第107話 教育実習生
夏休みが明けてから少し経ったある日のホームルーム。
俺達の1年B組の担任である久遠先生が、頭を片手を頭にしてため息を吐いていた。
そんな久遠先生の隣には、スーツ姿の真面目そうな男性が立っていた。パッと見て男はイケメンといえる容姿をしている。
男は何故か俺の方に視線を向けている。気のせいかもしれないが、恨みでもあるような目で睨まれているような気がする。
「…………ん」
「どうした?結衣菜」
突然隣の席の結衣菜が、俺の後ろへと隠れてきた。
「あの人、私の元婚約者の人」
「っ」
結衣菜の言葉に声を出しそうになる。
「間違いないのか?」
「うん。写真でしか見たことないけど、間違いないと思う」
ということは、あれは社長ってことになる。でもなんでその社長がこんな学校の教室にいるんだ?
「えーっと、この人は教師の実習生として来られました」
「皆さん初めまして。東雲 誠哉と申します。1週間と短い間ですが、宜しくお願いします」
挨拶する東雲は良い雰囲気の教師を醸し出しているが、俺を見る目は相変わらずの目をしていた。
ホームルームは東雲の紹介を除いてはいつも通りだった。
だが、ホームルームが終わった途端、教室を出て行く久遠先生とは真逆に、東雲は俺と結衣菜の方へ歩いて来た。
見た目が良い東雲に対して、クラスメイトの女子は黄色い歓声を上げる。
「お久し振りですね。結衣菜さん」
「…………………」
結衣菜は完全に俺の背後へ隠れる。しかし、教室はイケメンの東雲が結衣菜と知り合いだとわかり、女子達の驚く声が響き渡る。
東雲は結衣菜を隠す俺が邪魔だと言いたそうに、顔を歪める。
「東雲といったか?」
そこに上北が割り込むように入ってきた。
「おや、君は」
「俺は上北だ。あんたには俺の親友や仲間が色々とお世話になったようだな」
「………なんのことでしょう?」
「まぁいい。それより早く行かなくていいのか?そろそろ授業が始まるぞ」
「………………」
東雲は最後に俺を睨んでから、教室を出ていった。
☆ ☆ ☆
この日、東雲とは朝に顔を合わせただけで、放課後まで何も起こることはなかった。
俺達は部室に集まり、東雲の行動について話し合うことになった。
「で、あいつは何しに来たんだ?」
「ふむ。久遠先生に聞いたところによると、ちゃんとした手続きの上で、教育実習生として来たらしい」
「私、少し話してみましたけど、頭の良さそうな普通の人って感じでした。本当にあの人が結衣菜ちゃんを拐おうとしたのかな?」
詩穗の初対面での印象だと、誘拐しようとしそうだとは考えづらいようだ。
「鶴野宮、あいつはブラックに近い………いや、殆どブラックと言ってもいいことを裏でしている。表面上だけの顔に騙されるな」
上北が珍しいぐらいの強めの言動で言った。確か上北はあいつについて色々と調べていたけど、上北がそこまで言うぐらいに悪いことをしていたってことか。
「今まで比較的安全だった学校が危険な場所となった。音無、一ノ瀬の側を片時も離れるなよ」
「もちろんだ」
「私もトイレや体育の時は結衣菜ちゃんの側にいるようにするね」
とりあえず、相手の出方が分からない以上、こうやって注意をしていくしかない。
何かあいつが犯罪している証拠を取り押さえることが出来ればいいんだけど。
「さて。そのことは一先ず置いておくとして、部活動を始めるぞ」
こうして、俺達は部活動を始めた。
☆ ☆ ☆
東雲がまず行ったのは、周りの信用を得ることだった。
周りの信用を得なければ、周りの人間を動かせないからだ。
とはいっても、この学校に居られるのは一週間だけ。この短い期間に信用を得るのは至難の技だ。
だが、東雲には勝算があった。
東雲は若くして社長の座を奪い取った頭脳がある。自分の知識を惜しみ無く使い、身近にいる先生や生徒の悩みを解決し、信用を得ることにした。
初日の結果は上々だった。
しかし、目的である一ノ瀬 結衣菜とその周囲の人物からは警戒されている。
東雲はせいぜい一ノ瀬 結衣菜とその恋人の音無 琳佳に警戒されていると考えていた。しかし、今日出会ったあのグループが東雲に対して敵意を持っていた。
特に東雲がヤバいと感じたのは上北と名乗った生徒だった。
あれは自分と同類だと直感が告げていた。今まで邪魔してきたのは、天音 久遠だと考えていたが、その考えは違うと悟った。
「…………まぁ、あの辺りに気が付かれないようにしつつ行動すればいいだろう」
それでも計画は変えない。
東雲は計画を進めるべく、行動を移すのだった。
☆ ☆ ☆
俺達はこの一週間、より一層警戒をして過ごした。
その甲斐もあってなのか、以前より平凡とした毎日を過ごせていた。
そして今日、東雲は実習期間を終え、この学校を去ることになっている。
そう。今日を耐えれば、学校での問題はなくなる。
逆に言えば、最後の日である今日が一番危険な日になるかもしれない。
なので、俺を含め結衣菜の近くには詩穗と一も常に一緒にいるようになっていた。
上北も出来る限り俺達の近くにいるようにしているが、何かやることがあるのか席を外すことが多かった。
そして、何事もなく午前の授業、昼休みと時間は過ぎ去り、後2つの教科で今日の授業は終わろうとしていた。
俺達のクラスの全ての授業は基本久遠先生が担当しているのだが、久遠先生も校長という仕事もあり、たまに本来の担当の先生が授業をやることになることもある。
今日の五時間目はまさにそれで、物理の授業は久遠先生ではなく、男の先生が担当していた。
その先生は授業の最後に小テストをやることが多く、いつも通りに小テストをやった。
だが、今回の小テストの最後の問題は、問題というわけでなく、その人観点の意見を聞いてくる問題だった。
俺はこういう問題は苦手だが、上北や結衣菜は得意そうだ。下手をしたら、上北なんかは論文みたいになるのではないだろうか。
小テストの回収が終わり、先生はパラパラと中身を確認していく。
「あー、上北と一ノ瀬。放課後は………こちらが予定あるから、この後少しだけ時間をくれないか?次の授業には間に合わせるから」
先生はそう声を掛けてきた。
この先生は自分の趣味。つまり物理関連の話したがりで有名なので、こういうことは今までもしばしばあった。
最初は俺達も職員室前までは一緒に行こうかと思ったが、結衣菜は上北もいるから大丈夫だと言って、2人で先生に付いて行ってしまった。
「ねぇ、結衣菜ちゃん大丈夫かな?」
「上北がいるから大丈夫だと思うけど」
詩穗や一とそんな話をしながら、次の授業を待つ。
しかし、授業開始のチャイムが鳴っても、先生が来る気配はない。次の授業は久遠先生なので、遅れることはあまりなかった。なので、ちょっと心配だ。
クラスの皆で先生を待っていると、廊下からドタバタとして足音が聞こえてくる。
そして、ガラッと大きな音を発てて教室のドアが開き、久遠先生が慌てた様子で入って来た。
「音無君!!ちょっと来て!!」
珍しく大きな声で呼んでくる。俺は嫌な予感がして、駆け足で久遠先生のもとへ向かう。俺の後ろには詩穗と一も付いてくるが、久遠先生はそれを咎めることはしない。
「他の人は自習!!いいわね!!」
久遠先生は「ついてきて」と言って、廊下を小走りで移動を始めた。
「一ノ瀬さんが拐われたわ」
久遠先生の言葉に俺は、嫌な予感はなんで当たるのかと思いながら、現状を把握するために久遠先生に付いていった。