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捧げ物

 へびは小さな手で懸命に何かしている人の子供を少し離れた場所で見つめていた。


 人を見たのはどのくらいぶりだろう。

 話しかけたのは。


 彼の父や兄達は遠い昔、この場所で森を守り、人を守って暮らした。

 そして守り神として崇められ、いつか龍となって天へと昇る。


 そうやって永く続いてきた。


 だが今、森は荒れ、人の心は離れ、神として敬われることすらない。

 じきに池は枯れるだろう。

 そのとき、龍になれないまま彼の命も終わる。


 最後に小さな命を守り、触れ合えたことを喜びとして。


 目を閉じれば、今でも目に浮かぶ、美しく雄々しく荒々しい、龍となってただひとすじに天へと向かう父や兄の姿。


 不甲斐ない自分を情けなく思いながら、こんな終わり方も悪くないとへびは人の子供のほうを見た。


 ちょうど子供が顔を上げたところで、へびと目があってにっこりと笑う。

 そして籠をその場に置いたまま、後ろ手に何かを隠してこちらへやってきた。


「へびさん、あのね」


「どうした」


「これ、あげる」


 そう言って差し出されたのは、冬いちごのツタに実と葉を使って作られたかんむりだった。

 へびの頭にちょうどよく乗るように小さく作られたそれはとても小さく、素朴で可愛らしい。


 ちょこん、と頭に乗せられて、へびは言葉を失った。


「毎日は会いに来れないけど、時々は来てもいい?」


 笑う子供の笑顔の暖かさ。


 永く1人でこの森を守り続け、『生贄を望む恐ろしい神』として人から避けられていたへびは、生まれて初めて捧げ物をもらった。

 人からの、心のこもった捧げ物。


 彼の、彼のためだけの。


 ああ。


「だめだよ。ここへ来てはもうだめだ」


「どうしても? 池が枯れるまでとか……」


「もう池は必要ない。今夜のうちにも枯れてしまう」


「どうして!?」


「それはね……」


 ああ……、それは。


 へびがそうっと息を吐き出した。


 その体がぐんぐんと大きくなり、形を変えてゆく。

 あきはびっくりして後ろに倒れ、尻もちをついた。



 あきの目の前に、大きな白い龍がいた。



 りっぱなひげの、優しい冬いちごの目をした白い龍。



 あんぐりと口を開けたままのあきに、龍が笑う。


「我が龍となったから。天へ行ってしまうから、池はもう必要がない」


「へびさん、龍になったの? どうして? さっき、龍になれないって言ってたのに」


「お前がこれをくれたからだ」


 龍が指差した頭の上に、冬いちごの冠があった。あきが作った小さいものではなく、大きなものだ。


「これって、さっきの? じゃあわたし生贄になるの?」


 龍がそれに声を上げて笑う。


「いやいや。そうではないよ。ずっと昔、我の兄は確かに生贄を捧げられた。でも本当は何でもよかったんだ」


「何でも?」


「ああ。心がこもっているなら、何でも」


「冬いちごのジャムとか?」


「そう、冬いちごのジャムとか」


 龍の目が優しげに細められてあきを見る。

 あきは立ち上がって服の汚れはたいた。


「お前がくれたこの冠は、我にとって初めての……本当に、本当に素晴らしい、心のこもった捧げ物だ。生贄など必要ない。そんなものがなくとも、我らは龍となれる」


「お兄さんたちのところに行くの?」


「ああ」


 あきはようやく笑った。ひだまりのようだ、とへびは思った。


「良かったね、へびさん」


「ありがとう……あき」


 名前を呼ばれて、あきは嬉しくなった。

 ほんのわずかの間に、あきはへびが好きになっていたからだ。


「この森も、しばらくはこのまま、悪いものは近づかないだろう、だが、もう1人で森に来てはならないぞ」


「うん」


 たまに帰ってきてくれる大姉ちゃんと違って、ここへ来てももうへびには会えない。

 それがあきにはとても悲しい。

 するとへびがあきに言った。


「あき、我に名前をつけてはくれないか」


「名前?」


「ああ。我はこれからいろんな名で呼ばれるようになるだろう。だから、あきだけの名前を、我につけてほしい」


 あきだけの。

 その響きが、あきにはひどく特別に思えて、くすぐったくて、あきはくすくす笑う。

 そしてへびを見上げた。


「じゃあ、かんむりへび!」


 へびは嬉しそうにひげを動かす。


「かんむりへび。我はこれからかんむりへびだ。あき、いつかお前が今の一生を終える時、我が必ず迎えに来よう」


 そしてまっすぐ、空へ、天へと昇っていった。

 あきは、その姿が見えなくなるまでそこにいて、それから籠の半分ほどの冬いちごを持って、家へ帰った。


 






 それから、あきはもう1人で森へ行くことはなくなった。

 親にたくさん叱られたから、というのもある。


 でももう、森は安全な場所ではないと、なんとなくそう感じていた。


 それからいくつもの冬いちごの季節が来て。


 戦争があって。


 森へ行かなくなって。


 長い、長い時間が過ぎた。







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