第12話 狂言
「お、おい」
「ククク……やはり……言いたいことは、もったいぶらず、言うものだな……」
胸から噴き出す血を手で押さえながら口を開く男。しかしその血は一切止まるところを見せず、手で押さえる行動すら無意味に思わせる。猪原は振り返ってみるも、自らの仲間たちの中には銃を構えるものはいない。つまり皆が撃ったものではない。
「よく、聞け。この国は、カハッ」
さらに男は続いて血を吐き、次第に声が小さく、そして擦れていく。
「腐っている。国民の、命を守ろうとする善意を、悪用している者がいる」
「それが、あいつ?」
猪原は近くで倒れている政治家に目をやる。
「あぁ……だが、敵は、それだけじゃない。倒しても、まだ、新たな悪がでてくる」
男は小さく頷きつつ、近くにしゃがんでいる猪原の顔に血塗られた手を添える。
「負けるな。そして飲み込まれるな。未来は……お前、たちに……」
そしてその手がゆっくりと地に落ち、男の息はゆっくりと途絶えた。
猪原、そして近くで聞いていた皆は男が口にしていた言葉の意味を考えていた。
政治家重鎮を暗殺。今目の前にいる男は、おそらくは以前に話に上がっていた『国民解放戦線』の構成員なのだろう。今の言葉がこの動乱に乗じて国家転覆を図ろうとする者の狂言なのかもしれない。だがその一方で、もし本当ならばという思いもある。
「おい、お前たち。大丈夫か」
急にかけられた声。猪原たちは武器を構えながら振り返る。
「何者?」
空見が刃が赤黒いままの日本刀を引き抜くと、そこにいたのは10人弱のスーツを着た男たち。
「詳しくは機密で言えないがな……公安庁と言えば分かるだろう」
「公安庁……テロ対策組織ですか。お早いお到着で」
平安は落ち着いた声質で答える。
公安庁は昨今の動乱による治安低下やテロの発生に対応するため作られた公安組織。都道府県単位で運用される警視庁・警察庁とは異なり、全国で活動を行う省庁である。それだけにあの男がテロ組織の一員だとするならば、ここにいるのも納得ではある。
「状況はあらかた理解している。ここは我々に任せて、君たちは戻りたまえ」
「ひとつ聞かせてくれ。この男を撃ったのはお前たちか?」
猪原はやや敵意半分見せながら問う。
「男というのは、政治家ではなく構成員のことだな? いかにも。彼らは目的のためには自らの命を失うことも厭わない、それこそ自爆テロもありえる集団だ。ゆえに君たちの安全を考えて射殺させてもらった。君たちと言えど、爆発のような衝撃波から逃げられるほどの力はなかろう」
「ご配慮いただき感謝します」
「礼には及ばん。我々の仕事だ。そしてここからも我々の仕事だ。早く行きなさい」
「はい」
やや納得いっていない感じを見せながらその場を後にする猪原。それに続いて皆も続々と拠点へと戻る。
おそらく納得いかない理由は、政治家を守れなかったはずの公安庁が落ち着いていたこと。そして公安庁の到着が早すぎることだろうか。だが、それだけ場数を踏んできたからこそこの程度では動揺しないとも思えば、そして襲撃の情報を予め仕入れていたとするならば多少の納得はいく。
「はぁ~疲れた」
引き続いた緊張感が途切れたせいか気の抜けた声を出すのは空見。彼女を見ていれば、公安庁が落ち着いていたのも頷ける。
「しかし護衛失敗とあっては、帰ったら説教かなぁ……」
「かもしれなないね」
籠谷と空見の緩い会話。始めこそこうした会話をしているのは2人だけであったが、任務中断につき本拠撤退となり準備をしていると次第にその緩さは周りにも広まる。親しい人間ならばまだしも、よく知らない人が1人2人死んだところですぐに切り替えるのは、戦場に生きる者として必要なスキルなのである。そうでもしなければ、精神が壊れてしまうことだろう。だからこそ1人や2人の死など、喉元過ぎれば熱さを忘れると言わんばかりに気にしなくなってしまう。
あくまで人の死は、である。
「負けるな。そして飲み込まれるな……か」
猪原は駐車場に止まる黒塗りの公用車。
そこへはためく日の丸の旗を、矛盾する2つの思い――信頼と疑心に満ちた目で見つめていた。