プロローグ
「失礼いたしますお姉様!」
コンコンというノックと同時に部屋へ入ったとたんに目に入った姉を見てミッシェルは絶望な眼差しをしてへたり込んでしまった。
「ミッシェル、どうかしら?」
「おおおおおおお、お、お姉様。そ、それは学園の制服ですか?」
「そう。昨日届いたのよ」
白を基調としたワンピース型の制服を着たヴァイオレットは静かに微笑んだ。
サラサラとした長い白銀の髪と意志の強そうな深い紫の瞳。透き通った肌は氷のように透明感がありシミ1つ見当たらない。そんな誰から見ても美しい姉を見てミッシェルは声を荒げた。
「お姉様、何度も言いますがお姉様は学園になど行く必要なんてどこにも見当たりません!」
床にへたりこみ、涙ながらに訴える妹は貴族のご令嬢らしからぬ行為であるが、日常的に慣れているヴァイオレットは困った様子でミッシェルを眺めるだけだった。
「お姉様は学力は勿論。教養、品性、魔術、ありとあらゆる分野で秀でているうえ全てにおいて完璧でしょう?今更なぜ学園なんて!」
「ミッシェル。ルートリアナ学園に入ることは貴族である私たちの義務。学園で学を身につけ、見聞を広げ、この国を導いて行かなくては」
「義務なんて!辺境の地やそれなりの理由があれば学園の入学を免除してくれるんでしょう?」
国では13歳からルートリアナ学園に入学しなければならない。在学する生徒もほとんどは貴族であり、裕福な商家の子や庶民の子どもなど少人数ではあるがちらほらと在学している。
ヴァイオレットも13歳になり、数日後には入学式があり完全寮の学園に4年間在籍することとなっている。
「あなただってわかっているでしょう? 学園では魔法学もより専門的に学び卒業しなければ学園の外で使う魔法が制限されてしまうわ。貴族令嬢として領民を守るためにも学園に入るのは義務なのです。あなたも2年後には学園に入らなくては」
「・・・・・・私には魔力などありません」
「魔力がないのではなくて、使い方がまだ上手ではないだけよ。あなたが入学してくれないと寂しわ。・・・・・・もしかしてこの制服似合っていないのかしら」
「お似合いですっ! お姉さまに似合わない服などあるわけではないではないですか!」
悲しそうな顔で言ったヴァイオレットに、ついには顔を床に突っ伏してミッシェルは悲痛な叫びで言い放った。
学園に入る入らないというやり取りはもう何度もしているし、両親にも相談してみたが、ミッシェルの訴えは姉が大好きで離れがたいかわいい妹の我儘と捉えられ誰も真剣に相手にしてはくれなかった。
ミッシェルがここまで何度も言っているのは何も姉を溺愛しているからだけではない。どうしても学園に入学させたくない理由があったからだ。
「ヴァイオレットお嬢様、アンドリュー様がおいでになられました。応接室でお待ちです」
「すぐに参ります」
床に顔を伏せるのは流石にやりすぎだとヴァイオレットはミッシェルを優しく立たせようとしたところで執事長であるキックリから扉越しに声がかかり、ミッシェルは心の中で舌打ちをした。アンドリューはこのナイリアナ国の第一王子であり、ヴァイオレットの婚約者だ。
ヴァイオレットは先ほど領民を守るためと言っていたが、未来の王妃になるため学園は必ず卒業をしなくてはいけない。ナイリアナ国内での魔法の使用は簡単な生活に用いられるもの以外は禁止されていて、強力な魔法や特殊な魔法は学園で学び卒業して初めて使用が許されるのだ。王妃になれば国民のために魔法を使うことは必要不可欠であり義務である。もちろん気高く聡明なヴァイオレットは惜しみなく魔力を国民に差し出し立派な王妃となることはミッシェルでもわかっている。わかってはいるが問題はそこではない。
応接室に入ると、アンドリューが学園の制服姿で座っていた。
白金の髪に、通った鼻筋、明るい緑の瞳が柔らかな美青年である彼は国民からの支持も高い。
「アンドリュー様お待たせして申し訳ございません」
「いや、私が便りも無しに急にきてしまったのだから。謝るとすれば私の方だ。私は今日学園に帰るから、寄らせてもらったんだ。タイミングが良かったようだね。制服とても似合っている。」
アンドリューは誰からも好かれるような極上の笑みでことありげもなくヴァイオレットを褒めれば、
「お忙しい中、お気遣いありがとうございます。学園でもアンドリュー様に恥じぬよう努力いたします」
ヴァイオレットは淑女のお手本の様な綺麗な笑みを浮かべて当然のように受け流す。
「私が1番に君の制服姿を見られた様で嬉しく思うよ」
「いえ、1番は殿下ではありませんわ。お姉様のその晴れ姿を最初に見たのは私、ミッシェルでございます」
周りにいたメイドなどはカウントせずヴァイオレットの麗しい制服姿を見た記念すべき第1号は自分であるとミッシェルはすかさず割って入った。
嘲笑う様な表情もしっかり忘れない。
「おや、ミッシェル。君もいたのかい?」
自分が部屋にいたことなどとっくに気づいていたくせにさも驚いたように言うアンドリューにミッシェルはすかさず口を開いた。
「えぇ、私とお姉様との時間を妨げる不躾な突然の来訪者はどなたかと思いましてついて参りましたの」
「おや、それは失礼したね。婚約者である私がここにいるのは何もおかしなことではないし、大切な婚約者に会いにきてもなんの問題もないだろう?」
「まぁ嫌ですわ殿下。このような尊大なお考えはおやめになった方が良いかと存じますわ。ご自分の立場を誇示する方は女性に嫌われてしまいますよ」
「大丈夫私はヴァイオレットにさえ好かれていればそれでいい」
そこらへんのお嬢様たちが聞けばたちまち倒れてしまいそうなセリフを吐いても
「いけません。アンドリュー様は臣下皆から愛され敬われる存在なのです」
とヴァイオレットは嗜めるだけだった。
ヴァイオレットは手強いなと困ったように笑うアンドリューにミッシェルは冷めた目で見ながら鼻で笑う。
このような甘いセリフを惜しむことなく吐きながらこの男は2年後ヴァイオレットを捨てるのだ。
本当に愛する女性ができたといとも簡単に。
学園ではその愛する女性に悪質な嫌がらせや危害を加えたとしてヴァイオレットは断罪されるのだ。
そして、アンドリューの未来の愛する女性というのがミッシェルである。
そんなこと絶対させない。
前世の記憶を取り戻してから早3年なんとしてでもヴァイオレットの断罪を回避するためにミッシェルはずっと奮闘してきたのだ。
こっそりヴァイオレットを盗み見るとスッと落ち着いたその表情は柔らかで、いつもより尚洗練された所作は明らかにアンドリューのためだ。
ヴァイオレットは政略結婚の相手であるアンドリューを心から愛している。
この美しく、いじらしいヴァイオレットを知っているのは自分だけであるとミッシェルはそう自負している。
この大切な姉をなんとしても守るためにミッシェルは今日も牙をむく。