12月24日『サンタが街にやってくる』
『ちょこっと仏滅バレンタイン』の主人公より
ラインを見てバカヤローと叫びたくなった。
『ケーキはもういいから、早く帰ってきて』
何がケーキはもういいだ? この日のためにどれだけ頑張って予約券を手に入れたと思っているんだよ。有名パティシエの作る行列必至のクリスマスケーキだぞ。美花が食べたいっていうから。お前がよろしくっていうから会社を早退してまで並んでとった予約券。初日は取れなかったから、二日掛けて取った予約券だぞ。
和幸はその無情な言葉を映すスマホを見つめたまま、その手を振り上げて床にたたきつけたい衝動を抑え、やっとのことで返事を打った。
『え、でも、予約券あるしさ。買って帰るよ』
なぜなら、すでに丸梅にいるのだし。和幸はそのまましばしスマホの画面をみつめていた。『既読』そのまま、数秒の沈黙。
『予約って言っても今から並ぶんでしょ? 帰ってくるの一時間はかかるでしょ?』
…………。
和幸には妻の真意が掴めない。もちろん、新婚当初なら惚気とも取れそうなやり取りかもしれない。しかし、一人娘の美花でさえもうすぐ小学二年生。結婚してからと考えれば、美花が遅い目にできた子だったので、えっと……。和幸はふと何年目だったかと考えた。
あ、十三年だ。
二年目くらいまではこの会話、成立したよな。
遠い目をしながら、あの時ならきっとそんなことを言いつつも、イラっとしつつも買って帰るを選択したはずだった。なんと言っても、とにかく喜ばせたかったから。
しかし、今は違う。虐げられて十年。和幸は思う。最初は良かった。不妊治療で機嫌が悪い時も、妊娠期間も、美花が生まれてすぐの精神不安もまだ納得できる理由だった。しかし、今や、妻のあたりはもう大砲レベルになってきている。思いやる気持ちなんてないんじゃないかと思うほど。
一体俺が何をしたって言うんだよ。
陽気に流れるクリスマスソングにも腹が立つ。何が『サンタクロースイズカミントゥタウン』だよ。今俺の元には悪魔がやってきているぞ。
『分かったよ』
だから、和幸は画面に怒りをぶつけながら、肩を落としたのだ。食べたがっていたじゃないか、など聞くのは愚問だと身をもって知っていたから。
和幸が並んでまで買おうとしていたのは「ル・アンジェ」というケーキ屋のものだった。フランス人がしているのかと思っていたが、日本人だということを妻が教えてくれたのだ。丸梅に入っているのは出張所で、東京に店を構える有名店らしい。
でも、まぁ、ここまでたくさん捌くのなら、すでに工場生産になってるんだろうな、と和幸は冷静に考えた。一つ一つ丁寧に手作りだとしたら、本日分の予約券なし列まで作れるはずがない。そして、その本日分の列も今しがた締め切られたようだ。そう思えば、和幸の労力の無駄にはなったわけだが、それほど惜しい食べ物ではないのかもしれない。しかし、この券……どうしたものか。
なんだかもったいない気もする。
そんなことを考えている矢先の出来事だった。妻と同じくらいの年頃のおばさんが和幸の前を通り抜け、ケーキの列の前で肩を落としたのが見えた。和幸は自分の無駄になった予約券を見つめる。
うん。そんなに大したケーキじゃないわけだし、クリスマスなんだし、いいことをしておいてもいいかもしれない。
「あの、もしかして、ここのケーキですか?」
明らかに不審な表情のおばさんが作り笑いをして答えた。
「えぇ。でも、もう売り切れちゃったみたいですね」
「あの、良かったら。うち、もういらないみたいなんで」
「え?」
さっきの不信感は驚きに変わり、彼女の理解には及ばないらしい。それもそうだろう。いいことをしようとしながら、和幸の頭の中では、悪魔が囁いているのだから。
もう、食いたいって言ったって、前言撤回はできないんだからな。
「え、でも」
「いや、本当にどうぞ」
そういうや否や、和幸は彼女の手に予約券を押し握らせて、急ぎ足で帰途に就いた。
その頃、和幸の家では妻と美花で内緒話がされていた。
「パパ、本当に早く帰ってくるかな?」
「大丈夫よ」
実は二十四日は和幸の誕生日。輪つなぎで飾られたダイニングで、クラッカーを持つ美花と妻がひそひそ話をしている。美花の提案で手作りケーキを作ったのだ。誕生日プレートには「パパ、いつもありがとう」の文字がへたくそに書かれている。
「パパ、喜ぶかな?」
「喜ぶわよ」
娘のケーキが一番であるための母の機転が先ほどのラインである。
そして、このサプライズに涙した和幸は、再び美花のために有名パティシエのケーキを買いに行くと張り切り、妻に反対されるのであった。
理由は、お高いから。そして、妻は思う。全く冗談も通じないのかしらと。