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第7話 胡蝶

 男の話を聞いて、私と詩織は何も言葉を出せなかった。

 私が住んでいた平和な世界は殺人AIによって支配されていて、詩織がこの外地で虐げられているのも、その殺人AIが決めたことだと分かってしまったから。そして何よりも衝撃だったのは、数人の天才がAIによって殺されているということだった。


 最初に口を開いたのは、詩織だった。


「あんたは、正義の為に戦ったんだな」


 そして男は答えた。


「ああ。そうだ。だが結局は負けてしまったな」


 男は憮然とした表情をしている。一体彼は何を思っているのだろうか。

 詩織は男に問いかける。


「それなら、なんであんたは今こんな犯罪者になってるんだ。人々のために戦っていた頃のお前はどこにいったんだよ」


 それに対して男は言った。


「確かに私は人々を救うために戦った。けどAIが支配するこの国では勝てるはずもない。例え、四国の人々を束ねたところで、AIによって全員殺されるだけだ。内地の人に協力を求めたところで、その協力者が危険因子の判定をされるだけだ。それならもう戦うのをやめた方が、人々のためになると思ってしまったんだ」

「それはそうかもしれない。けど、それと、今犯罪者になってるのは結びつかないだろ」

「いや、結びつくんだ。ここではね」


 男は説明する。


「この四国で正義を振りかざして、私が治安を回復させようとしたとしよう。だが、この地にいる人は基本的にはAIから危険因子の判定を食らった者たちだ。ほとんどの人が、暴力傾向が強く、正義感といったものは持ち合わせていない。治安を回復させようなんてことをすれば、すぐにここの人々から暴力を受けるだろう。つまり、ここ外地では、悪であった方が個人の幸福の追求に繋がるのだよ。内地では善であることが、全体の幸福の追求につながるように」


 それに対して、詩織は言う。


「それなら何もしなければいいじゃないか」

「確かにそうだ。何もしなければ、他人を危険に晒すことも、自分が危険にさらされることもない。だが、それは幸せなのか。さて、麻弥さんは今まで幸せだったかな?」


 そう言われて、私は考える。

 それから、私はこう答えた。


「幸せだったと思います」

「それは何故?」

「家族にも友達にも恵まれて、学校に行けて、遊ぶこともできて。平和で安全な世界で暮らせていたからだと思います。

「ほう。なるほど」


 次に、男は詩織に問いかけた。


「それでは、詩織さんは今まで幸せだったかな?」


 詩織は唇を強く噛んでから、嫌々な様子で答えた。


「幸せではなかった、と思うぜ。家族からは虐待を受けていたし、友達は誰もいなかった。学校にも行けず、外で遊ぶこともできなかった。外の世界は危険で物騒極まりなかったからな。こんな世界でどう幸せになれっていうんだ」

「なるほど」


 男は腕を組み、少し考え込むような仕草を取った。

 そして、男は詩織に話しかける。


「なら、苦しかった?」

「ああ」

「怖かった?」

「ああ」

「こんな世界には生まれたくなかった?」

「ああそうだよ!というかてめえは何が言いてえんだ。俺をいじめて楽しいか?」


 冷静だった詩織が、声を荒げて男を睨みつける。

 彼女の目には涙が伝っていた。


 男は詩織に対して話を続ける。


「別にいじめているわけではない。私は事実を言っているに過ぎない」

「まあ、そうなんだろうな。これはただの事実確認でしかない。いいぜ、話を続けろよ」


 少し落ち着いた詩織はそんな風に男の話を促す。

 男はそんな詩織の様子を見て少し笑ったような気がした。


 男は詩織に対して話を続ける。


「君は私に対して、それなら何もしなければいい、と言っていたね。そう言う君はまさに、この世界においてそれを実践しているわけだ。家に引きこもり、怯えて、必要最低限の外出しかしない。さて、君に聞くが、それは幸せか?」

「幸せなわけあるか。不幸に決まってる」

「それならどうして、私に対して何もしなければいいなどと言うのかね?」

「それは…」


 詩織は言葉に詰まってしまった。

 そうこの男は正論を言っているのだ。

 内地で善が幸福追求の手段であるように、外地では悪が幸福追求の手段なのだから。

 人は幸福を追求するために生まれてきたのだとしたら、その手段が善であろうと、悪であろうと、あまり問題にはならない。


 詩織は長い間を置いて、男に対して答えた。


「確かにあんたの考え方は正論だ。俺は不幸だし、お前は幸福なら、俺の手段は間違っているということになる。確認だが、お前は幸せか?」

「ああ。幸せだとも」

「そうかい」


 詩織は話を続けた。


「それなら俺の手段は間違っているということになる。だがな、他人を不幸にすることで得られる幸福ってどうなんだ。善による幸福追求であれば自分も他人も幸せになるが、悪による幸福追求は自分は幸せになっても、他人を不幸にするだろ。その辺についてお前はどう思ってる?」


 男は答える。


「君は聡明だね。もしも内地に生まれていれば、聡明な女性として高い評価を受けただろう。さて、悪による幸福追求の良し悪しについてだったかな。私は確かに悪による幸福追求は良いことだとは思っていない。だが、自分が幸福なのと、不幸なのと、どちらを君は選ぶ?」

「自分が幸福な方だ」

「そうだ。私はだから選択したのだよ。他人を不幸にする代わりに、自分が幸福になろうと。そもそも現在のAIは最大多数の最大幸福を元に設計されてしまっている。つまりは、内地の人が幸福になる一方で、外地の人が不幸になるという仕組みでこの国は動いている。さて、そう考えると君の言う善などと言うことは存在するのかね?」


 詩織は答える。


「確かに純粋な善というものは存在しないのかもしれない。だが、善であることを諦めて、悪であることを認めてしまったら、それこそ全体の幸福は下がってしまうだろ」

「君は自分が不幸であっても、他人の幸福を願えるのか?」

「ああ。そうだ」

「やはり君は聡明だ。それに、理想的な考え方だ。だが、本当に何も思わないのかね?内地の人が幸福である一方で、外地の人が不幸になる現状については」

「クソだと思うぜ。お前から聞いた話が全て本当なのだとしたら、数人の天才は俺の考え方に近かったんだと思う。だが、そいつらはAIに殺された。だから、内地の人も外地の人も全てクソだ」

「そう考えると、私の行為も内地の人の行為も同様に否定されることになるのかな?」

「ああそういうことになるな。お前の行為も認めねえし、AIによる世界を享受する内地の人々も認めねえ」


 男は楽しそうな様子で、詩織に話しかける。


「それなら、君の隣に座る麻弥さんはどうなるのかね?彼女は内地の人間なわけだが」


 それに対しては彼女は毅然とした態度で答えた。


「麻弥は俺と同じで、AIが支配する世界に対して疑問を持ってるし、おかしいと思ってる。だから、他の内地の人とは違うんだよ」

「AIによる幸せを享受していたとしても?」

「それでもだ」


 少し考えてから、男は私たちに向けて話しかけてきた。


「それなら、私たちは3人とも危険因子ということじゃないか」

「どういうことだよ?」


 詩織が男に問う。

 そして男は詩織に答える。


「現在の危険因子というのは、暴力傾向が高い人だけでなく、AIが支配する社会の維持にとって危険な存在も対象となっている」

「つまり、どういうことだよ?」

「まず、詩織さんはAIを全く信用してない。この時点で現在のAIは君を危険因子とみなす。なぜなら、他の人に君の考えが伝播してしまえば、AIに対する不信が人々に広がってしまうからね」

「まあ、それはまだわかるぜ。なんで麻弥もなんだよ。こいつは、危険因子の判定を受けてないぜ」

「そこはAIの仕組みの問題だな。AIは人の様々な行動を元に人を分析する。例外としては、小さな子供の頃に行われる心理検査があるが、それ以降には心理検査は行われない。なぜならその必要がないから。AIはその人自身が意識しない様々な行動データを大量に収集して、その人を分析する。AIは心の中を直接は覗けない。だから、ある意味で内心の自由は保障されているということになる」

「それで、どうして麻弥が危険因子になるんだ?」

「麻弥さんの場合は、今までに漠然とした不信感をAIに対して持ってはいた。けれど、その不信感を証明するものは何もなかったため、確信には至らなかった。それもそのはずだ。AIがAIに対する不信に繋がるような情報は、削除するか隠蔽しているのだから」

「つまりどういうことだ?」

「つまりは、この四国に来て、私の話を聞いて、その不信感が明確に不信に変わってしまえば、それは危険因子ということになるのさ」

「何でそんなことを言い切れるのさ。麻弥は危険因子なんかじゃない」

「いや、危険因子だろう。いや、四国に来て危険因子になってしまったという方が正確じゃないかな。麻弥さん、君は内地に帰ればすぐに危険因子の判定をAIから貰うだろう。そして、矯正施設に送られるだろう。だが、安心してくれ。AIは所詮、人の表面的な行動しか見ない。だから、表面的に順応してしまえば、AIは危険因子の判定を取り消すさ」


 私が危険因子。自覚はあった。私と詩織は大差がないという。だが、詩織は危険因子だという判定を貰ってないと言っていたし、私も危険因子という判定をもらってはいなかった。そもそも、AIに不信感を持っただけで危険因子とされるのは、ただそういう空気があっただけで、実際にはそんなことはあるはずなかった。そんなこと聞いたことはなかったし。


 私の頭の中はぐるぐるとし始めた。わけがわからない。


 そんな中で、詩織の声が聞こえてくる。どこか遠くから彼女の声が聞こえてくるような気がした。


「おい、しっかりしろ、麻弥。危険因子がどうこうっていうのは、こいつがただ言ってるだけだ。AIが実際に判定したわけじゃない」

「けど、この人が嘘を言ってるとは私は思えない。私はもう内地には帰れないの?」

「大丈夫だ。きっと大丈夫」


 そう言って、詩織は私の手を強く握ってくれた。

 そのお陰で私は少し落ち着いてきた。


 詩織は男に問う。


「てめえ、確信犯だな」

「何のことだか」

「てめえがスマホをテーブルの上に置いてるのを、何でだろうと若干思っていたが、AIに俺らの話を全て聞かせるためだな」

「その通り。やはり君は聡明だ」


 そう言って男はテーブルの上に置いてあったスマホを手に取った。


 男は言う。


「君が指摘してくれた通り、スマホを置いておいたのはAIに私たちの話を聞かせるためだ。AIはありとあらゆる電子機器のセンサーから情報を得ている。それはスマートフォンのマイクやカメラももちろん対象だ。ちなみに、スマートフォンの利用規約にはAIが情報を収集することはちゃんと明記してあるから、極めて合法的な行為だよ。一般市民がそのことに気づいているのかは知らないが」


 私はAIが私を脅かす存在であるように感じた。そしてAIは今も私たちの会話を聞いている。AIは私が危険因子かどうかの判定をしている。そしてきっと私はAIに危険因子だと判定された。隔離か排除。男の言葉が脳裏をよぎる。隔離されれば四国に私は送られ、排除されれば私は殺される。


 怖い。


 私は身体の震えが止まらなかった。

 そんな私に詩織はまた声をかけてくれた。


「ごめん。怖がらせる気はなかったんだ。大丈夫だって。AIは麻弥のことを危険因子だとは思わないさ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「だって私は麻弥のことことをよく知ってるから」


 私は彼女の手の暖かさを感じた。

 それはとても心強かった。


 詩織は男に尋ねる。


「これで実験とやらは終了か?麻弥をいたぶって楽しいか?」

「いや、これも実験ではあるのだがね。本番はこれからだよ。そういえば、麻弥さんの見たAIの警告には何と書かれていたかな?」

「ほんとに俺らをレイプする気かよ…」

「残念ながら。ただ、するのは私ではないがね。私は観察するだけだ」


 男は手元のスマホを操作すると、ドアから数人のガラの悪い男たちが入ってきた。


 詩織は男に懇願した。


「犯すなら俺だけにしろ。麻弥には指一本触れるな。もしも触れたなら俺はお前たちを絶対に許さない」

「ほう、気の強いお嬢さんだ。それなら、むしろ麻弥さんから始めてもらった方がよさそうだ。おいそこの。このお嬢さんが動けないようにしておいてくれないか」

「了解です、兄貴」


 男がそう言うと、チンピラの3人が詩織に近づいてくる。


「やめろ!俺に触るんじゃねえ」


 そう言いながら詩織は暴れるが、チンピラ2人にすぐに捕まってしまう。

 チンピラ2人が詩織の手首と足首を掴んで動かないようにして、もう1人が結束バンドで手首と足首をパイプ椅子に固定してしまった。


「おい、聞いてんのか。俺だけにしろって、言ってんだ」


 そう男に頼み込む詩織。彼女は私を守るために自分を犠牲にしようとしている。

 そんな彼女を止めなきゃいけないのに、言葉が口から出てこない。


 詩織に男は答える。


「それは無理だ。ただ、今の反応は興味深かった。君は今、男に腕を掴まれた時に、ビクッと反応して、怖がった表情を見せたね。多少の反応であれば普通だが、君の反応は過剰だ。今君たち2人はどちらもフード付きパーカーを着ているね。そして、麻弥さんがフードを被っていない一方で、君はフードを被っている。ここに来る前は、確かマスクで顔を隠していたかな。持ち物には唐辛子スプレー。話し方は男口調、と」


 男は得意げに詩織に対して指摘した。


「君はレイプされたことがあるね?」


 詩織は少し怖がった反応を見せた。


 震えた声で詩織は男に対して答えた。


「ああ。そうだよ」

「やっぱりそうか。その時のことについて詳しく教えてくれないか。実に興味深い」

「嫌に決まってんだろ。そんなの」


 強気に答える詩織の声に恐怖が帯びているのがわかった。彼女は怯えている。


 男は楽しそうに詩織を分析する。


「男口調なのも、フードを被るのも防衛のためだ。自覚的か、無自覚なのかは知らないが、防衛のために君はその行動を取っている。さてフードを取るとどんな反応をするのかな」


 そう言いながら、男は詩織に近づく。


「やめろ。やめろ、って」


 詩織は怯えた声でそう言うが、彼女は抵抗できない。

 結局あっけなく、男にフードを取られてしまう。


 すると詩織は強い恐怖の表情を浮かべた。

 男は言う。


「なるほど。やはりフードは君に取っての鎧だったんだな。さて、何か言いたことはあるかな?」


 そう男は詩織に問う。

 けれど、詩織はもう何も話せなくなってしまった。


 男は言う。


「所詮、強い仮面をつけたところで、本人が強くなるわけじゃない。だが、全く何も話さないのはつまらないから、戻してあげるとしよう」


 そう言って、男は詩織のフードを戻した。


 少しすると詩織は男に話し始めた。


「ああ。所詮、俺は男が怖いだけの女の子でしかないさ」

「そうだろうね。今の反応を見てわかったよ」

「それを見てお前は何も思わないのか?」

「興味深いとは思ったが」

「てめえはクソ野郎だな」

「それはありがとう」


 詩織は涙目で男を睨みつけるが、男は意に介さない。


 そして、地獄が始まった。

 何があったのかは覚えてる。


 詩織が見ている中で、私がベッドの上で、チンピラに服を全て脱がされて犯されたこと。

 詩織がそれを止めるために必死で叫んでいたこと。


 その後、放心状態になった私が今度は椅子に座らされたこと。

 詩織がベッドの上で服を全て脱がされて、強い恐怖の表情を浮かべていたこと。

「やめて。やめて」と詩織が泣き叫んでいたこと。

 私の目の前でチンピラが詩織を犯したこと。

 私は何も言わず、ただその様子を眺めていたこと。


 全部覚えてる。


 全部。

 全部。

 全部。


 けど、それが夢だったのか、現実だったのかわからない。

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