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6月6日-1・First kiss



シエラがウィルと出会ったのは2年前、19歳の時。


ひとりの男と女として、花咲くリーブベールの丘で出会った。



そう、炎と黒煙と、逃げ惑う人々の悲鳴が入り交じる彼女の故郷レスタで。




あの時の男が実行犯であると、根拠のない自信にかき立てられ復讐の炎を灯し、シエラは追跡を開始。


ようやく見つけ復讐相手と判明し、以後何度もカタキ同士として再会を繰り返した。


けれどウィルはいつも笑顔で優しくて……。




20歳の2月。海沿いの南都プリカパで初めて彼に抱きしめられた。


怖さと温もりに戸惑った3度目の再会であった。



あれから4ヶ月。ウィルの言動に自覚なく惹かれながらも、シエラは彼をカタキ相手として今日も探し求めていた……。




ラベリーズ。国内第3の人口を誇る都市であり、市民自慢の優美な山を背後に自然と共に発展してきた環境保護に力を注ぐ都市である。



北東部の山岳地帯には住み良い環境や養護など施設地区が設けられ、福祉の今後を検証しながら展開する実験的モデルタウンが存在していた。レスタ村だ。


だが2年前、テロリストによって火を放たれ多くの死傷者を出し壊滅状態となった。


その後、住人や地域のための復興は叶わず慰霊碑のみが当時を残し今に至る。


跡地には黒幕である役人たちの念願叶いテーマパークやホテルが建設された。





男物の服を着た20歳前後の若者が、頬を包む小麦色の髪を揺らして颯爽と街を歩いていた。


かわいらしい顔。童顔の少年と思う者もいるかもしれない。


だがよく見るとれっきとした女性であり、美人と言われても違和感ない顔立ち。


完璧な男装と思っているのは本人くらいである。




かつての村の生き残り、シエラという名の女は故郷レスタに近いこのラベリーズに居を移し、マンションでの一人暮らしを始めていた。



職業は探偵見習い。村と仲間を奪ったカタキの情報を得るため門戸をくぐった。



バカにされないようにと男装を始めたのだが、同僚からも依頼人からもからかわれる毎日。


気の強い性格なので、その都度反発してはさらに笑われるという悪循環に苦労の日々であった。




単純な事件でも恨みは残る。以前のそんな事件の加害者に所員としてのシエラが狙われたのは偶然だった。



シエラは事件の担当者ではない。証人として裁判所に出向いた先輩の付き添いだっただけ。しかし相手はそうは思わない。


街で見かけた彼女に高額な慰謝料の報復を謀ろうと決意した。



「探偵さん」と言って近寄ってきた男をシエラも記憶していた。目立つ綺麗な金髪。忘れるほどの時間は経っていない。


職にも就かず家で妻に暴力を奮い訴訟をおこされた人物だ。


シエラたちは妻の依頼で男の素行を探り証拠を揃えていたのだ。



「しばらくぶりです。オレいまはきちんと更正して働きながら暮らしてるんですよ」



倍近い年齢差による年の功が強みか、善人面でシエラを口説く。



若く、見習いの彼女は「探偵さん」との呼称に気を良くしたのか警戒心も薄く、足を止めて耳を傾けた。



男は気を引いたことで成功を確信した。シメシメと腹黒さを隠して話を進める。



「ちょっと相談が。職場近いんですけど見てもらいたい書類があるんです。時間あります?」



神妙な表情の相手にシエラは騙された。


あっさり後について行き、到着地は夜にはギャングの溜り場となる空きビルだ。


気づいた時には二の腕を掴まれ壁に背中を押し付けられていた。


至近距離で発せられる声を聞きながら、己の愚かさ未熟さを彼女は心から悔やんだ。



「殴らせろよ。オマエらが余計なまねしてくれたおかげでオレの人生は滅茶苦茶だ!」



蛇のような、まるで絡み取らんばかりの目つき。態度を豹変させて男は叫ぶ。


離婚や世間から受ける中傷への逆恨みであるが、彼にとっては正当な理由だ。引き下がる気配は見られない。



「殺すわけじゃない。殴らせてくれよ」


「離せっ!」



男言葉で威勢よくシエラも叫ぶ。弱みは見せたくないのが本音。ただし現状を彼女自身もよく理解していた。


いくら足掻いても相手の手を振りほどくこともできず、女の身でどこまで抵抗できるか……。




怖い。女としての恐怖に身を硬くさせた。横を向き相手を見ようとしない。



そんな彼女の横顔を男はマジマジと眺めてニヤリと笑った。



美人でスタイル抜群の女だ。傷つけるのは勿体ない。幸いここは密室だし……。復讐内容の変更を認めた。



「脅えてる?かわいいもんだな。かわいがってやるよ」


「触るな!」



頬を撫でられゾワゾワした気持ち悪さに反論する。


けれどそれは男の反感を膨らませただけ。


「騒ぐな!」と怒鳴りつけて彼女の首筋に唇を押し付けた。



「いやっ、やめて!」


「やめないよ」



言いながら手は抗う女の襟元へ。引きずり下ろそうと握りしめる。



「いやっ!いやっ!」



身の危険は現実のものとなった。男の息が首筋に吹きかかる。気持ちが悪い。


ショートボブの髪を振り乱し、全身を揺らし、素の状態で抵抗を示すも改善の兆しはなく、忌まわしい過去が彼女の脳裏に纏わりついた。




18歳の時に叔父から受けた性的暴行。もうあんな思いは味わいたくない。


シエラは必死に逃亡を試みる。だが男の体で壁に押し付けられ片腕は相手の手に封じられ、成功までの道のりは遠く、誰か来ないかと他者にすがるしか望みはない。



可能性は低いと思われた。しかし望みはどこかに通じたらしく彼女は第三者の声を耳に聞いた。



「ねえ、その子すごく嫌がってるけど、恋人じゃないの?」



若い男の落ち着いた声。シエラにとっての救世主だ。


ただしその顔を確認したとたん驚愕に視線を釘付けにさせた。



長身で黒髪、黒い瞳の男。容貌は誰もが認める雅さ。一度見たら忘れられぬ顔。シエラはこの男を知っていた。




躍動を感じるほどの楽しみを直前で邪魔された男は、突然現れた人物を歓迎しなかった。


逃走防止にシエラの手首を掴み、優男にしか見えない相手と対峙し怒鳴りつける。



「邪魔だっ!殺すぞ!」



対して黒髪の青年は初め意味が通じなかったのかきょとんと考え込み、やがて一応理解したものの信じられずに問い返した。



「誰を?オレ?オレが死ぬの?」


「黙れ!失せろ!」



おかしな反論にまた怒鳴る。だが目の前には顔色ひとつ変えず平然と佇む秀麗な男の姿。穏やかに彼は語る。



「彼女に用があるんだ。譲ってよ」


「黙れ!死にたいか!」


「最後だ。譲ってよ」



どこまでも冷静な態度。恐れ知らずなのではない。己の戦闘能力に絶対の自信を持ち恐怖など感じていないのだ。



ただし静かながら内面は冷酷な悪魔である。シエラの手前我慢しているが今すぐこの騒がしい輩を殺ってしまいたくて仕方なかった。


自分を抑えるためにも最後通告し脅したのだ。




優位な立場にいたはずの男はシエラを掴む手から力を抜いて何となく、でも高確率で優男がただ者では有り得ないと、劣勢なのは自分であると悟った。


冷や汗すら浮かべて黒い瞳を見返す。



「……オマエ、誰だ?」


「譲ってくれる?」



名乗るつもりはなく、彼は質問を無視して要件だけを告げた。表情はとびきりの笑顔だ。




美貌から放たれたのはまさに氷の微笑であると、金髪男はゴクリと唾を飲み込み声を裏返らせて叫んだ。



「好きにしろ!」



負け惜しみと同時にシエラを投げつけ駆け去った。別の言葉を使うなら逃げたのである。




残されたのはふたりの男女。男はしっかり腕の中に彼女を受け止め、女は逞しい胸に身を委ねぎゅっと彼の服を握りしめていた。



怖かったのだろう。華奢な体が震えている。黒髪の青年はなだめるように包んだ頭部を優しく撫でた。




しばらくしてシエラは腕の中でポツリと呟いた。



「……離して」



この男がカタキ相手のウィルと認識していたが、未遂とはいえ暴行の恐怖が残っていて復讐の気力を失っていた。


それでも長々と抱かれ続けるわけにもいかず、多少の遅れを経て拒絶したのだ。



ウィルはすぐに聞き入れた。ふたりは対面して立ち尽くす。でもどこかシエラは気まずい。



最悪の人物に最悪の場面を見られ救出までされる形となった。借りを作ってしまい、戸惑いを感じていた。


追跡者を救うウィルもだが、義理堅いシエラもまた優しい女なのであった。




これが4度目の出会い。前回は今年の2月。海の見える街だった。


あれから4ヶ月が経った。早い方だと思いたいが、首都を拠点とするこの男は何をしにこの街へ現れたのだろうか。


ノーメイクの顔に険しさを滲ませてシエラは推理してみる。



近々美術品などの大きな展示会があるとは聞いていない。


盗賊として来たのでなければもうひとつの顔、暗殺ということになる。


どちらにせよ物騒な、闇に生きる者の仕事だ。




シエラにも仕事が存在した。自ら現れてくれた眼前の男への復讐だ。


愛する故郷を奪われた恨みを晴らさなくてはならない。


せっかくの好機、無駄にはできず呑気に立ち尽くしている場合ではない。復讐の開始だ。



決意も固く踏み込もうとして、しかし相手は無言のまま振り返り、なんと帰ろうとしていた。



「待てっ!」



男の背中に焦った声が投じられ、呼び止められた人物は長身を再び振り返らせた。



「引き止めてくれるの?嬉しいな」



相変わらずの屈託のない笑顔。本当に嬉しそうな様にシエラは面食らうばかりだ。




カツンと一歩一歩靴音を響かせてウィルは彼女のもとへ戻った。見下ろす眼差しは愛しさに満ちている。



「会いたかった」



囁きにも似たそれはシエラにもはっきり聞こえた。


トクンと胸が高鳴り魔法をかけられたかのように身動きが取れなくなった。ジッと綺麗な顔を見続けるだけ。




男の掌がシエラの頬を包んだ。指に髪の毛が触れ、彼は「柔らかいな」と胸中で呟いた。



感情が少し高まり彼女の唇に自分のそれを近づける。ウィルは静かに瞼を閉じた。



薄暗い階段下の広くもない落書きだらけの空間。


ふたりの男女が初めて交わした口づけは、表面を軽く触れ合わせただけの優しいものだった。



キスの予感はしていた。それでもシエラは抵抗しなかった。あっという間のソフトな口づけに実感も湧かなかった。




背中を見せ、何も語ることなく今度こそ去ろうとする男をシエラは立ち尽くして見つめる。


そんな彼が帰り際に振り向いた。耳触りのいい声でもの柔らかに語る。



「今夜会いに行くから」



一言を残し男は屋外に消えた。



開放された出入り口から陽光が差し込みシエラの足元まで伸びた。


明るいそれとは対極に彼女の心は困惑を極めた。


見えない未来に、ウィルが告げた今夜という近い未来に光を見出だせず、否応なしに近づいてくる今後に不安を感じるのだった。



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