第13話 不安をぬぐいて事務室
本拠地の機構に帰った各々だがそこからが一苦労だった。新生物の駆除に小戦力で成功したことは大勲章だったが、本来の目的であった護衛任務の失敗に対しては上層部もため息。さらに他の班からは「新生物の情報は誤報だった」などと愚痴を聞かされお疲れだ。
ひとまず共用のシャワーにて生臭い血をしっかり洗い、服は専門の職員へと任せる。このあたりを職員がやってくれるのだから楽ではある。
「あぁぁぁ。疲れた……」
寮はあるのだがそれでもわざわざ帰るのが面倒なのだろう。猪原は第9課事務室のソファに寝転がって目を閉じる。
空見は「村正のメンテに行ってきます」と6代目となる村正(自称)を手にどこかへ行ってしまったし、オペレーターとしての仕事を兼任している新谷はまだ仕事があるらしい。そして入院中が1名。最大で4人いるはずのこの部屋は今のところ自分の貸し切りである。
もはや自室、一人部屋状態の中でふと考える。
自分たちは命を賭して戦い続けている。新谷についてはまさしく死ぬかと思うような体験をしたことだろう。平安が自分を戦力的に欲してくれていたのは、彼女自身が自らの安全性を高めたかったからだろう。いくら戦場に慣れてきたとはいっても、決して命を投げ出すような覚悟に慣れてしまったわけではないのである。自分たちだって命は惜しいのだ。
だがもしそんな命のやり取りを、何者かの個人的な利益のために行わされているのだとしたら。
今日、誰とも知らないあの男から聞いた話を信じるわけではないにせよ、少なくとも守るために戦うこの覚悟は揺らいでしまうだろう。金銭などの目に見えるものを目的としているわけではなく、自らを必要としてくれる人を守るために戦う。そんな抽象的なものだからこそ、裏付けの曖昧なものだからこそ、その理由に陰りがでることに敏感になる。
「いや、さすがにそんなことはないだろうな……」
だが彼はすぐさまその不安に首を振る。
もしその『何者か』がいるとする。何かその何者かの利益のために動かされているとする。それでも理不尽な力から弱い者たちを守れているのは事実だし、そもそもこの全世界を動乱に陥れて得られる利益とは何なのか。
命自体が今日明日絶たれる可能性があるだけに、いかなる地位の保証も以前より高くない。経済も大混乱に陥っただけに、この中で金銭的利益を享受するのは簡単ではないだろうし、崩壊していく世界の中で金がどれだけの価値を持つだろう。
特定のどこかに混乱をもたらすのならともかく、無差別攻撃は皆が不幸になっているのである。と、するならば……
「不安……か」
人は決して強くない。むしろ弱い。だからこそ宗教を始め何かにすがりたくなる。不安があれば拭いたくなる。不幸があれば責任を押し付けたくなる。この自然発生した動乱の中で、不安は小さいものではない。その結果、『陰謀説』という姿の見えないフィクションに責任を押し付けたのがあの男たちなのだろう。例え最初は可能性であったのだろうが、先入観が都合のいい情報を収集し、都合の悪い情報は排斥し、結果として盤石な虚構が作り上げられた。それがあのテロリストたちの活動理由なのだろう。
ともすればあの男の言『負けるな。飲み込まれるな』の意味は異なってくる。
彼が本当に言いたかったことは『自分たちを襲う不安に負けるな。不安に飲み込まれるな』ということなのだろう。
そう解釈した猪原は古いソファの上で、決して不安に飲み込まれまいと決意を新たにする。新生物と戦う最後の希望。自分たちが不安に飲み込まれたその時は、この世界が闇に飲み込まれるその時なのだと。
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「うぅ……私の村正が欠けちゃった」
刃が欠けた関係で愛刀の新調を余儀なくされた空見。新たな自称・村正(7代目)を、知り合いの刀工に注文しておき、我らが事務室に帰還する。そんな彼女が見たのはソファの上でぐっすり夢の中に入り込む猪原であった。
「ほんと、不安がなさそうな表情で羨ましいなぁ」
彼の不安との葛藤の存在は知らず、のんきなことを口にする空見。もっとも不安とは縁遠い彼女の不安無き一言である。
「ふぁぁぁぁぁ。私も眠くなっちゃった。自分も横になろうかな……」
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「やっと終わったみたいですね」
新谷が仕事を終えて事務室に戻ると、暗い部屋の中、猪原がソファで、空見はどこからともなく現れた布団で寝ているところ。
「私も疲れましたし、少し寝ちゃいましょう……」
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現行の第9課、全員夢の中へ。なおそれから30分後に籠谷がふと9課を訪ねると、ソファで寝る猪原、寝袋で寝る空見、椅子で寝る新谷が発見。さらにそこへ部屋の隅で大剣を抱えて寝る平安が、なぜか別の班でありながら加わっていた。籠谷の第一声は「何事⁉」だったそうである。ちなみに彼は机を挟んで新谷の向かいのポジションで寝たとのことである。