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05.メシの時間

 戸をあけて出てきたのはユノの兄、カイセだ。

 すっかり登ってしまった朝日が眩しいのか、目をそばめてこちらを見ている。


 昨日も思ったが、カイセは身長(たっぱ)がある。頭が戸枠の上に付きそうなほど高い。

 俺も体格がいい方だが、俺と同じくらいあるな。あれを昨日引きずってきたのか。二度とやりたくない。


 日の光の下で顔を見るのは初めてだが、整った顔立ちをしている。

 男の俺が見ても見惚れるほどの美しさだ。これはたしかに物の怪の類だ。


 カイセはユノの肩に手をポンと乗せた。


「当初の約束は部屋を借りるだけだろう。それ以上のことを言い出すのは筋違いだ」

「でも……」

「話の分かる兄でよかったよ」


 俺はほっと胸をなでおろした。

 戸を開けて出てきた時はどうなるかと息が詰まったが、どうやら一件落着のようだ。


 俺の安堵とは裏腹に、兄は「しかし」と言葉を続ける。


「回復に血が必要なのは変わらない。別の人間からもらうことにしよう」


 …………まあ、そういうことになるな。

 俺が拒否したら別の人にお鉢が回る。それは当然の話だ。


 カイセは淡々と言葉を続ける。


「我々の存在を多くの人間に知られたくない。あなたには命を救ってもらった恩があるから、我々のことを誰にも話さないと誓っていただけるならこれ以上何もしない」


 カイセは俺の目をじっと見て言った。雲行きが怪しくなってきた。

 ――俺()殺さない。

 じゃあ、俺以外は……?


 最悪の予想が頭をよぎる。外れてくれ、と祈りながらカイセに聞く。


「……お前らは、このあとどうするんだ」

「近くに他の人間がいるのだろう」

「殺して食うのか」

「プリスカ……妹が王になるとそれ以上の人間が死ぬ。少しの犠牲で済むなら仕方ない」


 感情がまったく読めない声で言う。


 俺()殺さない。しかし他の人間は殺す、だって?

 こいつらの言い分は無茶苦茶だ。


 ユノには集落の場所を教えてしまった。きっとそこに向かうだろう。

 集落には世話になった人もいる。

 このままでは誰かが殺される。

 どうすれば――――。


 俺は目を固く閉じて、大きく息を吸って吐く。


 覚悟を決めて言った。


「血はどれくらい必要なんだ」

「人間ひとり分だ」


 カイセは目を細めた。俺の意図を理解したようだ。

 『犠牲になる覚悟を決めたんだな』、と。


 カイセは少し間を開けて、続けた。


「だが、もし()()()()()()()()()()()()()()()がいるなら、少しずつもらうため十日ほどかかるだろう」


 生きたまま分け与える……?

 つまり、刃物か何かで傷を作って、流れた血をすするということか。

 その姿を想像して背筋に寒気が走る。


 ああ、俺はとんでもないバケモノを拾ってしまった。


 だが俺に拒否する選択肢はない。

 断れば誰かがこの役割を押し付けられる。

 俺は『命の恩人』ということで、命の保証だけはある。他の人では、こいつらの気分次第で殺される可能性もある。


 俺しかいない。


 ふと見ると、ユノが泣きそうな顔をして俺と兄を交互に見ていた。

 なんでお前はそんなにも人間らしい表情で俺を見るんだ。まるで俺を心配しているみたいに。


「……そっちのは十日間、飲まず食わずで大丈夫なのか?」

「がっ、がまんする」

「半分ずつだと、二十日間だな」


 俺が二十日我慢すれば丸く収まる。

 死ぬことはない。ただ少し血がなくなるだけ。何の問題もない。


 カイセは俺の承諾に、ふっと笑みを作った。

 交渉に慣れている、いや、脅しに慣れている顔だ。

 

「協力に感謝する、ショウ。改めて、私の名はカイセル。褒美を与えたいが、いまは難しい。しばし時間をいただきたい」


 急に尊大な態度になった。

 これだからお(かみ)の息子は嫌いなんだ。

 いくら俺が庶民だからって、助けるも助けられるも、対等の立場だろう。


 俺は腹が立って言い返した。

 

「俺はすぐ助けたのに、そっちの礼は自分の都合で先送りにするのか。じゃあ俺も、お前を助けるのに『しばし時間を』もらってもよかったのか?」

「……それは」


 怒ると思ったが、予想外にカイセはうろたえた。庶民に言い返されるとは思っていなかったんだろう。

 俺はたたみかける。

 

「いいか、俺はこの冬を越せるかどうかってほど貧乏なんだ。その上、血をよこせと言われている。春先になって俺の死体に金銀財宝を供えるのが、お前らの感謝のやり方か? 本当に感謝してるっていうなら、上っ面の言葉じゃなく、相手の立場になって考えてみろよ」

「……すまない。配慮が足りていなかった」


 意外にも素直に俺の言葉を聞き入れた。これには俺のほうが戸惑った。

 

 カイセは一度家の中に入り、すぐ戻ってきた。

 手のひらの上には銀色の丸い物がある。


「いま持っている物で一番高価なものはこれだと思う。売ればいくらかの金にはなるだろう」


 そう言い、手を差し出す。

 俺はその手をじっと見た。爪は伸びていないが、近付くのは躊躇する。


 ――――こいつらの『殺さない』の言葉を信用してもいいのか。


 俺の視線に気付いたのか、カイセが言う。


「投げて渡そうか」

「いや、もらうさ」


 どのみち俺は逃げられない。しばらくこいつらと一緒に暮らすんだ。いま死ぬも後で死ぬも一緒だ。


 俺は彼の手に乗っている銀色の丸いものを手に掴む。

 ずしりと重い。

 手のひらの中のそれをじっくりと見る。


 銀でできた丸く平たい土台の上に、白磁のような面があり、中央から二本の黒い針が伸びている。土台の縁に沿って青色の小さなびいどろ玉(※ガラス)が十二個、行儀よく並んでいる。


 懐中時計、というやつだ。舶来品で、大変高価だと聞いたことがある。この小さなびいどろ玉が特に高いのだと。


「………………見るからに高そうだが、ホントにいいのかよ」

「命を助けてもらった恩に対しては安すぎるくらいだが、今の私にはこれしかない。冬は越せるだろうか」

「数年先まで遊んで暮らせそうだ」

「よかった。春には我々の状況も落ち着くはずだ。再び、必ず恩を返しに来る」

「そうかよ」


 恩を返しに来る、という言葉はあまり信用していないが、これをもらえただけでも万々歳だ。


「それで、この…………」


 カイセの言葉が途切れ、ふらっと体が揺れた。戸枠を掴んで耐えようとしたようだが、ずるすると下がり、その場にうずくまった。


「兄上!」


 ユノが心配そうに兄の横に座る。体を支えようとするが、お前にはまず無理だ。

 カイセは戸枠を両手で掴んで立ち上がろうとするが、力が入らないようだ。地面にうずくまり、浅い息を繰り返す。


 ユノが俺の方を向き直り、泣きそうな顔で言った。


「ショウ、あの、お願いがあるんだけど」

「わかったから」


 お前らの『お願い』にはもう慣れた。

 俺はカイセの横にしゃがんで、彼の腕を背に回して持ち上げる。

 くそっ、重い。デカさを確認した後だと、なお一層重い。


 家の中に入り、土間をよろよろと歩き、一段高くなっている床に転がした。


「すま、な……」


 カイセが荒い息の合間に言うが、声を出すのもやっとのようだ。


「あんだけ深いケガして、あんだけ高い熱出して、いま動ける方がおかしいんだよ」


 いや、物の怪なら動けるのが当たり前なのか?


「――――で。いるんだろ、血が」


 カイセが横たわったままゆっくりと頷いた。

 俺はユノに向かって言う。


「どうやるんだよ。俺は知らねえんだから、お前らの方で勝手にやれよ」

「あの、ほんとに」

「うだうだ言ってるとやめちまうぞ」

「ごめんなさい。えっと、じゃあ手のひらを貸してもらいます……」


 ユノは小さな手で俺の手を握った。

 人差し指の爪を伸ばし、俺の手のひらに切っ先を乗せる。

 そっと引くように縦に滑らせると、その線に沿って赤い血がにじんで玉のように浮き上がる。痛みはあるが、思ったほど痛くはない。

 傷は深くなさそうだが、血が次から次にあふれ、俺の手の甲からぽたぽたと滴る。


「すみません、兄が動けないので、兄の口へ……」

「へいへい」


 横向きに転がっているカイセの肩を押しやって仰向けにして、その横に座った。

 指先を下にすると、手のひらの血が指を伝って下っていく。カイセが口を開けたので、指先を口の真上に持っていった。


 俺の血が指先から離れ、口の中の暗がりに落ちていった。舌がうごめき、口を閉じてごくんと喉を鳴らす。

 カイセが震える手で俺の手首をつかんだ。指ごと口の中に入れ、指に付いた血を舐めとり、直接傷口を舐める。


「うげぇ。どうせなら女にされたかったな……。お前の姉も美人なのか?」

「姉は美人ですが、血を飲むとなると、腕ごと千切られると思います」

「ろくでもねぇな、どいつもこいつも」


 俺はあぐらをかいて膝の上に肘を置き、できるだけ楽な姿勢になって舌の感触に耐える。

 顔をそらして、カイセの方をできるだけ見ないようにする。男が自分の手を舐める光景なんて見たくもない。


 ごくり、ごくりと飲み込む音がする。本当に血を飲んでいる。

 痛みはないが、ただただ気色悪い。舌が肌を舐める感覚がするたび、悪寒が背筋を駆け上る。


 とんでもないことに巻き込まれたな。

 命があっただけマシなのか、死んでいた方がマシだったのか。


 開け放たれている戸から外を見る。日はすでに高い。


 「ろくでもねぇなぁ」


 俺は空に向かってつぶやいた。

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