかしユノは泣き言ひとつ言わず、俺に必死についてきた。なかなか根性のある子供だ。


 薪問屋をたずね、薪を届ける。

 遅くなったことで旦那に小言を言われるが、俺の顔色がよっぽど悪かったのか「今回は許す」と大目に見てくれた。

 この旦那は仕事には厳しいが、理不尽なことは言わない人だ。


 ユノを表に待たせて、裏手にある納屋の中に薪を入れる。

 戻ってくると、表で数人の娘が騒いでいた。その中心には困った顔のユノがいる。


 すぐに連れて出て行こうとしたが、二歩進み、転んでしまった。立ち上がろうとするが足に力が入らない。


「大丈夫か、庄助。死人の顔だぞ。ちょっと休んでけ」


 見かねた旦那から茶をもらい、俺は店の隅で休ませてもらうことにした。


 ぼんやりと、娘に囲まれているユノを見る。

 娘たちは何が面白いのか、ユノに話しかけては笑い声をあげる。

 そのうちの一人が俺に声をかけた。


「この子、庄助さんの子供? かわいいじゃない!」

「違う、知り合いの子供だ。ひと月ほど世話を頼まれた」


 答えると、楽しそうに娘たちはまた笑う。そして口々にはやしたてた。

 

「まあ、そうよね。庄助さんの子供とは思えないほど可愛らしくて、ねえ?」

「おめめがくりっとして、西洋人形(ふらんすにんぎょう)みたいね」

「ほんとよ、ほんと。こんな子、初めて見るわ!」


 口々に、かわいいかわいいと笑った。

 こんな子供でも娘たちは騒げるんだな。

 さすがに町中の噂にはなっていないが、通りがかる人のほとんどが振り返ってユノを見る。中には、通り過ぎてからわざわざ戻って来る人もいた。


「ねえ庄助さん、この子のお世話、大変じゃない?」

「そうよ、そうよ。庄助さんとこに居るなんて、この子がかわいそうだわ」

「あたしたちが代わってあげるわよ」


「そいつのエサは人間だから、飼うのが難しいぞ」


 俺が言うと、娘たちは大きな口を開けて笑った。


「そんな冗談言うほど、この子を手放すのが惜しいの?」

「いやね、預かってる子に手を出しちゃダメなんだから」

「ほんとよ、ほんと! この子にだって選ぶ権利はあるんだからね」


 娘たちは自分たちの言葉でさらに笑う。楽しそうで何よりだ。

 その後もしばらく笑い合っていたが、それぞれ用事があるらしく去っていった。


 あの年頃の娘たちは、集まるとまるで春の嵐のようだな。

 去った後は、疲れた様子のユノだけが残された。


 ようやく、歩けるほどには体に力が戻ってきた。

 そろそろ出るか、と立ち上がると、ユノに声をかける男がいた。

 年は五十くらいか。身なりがいいから、どこかの大店(おおたな)(※大企業)の大旦那(※経営者)だろうか。


「おお、えらい別嬪だな。男なのがもったいない。年頃になったらそこらの女より美人になるぞ。俺の目は確かだ」


 娘だけではなく爺も虜にするとは、さすがだな。

 爺はしきりにユノを褒めているようだ。ユノはすっかり疲れているが、子供なりに愛想笑いをしている。


 薪問屋の旦那に湯呑を返すついでに、声をひそめて聞いてみる。


「旦那、あの方は?」

「あちらは香雪楼(こうせつろう)の楼主(※経営者)をされている方だ」


 俺は慌てて着崩れていた着物を整えた。

 この町で五本の指に入る遊郭の大旦那じゃないか。目をつけられたら、どんな目にあうか分からない。


 俺がおそるおそるユノの方へ歩いていくと、二人の会話が良く聞こえた。

 大旦那はユノを気に入ったようで、とんでもないことを言い出した。


「そうだ、俺のとこに来ないか?」


 慌てて間に入る。


「失礼、大旦那様。この子はまだ子供ですので……」


 大旦那は俺の登場に驚いたようだが、すぐに大声で笑った。


「お前の子か? 安心しろ、ただの客寄せだ。こういう器量良しの子供を店先に置いとくとな、店主の目利きがいいっつって評判になるんだよ」

「あのっ、お金はもらえますか?」


 意外にもユノが食いついた。

 待て、何を言い出すんだ。

 

「お、しっかりしてるねぇ。よぉし、特別だ、働いてくれるなら銭コをやろう」

「やります!」


 俺の制止を振り切り、ユノは勢いよく右手を挙げた。

 大旦那が満面の笑みを浮かべる。


「本人がこう言ってるんだ、いいだろ? 置いとくだけだ、こんな子供に酷い真似しねぇさ」


 ここまで言われて、断れるはずもない。


「……昼から夕の鐘が鳴るまで、でいいでしょうか」


 俺は必死に最後の抵抗をする。


「ま、よその子を預かるんだから昼見世の時間がいいか。暇な遊女の話し相手にもちょうどいい」


 大旦那はうんうんと頷き、引き下がってくれた。

 夜見世と違い、昼見世は客がほとんどいない。問題が起こることは少ないだろう。


 俺はユノを見るが、ユノは興奮気味で楽しそうだ。

 お前の尻を拭うのは俺なんだが、わかっているのだろうか。

 これだから子供は嫌いだ。


「よぉし、じゃ、さっそく今日からどうだ? きれいな着物(べべ)を作ってもらおうか」

「うん、わかった!」


 ユノは元気よく返事をし、大旦那の後ろを着いていった。


 俺はどうすることもできず、二人の背中を見送った。

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