スマファイやろうよ
本作品には以下の要素が含まれます。
・識字障害[ディスレクシア]の人物
・「Stitch」「大激闘スマッシュファイターズ」など架空のゲーム機やゲームソフト
これらのゲームは、実在するゲームとは何の関係もありません。
限りなくよく似た何かです。
ちゅどーん、なんて表現じゃ陳腐なんだろうが、そんな音をたてながらピンクの球体が画面外へ吹っ飛ばされた。
「うわあ! また落とされた!」
「大丈夫だよ、賢ちゃん。まだ二十秒あるみたいだよ」
「そう? ならがんばる」
ステージは黄昏の大橋。最新ゲーム機のスペックで表現された妖しく蠢く夕焼けには、ゲームを忘れて見入りたくなる美しさがある。後ろで流れる原作ゲームのメインテーマも、原曲の重厚感に戦闘曲ならではの勇敢さを加えてアレンジされた俺のお気に入りだ。最高のステージ、最高の音楽。こんな好条件は今後なかなかないかもしれない。ないかもしれないが。
「だあー! なんで俺達こんなことしてんだ!」
勢いに身を任せてコントローラーを机に投げ出す。それと同時に「GAME SET」の文字が現れた。
なめらかなファンファーレと共に勝利の喝采を浴びたのは、俺が操作していたイケメン王子。整った顔で「今日も生き延びることができた」なんて物凄く重い台詞を吐いているが、スコアは+8。生き延びるどころか一人無双状態である。
「あーあ。また負けちゃったよ」
「やっぱり栄二君は上手だね」
「育ちゃんはどっちの味方なのさ……。まあいいや。次行こう、次」
「行かねえよ!」
ここを逃しては次の試合が終わるまで止めるタイミングがなくなってしまう。慌てて隣で握られていたコントローラーを奪い取ると、案の上、へっぽこピンク玉を操作していた賢人が頬を膨らませた。
「何するの、栄二。返してよ!」
「いや、このStitch俺のだし。そもそも、お前は何してるんだよ」
「スマファイ」
何を今更とでも言いたげな視線に口がひくつく。スマファイとは正式名称を「大激闘 スマッシュファイターズ」といい、さまざまな人気ゲームのキャラクター達が総集合して激闘するというお祭りゲームである、なんてことはわざわざ説明しなくても知っている。第一、スマファイをこの家に持ってきたのは俺なのだから、賢人より俺の方がずっと詳しいぐらいなのだ。
「わかった、聞き方を変える。お前はなんでスマファイをしてるんだ」
「そんなの、栄二が持ってきてくれたからに決まってるじゃん」
「お前が持ってこいっていったんだろうが!」
極度の勉強嫌いから大学進学を止め、今の工場で働き始めて十か月。毎日職場と実家の無機質な往復を繰り返す俺にとって、今日は貴重な休日だった。そのはずだった。先週はちょっと嫌なこともあったし、それも含めた疲れを癒すためにも何も考えず何もせず一日寝て過ごすつもりだったのだ。
「それなのに、突然メッセージ送ってきてさあ! しかも内容が『スマファイやろうよ』って小学生かっての」
「メッセージ送ったのは育ちゃんだし! 僕はメッセージ練習中なの知ってるでしょ」
子供のように言い張る賢人の視線の先には、一台のベッドが壁に沿って設置されていた。その上にパジャマ姿で腰を下ろすのが、育ちゃんこと育人だ。困ったような笑みを浮かべる育人には、わあわあと騒ぎ立てる賢人より落ち着いた印象を受けるが、実際、二人の内面はあまり変わらない。それもそのはず、こいつらは双子の兄弟なのだ。
「結局育人も共犯かよ。お前ら兄弟はそろいにそろって」
「ごめんね」
ベッドの上の育人が眉を下げるが、本当に申し訳ないと思っているわけではなさそうだ。こうしている間にも、育人の手は淀みなくよくわからない形のプラスチック容器に緑色のシールを貼り続けている。いわゆる内職の途中なのだ。こんな片手間の謝罪が本気であってたまるか、せいぜい少し面白がっている程度に違いない。俺はわざとらしく息をついて、育人から目を離した。
「わかりましたよ。弟のお守りは俺の仕事ってわけね」
「栄二。お守りってどういうこと?」
体をそらせて振りかえった賢人の額を人差し指でつつく。あいたっと声をあげ、額を両手で覆う姿を見ると少しだけ胸がすいた。
「大体似たようなもんだろ」
適当なことをいって、俯いていた賢人の顔を覗き込む。すると、その瞳がキッと細められた。ただ、元からの童顔のせいで迫力はいまいちである。しかし、賢人にとってはあいつなりの最大級の威嚇のつもりだったのだろう。次に飛び出した声は、いつもより張りの効いたものだった。
「違う。栄二は僕のお守りじゃない。僕の教育係だよ!」
ふざけた話に聞こえるかもしれないが、俺、矢田栄二(十九)は斉木賢人(二十二)の教育係である。これはスマファイの話ではないし、アルバイト現場の話でもない。俺達は正社員で、そのうえ今年の春に同じ工場に配属になった同期なのだ。それにも関わらず、俺は配属初日に工場長の勅命で賢人の教育係に任命され、今もその務めを果たし続けている。
「ああ、そうだっけ。でもさすがに、休日にスマファイに付き合わされるのは業務外じゃないかな」
まあそれも、工場長から言い渡されたのは勤務中の話で、休日にスマファイを教えてやれなんてどこの誰も一言もいってない。そう至極当然の意見を述べてやると、賢人は目を見開き、両手を強く握りしめた。
「せっかく育ちゃんにお願いしてメッセージ送ってあげたのに。もう知らない!」
声を荒げ、こちらから顔を背けた賢人は、そのまま立ち上がってStitch本体の方へ歩み寄った。送ってあげるもなにも、俺がStitchを持ってこなければスマファイはできないのだが、そんなことは賢人には関係ないようだ。いつのまにかスリープモードに入り、真っ暗になっていた画面が電源を入れなおすことで再び息を吹き返す。しかし、そこに映し出されたのはスマファイの個性あふれるキャラクター選択画面ではなく、白色が眩しいホーム画面だった。
「あれ? 変なの出てきた」
独り言のつもりだったのだろう。しかし、嫌でも耳に入ってきたものだから、俺もつられてテレビ画面に意識を向ける。そこに映されていたのは「本体更新のお知らせ」だった。灰色の枠の中にインターネットにつないで本体をアップデートしろという旨の文言と、【はい】【いいえ】という選択肢が示されている。最近仕事が忙しいせいでゲームを触っていなかったツケがこんなところで回ってきたらしい。本体更新は始まると時間がかかる厄介な代物だが、オンラインプレイをしない以上、今すぐ更新をする必要はなかった。
だから、ここは【いいえ】を選択すれば済む簡単な問答のはずなのだが、賢人の手は完全に止まってしまっていた。黒目が文章をなぞろうと何度も左右に移動している。コントローラーを握る手に力が入り、半開きになった唇も小刻みに震えていた。
数秒の沈黙ののち、画面をみつめたまま賢人が口を開いた。
「育ちゃん。これなんて読むの?」
「んー。ちょっと待ってね」
すると、止まることなくシールを貼り続けていた育人が、俺がみる限り初めて手を止め、枕元にあった眼鏡を手に取った。瓶底のような丸い縁の眼鏡をかけ、ベッドから身を乗り出してテレビ画面を凝視する。薄い唇が画面の文言をそのままなぞりはじめた。
「本体更新のお知らせ。本体更新がございます。インターネットに接続し、本体を更新してください。更新中は電源を切らないでください、だって。この家インターネットないから【いいえ】でいいはず。右を選んで」
「右ね。ありがとう」
頷いた賢人がスティックを右に倒す。すると、ようやく【いいえ】が選択され「本体更新のお知らせ」は静かに姿を消した。
特別難しい言葉が使われているわけでも、外国語で書かれているわけでもない。小学校の高学年にでもなれば、意味がわからないにしても読めてしまえそうな文言に、二十二歳の賢人がここまで苦戦するのには、あまりに単純で、そして複雑で根深い理由があった。
それは、賢人は文字が読めないということだった。識字障害というやつで文字が上手く見えなかったり、見えても文字として認識できなかったりするらしい、というのは工場長の言葉だ。俺が自分で調べたわけじゃない。ただ、俺が年上である賢人の教育係を任されているのもこの障害ためだというのは確かだった。だから、俺の教育係としての仕事は、配られた資料を賢人の前で読み上げるというのが専らで、教育係というより補助係のようなものなのだ。
とにかく、この十か月接してみた感覚と賢人自身の言葉を信じれば、あいつの読み書き能力は小学生と同等かそれ以下だ。それに加えて、すぐに感情が顔に出る単純さや、子どもっぽい言動は更にあいつを幼くみせる。しかしそれは、賢人の頭が悪いというわけではないようだった。この前だって、俺が読んでいるうちに眠くなってしまったような長い資料を、一度聞いただけで完璧に理解していたぐらいなのだ。どちらかというと、読み書きを除けば、頭はよく回る方なのではないだろうか。
「うう、また負けた……」
そして、言動は性格上の仕様のようだ。
最後列で拍手を送るピンク玉を恨めし気な目でみていた賢人は、スコアをみることなくステージ選択画面へ戻っていった。現れたステージ候補はスマファイシリーズ最高数で、しかも全て絵付きのアイコンで示されている。ただし、その数ゆえ一ステージのアイコンが非常に小さいため、プレイヤーは、スティックをふらふら動かしながら一つ一つの絵を拡大して吟味することを強いられる。
「ステンドグラスのところも綺麗だし、コインいっぱい出るのもいいし……やっぱ犬のところにしよう」
結局、迷いに迷った賢人が選択したステージは子犬リビングだった。ここなら崖もないし、背景に登場する子犬がとても可愛い。観戦側も楽しい悪くないセンスであるといえた。
選択キャラクターはいつもと同じピンク玉だが、今回はカラーチェンジして水色玉でいくようだ。俺だって負けが込んだときは、色でも変えて気分を変えたくなるからその気持ちはよくわかる。ただ、折角の崖のないステージなのに、崖からの復帰性能が高いピンク玉を選んだのは宝の持ち腐れではないだろうか。まあ、そんなことをいって人の激闘に水を差すほど俺ももうバカではないのだが。
それはさておき、気合いの入ったアナウンスと共にスタートした激闘は、案の定というかお約束のように迷走する水色玉と、それを差し置いてゆるい戦闘を繰り広げる低レベルコンピューターという見応えのないものだった。これではいよいよ背景の犬しかみるものがない。俺が愛らしく走り回る柴犬に癒されているうちに、二分半の激闘は幕を閉じていた。一位をとったのは黄色い電気ネズミで、賢人の水色玉はまさかの三位である。
「賢ちゃんよかったじゃん。三位だよ」
「うーん、いや、勝つまでやる!」
育人の言葉もそこそこに、素早い操作でスコアをしまった賢人は再びステージ選択画面に戻っていく。その頑なな視線は、俺に、初めて最高レベルのコンピューターに挑戦したときのことを思い出させた。あのときはまだ小学生で、今の賢人のように何度も何度も試合を繰り返して、最後は半泣きになりながら勝利したのだった。次の日、そのことを教室で自慢したら、他の腕自慢たちも集まってきて、放課後スマファイ決闘が始まったのもよく覚えている。あのころは、仲の良い奴もよく知らない奴も集まってそれこそ毎日スマファイに明け暮れていた。今では想像もできない、何にも追われることのない平和な時代の思い出である。
「ありがとうね。栄二君」
「え、なんて?」
突然降り掛かってきた声に驚いて顔を向けると、そこには眼鏡をかけた育人が座っていた。相変わらずベッドの上が定位置のようだが、その手は身体の前に下ろされている。
「スマファイ持ってきてくれてありがとう。賢ちゃんはこのゲームが好きなんだよ」
育人の目が優しく細められる。その視線の先には力が入りすぎて強張った賢人の背中があった。そのゲーム初心者特有の姿をみながら口を開く。
「そうなの?」
「うん。今までゲームはテキストが読めなくてできなかったんだけど、スマファイならできるんだっていってた」
その言葉に、俺は先ほどの激闘を思い出した。子犬リビングでの一戦、賢人は初めから最後まで誰の力も借りずに試合を完結させていた。それはステージもキャラクターも絵入りのアイコンで示されているスマファイだからこそできる技なのではないだろうか。もちろん、事前にステージやキャラクター、操作の説明は必要だろう。しかし、逆にいえば、それさえ済ませていれば、スマファイは文字がなくてもプレイすることができるということになる。
字が読めない賢人ができるなら、言葉の通じない人とだってスマファイができるかもしれない。そうなるともう世界規模の話だ。大げさな想像だが、もしかすると、スマファイは言葉よりずっと強い、人と人とを結ぶ力を持っているのかもしれない。
「なんだそれ、スマファイ凄すぎねえか?」
「そうだね。それに、友達と同じもので遊べるのが賢ちゃんには楽しいみたい」
それは俺にもよくわかる。同じスマファイをするのだって、放課後にだらだらと集まりながらプレイするのと、皆が帰った後、一人でプレイするのとでは全然楽しさが違っていた。そこにあるのは皆で同じものの楽しさを共有できる喜びであり、一人では決して得ることのできない感情であるはずだ。そう思うと、一人で画面に向かう今の賢人の姿は少し寂しくみえてしまう。
激闘の残り時間は三十秒、ちらちらみていた限り、細かい攻撃を加えるばかりで美味しいところは取られっぱなしの水色玉が優勝する確率は限りなく低いだろう。するとまもなく次の激闘が始まることになる。俺は、一瞬躊躇してからもごもごと口を動かした。
「あのさ、育人が一緒にやってやったら? 賢人も喜ぶと思うけど」
本当は俺がやってもいいのだが、もう知らないとまで言われてしまったのもあって、今更入るのは少し気まずい。そう思っての提案だったのだが、育人は一瞬目を見開いた後、小さく吹き出した。
「面白いこというね。でも、僕には無理だよ。最近目も悪くなってて、もうあんな早い動きは見えないんだ」
眼鏡の蔓を押さえて微笑む育人は、内職で作ったプラスチック容器に囲まれている。俺は、そのうちの一つを摘まみ上げて育人の視線まで掲げてやった。
「こんな細かい部品にシール貼ってるのに?」
「これは何年もやってるから身体が覚えてるんだよ」
そうして、育人はもう一度綺麗な笑みを作る。本当は育人こそが賢人と楽しみを共有したいと願っているのだろう。しかし、それができないから俺に代理を頼んでいる。そんなことはわざわざ聞かなくても前からわかっていた。
育人が作った部品をベッドの上に戻した時、ちょうど激闘も終わりを迎えたらしい、賢人の水色玉は惜しくも最下位で、コントローラーを握る本人も悔しそうに頬を膨らませている。
「おい、賢人」
躊躇なく次の試合へ移ろうとしていた賢人を呼び止める。振り返った賢人は疑いようのない不機嫌を浮かび上がらせていた。
「なあに?」
度重なる敗北だけでなく、先ほどの俺の発言がまだ効いているらしい。返ってきた声は明らかにいつもより低いものだった。しかも、そのまま画面の方へ顔を戻そうとするので、慌てて言葉を重ねる。
「今日、なんでスマファイしようなんて誘ったんだ?」
「そんなの、スマファイがやりたかったからに決まってるじゃん」
確かにそうなのだろう。でも、今の俺が聞きたいのはそんなことではない。
「そうじゃなくて、職場でスマファイ持ってる人、俺以外にもいるだろ。どうして俺を呼んだんだ?」
「栄二が落ち込んでそうだったから」
「え」
予想外の返答に開いた口が塞がらない。俺が落ち込んでいるとはどういうことだ。確かに疲れてはいるけど、それは仕事による肉体的なもので落ち込む類のものではない。混乱する俺の前で賢人はいつもより澄んだ瞳でこちらをみつめている。その口が何ごともないように動いた。
「だって栄二、梨花さんと喧嘩したんでしょ」
一瞬、何をいわれたのかわからなかった。賢人が口にした梨花という名前は俺の彼女のもので、確かに先週の木曜日にくだらないことで口論になったばかりだ。だからこそ、いつもより余計に気持ちが重い部分があったのも事実だ。しかし、少なくとも俺は、それを賢人には伝えていない。
「なんでそれをお前が知ってるんだ!」
「栄二をみてればわかるよ」
立ち上がって賢人の顔を指さす。そういえば、何かの拍子に梨花の存在だけは話した気もするが、今の梨花はこの町の短大に通う大学生で、俺達の職場とは何の関係もなく、必然的に賢人とも全く関係のない存在のはずなのだ。
しかも、賢人はみてればわかるといった。もし、それだけ態度に出ていたのであれば賢人以外の同僚や上司にも見抜かれていてもおかしくはない。
「まじで、俺そんなにわかりやすいの?」
「どうだろう。賢ちゃんは鋭いからね」
後ろから内職を再開した育人の呟きが聞こえた。こいつの言う通り賢人が特別鋭いだけならいいのだが。いや、あいつ一人にバレてただけでも結構恥ずかしい。普段、職場の誰よりもふざけた会話を交わしている分、今更、自分を見抜かれるようなことをいわれるとは思ってもなかったのだ。
「よりにもよってお前にバレてたとは思わなかった」
ため息混じりのぼやきとともに、膝から床へ崩れ落ちる。それをみて賢人も同じように息をついた。童顔の瞳が呆れで細められる。
「まだ十九歳なのに恋人なんて作って、生意気なんだよ」
「はあ!?」
反射的に噛みついた俺は、目の前に迫った手のひらに動きを止めた。そこでは止まれの仕草で手をつき出した賢人が、片頬だけを持ち上げて笑っている。普段の幼い言動からは想像できない表情に、続くはずだった言葉は喉の奥へ引っ込んでいった。
「子供は難しいことなんて考えずにスマファイしてればいいんだよ」
そういって、賢人は俺が置き去りにしていたコントローラーを引き寄せると、それをこちらに差し出す。
「さあ、スマファイやろうよ」
賢人にしては落ち着いた口調で語られたそれは、どうしようもなくあの日の友人たちの言葉と重なるものだった。学校と家が世界の全てだったあのころ、学校を終えると奴らは誰からともなく俺の家に集まってきて、こういうのだ。
「なあ、スマファイやろうぜ!」
合言葉はこれだけで充分だった。あとはどんな人ともゲームで語り合うことができた。親友も、よく知らないクラスメイトも、女子も、友達の兄貴を相手にしたこともある。どんなときも勝てたときは喜び、負けたときは皆が帰ったあとに秘密の特訓を繰り返した。追われる仕事も不安な明日もなく、ただただ時間を忘れてスマファイをしてたころ。それが子供だけに許される圧倒的な特権であったことに気づいたのは、最近になってからだ。
「さすがにもう、何も考えずにスマファイしてるわけにはいかないよ」
俺はもう社会人で、仕事もあって好きな女の子もいる。あのころよりずっと自由だが、その分大きな責任を背負ってしまった。確かにスマファイは好きだ。でも、あのときの自分のように夢中になるにはきっと歳をとりすぎた。自嘲気味に吐いた息が部屋に溶ける。その余韻が消える前に、ぶしつけな疑問が響いた。
「どうしてだめなの? スマファイは楽しい。スマファイがしたいからするでいいじゃん。あと十九歳はまだまだ若いからね。これで年寄りとか言われちゃったら、僕も育ちゃんも泣いちゃうからね!」
滝のように言葉を捲し立てた賢人は、眉をつりあげ、息を荒げて、なぜか泣きそうになっているようにもみえた。そういえば、こいつと育人は俺より三歳も年上だったんだっけ。そう思って育人の方をみると、あいつは黙々と内職を続けていて、一度貼ったシールを貼りなおしていた。どうやら貼る場所を間違えたらしい。いくら何でも気にしすぎだろう。
ただ、俺がスマファイをする賢人にいつかの俺達をみたのは事実で、そして、その日を懐かしいと思っているのもきっとそうなのだ。だって、あんなに楽しかった日々は、人生を通してもあのときだけなのだから。
「あーあ。二十二にもなってスマファイに夢中になってる奴に、言い負かされたくはなかったなあ」
「いいじゃん。大人がスマファイやったって」
「……うん、確かに。確かにそうだな」
そう、別にいい。大人がスマファイやったって、ひらがなが読めなくたって、シール貼りばかりしてたって。きっとこの家の時間は外よりゆっくり進んでいるのだ。
だからこそ、この少し歪な双子の周りには、皆が忘れた時間が残っている。
「よし、久しぶりに本気出すわ」
「いいね。絶対負けないよ」
賢人が差し出したコントローラーを奪い取り、素早くエントリーを済ませる。選択キャラクターは小学生時代から絶大な信頼を寄せるイケメン王子。この局面を頼めるのはお前しかいないという考えからの選出なのだが、どうやら賢人は不満らしい。眉をさげて訝しむような表情を向けてきた。
「本気っていうわりには、いつもと変わらないんだね」
「まあみてろ。必殺技横Bを解禁するから」
「なにそれ」
ケラケラと笑う賢人に、笑っていられるのは今のうちだぞと心の中でつけ加える。ステージは黄昏の大橋、音楽はメインテーマ。最高のステージ、最高の音楽。ここまで揃えば足りないのは、最高の技と最高の勝利だけだ。
妖しく光る黄昏空を背景に、目にも止まらないスピードでイケメン王子の剣が舞う。その隙のない剣技に、水色玉はなすすべがないまま、あっという間に場外に押し出された。
「ええ? ちょ、わわわ?」
「ほう」
開始十秒での撃墜に賢人は大混乱し、育人は感嘆のため息を漏らす。その間に、イケメン王子はステージ中央へ戻り、帰って来た水色玉を迎え撃つ体勢を作っていた。その瞳は、原作設定によるところの国を失い亡命した悲劇の王子などではなく、圧倒的な力で敵を屠る無双ゲームの主人公のようだ。
「ちょっと栄二、今の強すぎるよ!」
「必殺技っていったろ。俺に勝つつもりならこれぐらい攻略してみろ」
そうはいってみるが、これはあまりにも強すぎて仲間内でも禁止令が敷かれた必殺技で、今の賢人に攻略できるはずがない。どうせこの試合が終わったら禁止技になるんだから、今のうちに楽しんでおこう。
さあ、今日は全員気が済むまでスマファイだ。
はじめまして、探沢歩々子[たんざわぽぽこ]です。
年末年始はスマブラ三昧でした。折角の休日を乱闘に費やす日々、そんなとき、ふと疑問が浮かんだのです。「ガオガエン」って英語でなんていうのだろう。
スマブラはポケモンと違って、ゲームの途中で使用言語が変えられます。私は軽い気持ちで英語のスマブラを始めました。すると驚くことに何の不自由もなく遊べてしまったんですよね。英語だけじゃなく、フランス語やドイツ語、全く齧ったことのないスペイン語でも同じように遊べる。これって凄いことなんじゃないの? と思いたったのが「スマファイやろうよ」が生まれたきっかけです。ちなみに「ガオガエン」の英語名は「Incineroar」でした。
最後に、この作品を目に止めてくださった読者の皆様に最大級の感謝を。ここまで読んでくださりありがとうございました。
(無料配布版のあとがきを一部変更しています)