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怪異探究行

四谷怪談 祝祭のなかの祟り

作者: 藤代京


 四谷怪談のヒロインが苦手だ。


 名前を書くのも嫌なぐらい苦手だ。


 なにが嫌って四谷怪談は創作であのヒロインは実在しないのに祟るのが、苦手だ。


 実在しないのに祟るんだぜ。

 (モデルは実在する説、実在しない説、モデルは実在するけど夫婦仲睦まじく該当の事件は存在しない説、事件が存在しない説、色々あるが四谷怪談が創作であることに違いはないので、モデルの有無に関わらず架空のヒロインとして扱う)


 ある芸能関係者曰く、例外なく祟る、一回でも例外あったら誰がお祓いなんかするかよ。


 である。


 存在しない癖に祟りはてきめん。誰がそんな存在に近づくもんか。


 とずっと思っていた。


 と思いつつも、ガジェットさえ揃えば本質や実在と関係なく怪異は起こるということなのかしら?とぼんやり思っていたが、ある時ふと気づいた。


 ガジェット揃えて起こす仮象現実論(俺がでっちあげた造語、ガワさえ整えれば中身に関係なく怪異は起きるという妄想)的なことではなく、あれって人工精霊っていうか人工祟り神なんじゃないか?


 俺の本質直感もそれが当たりだと言っている。


 さて四谷怪談のヒロインが人工祟り神だとして話を進めてみよう。




 四谷怪談はもともとが舞台だ。


 光源が不十分な当時の芝居小屋で演じられる怪談がさぞ鬼気迫るものだっただろう。


 その恐怖が凝り固まって祟り神になったのだ!


 なんて単純な話では、もちろんない。


 


 昔、演劇にはまって見るだけでは足りずにアマチュア劇団に所属していた。役者やったり照明の講習受けにいったり、大道具立て込みしたり、音響以外はやったな。

 音響はさわったこともないので、よくわからん。



 その経験から言うと舞台と言うのは祝祭だ。


 芝居だけはない。歌舞音曲、その全てが本質的に祝祭である。そこらへんはニュルンベルグのマイスタージンガーを聴いてもらえれば、よく理解できると思う。


 芸事が神々に奉納されるのは、その本質が祝祭だからである。


 故にそれが演じられる劇場も日常からは外れる。


テント芝居から倉庫を改造した芝居小屋、新国立劇場まで見てきたし、テント芝居のあとに打ち上げに混ぜてもらってそのまま泊まって次の日バラシを手伝ったり、搬入用のでかい扉しめても隙間から雪吹き込んでくるんだけど! 劇場に泊まり込んで朝起きたら(劇場泊まり込みはとても楽しいけど、それが許可されるとこは極僅か)布団にうっすら雪積もってるんだけど、なんて経験をしたけど、どの芝居小屋でも劇場でも必ずないものがある。


 生活するための機能がない。


 まったく人が住むことを考えてない。当然だけど。


 トイレと給湯室くらいはあるけど、(たまにトイレすらないこともある。あっても仮説トイレだったり)洗濯はできないし風呂にも入れない。泊まり込みのときは布団持ち込みだ。あと調理するならカセットコンロもいる。(電気が使える、つまり照明と音響の電源用に発電機を持ち込みような状況でなければ炊飯ジャーで味噌汁も作れるのであると便利だ)


 日常とは駆け離れている空間なのだある。


 だから、創作物でも劇場に住み着くような人物は怪人として扱われる。


 なので劇場にまつわる怪異はありふれている。


 あそこの照明ブースは出る、だとか(照明オペしてると、よしここから五分間は照明が変わらない、手が空くからトイレいけるなんてことしか考えてないから幽霊出ても気づかないと思うが)舞台袖で出待ちしてたら後ろから肩叩かれた、後から確認したら叩いた人はいなかった、だとかマジでヤバい話はないが与太話めいた怪異はわさわさ出て来る。


 こっちかあっちか、どっちだ? と問われたらあっちの方にずれている。


 狂った聖域ではないが、変な方向にはずれている空間ではある。


 そんな場所で日夜、神々にも奉納される芝居は演じられる。


 しかし、当然ながら奉納されるべき神はいない。


 こう考えてみると、芝居小屋とは演じらるものがありそれを見に客が集まる。これに神様を足したらそのまま神社のお祭りになる。


 つまり芝居や歌舞音曲の公演は神様抜きにお祭りであるとも言える。


 しかし、神様はいない。


 神棚ある劇場もあるが、別にその神様に捧げている訳じゃないしな。


 では、祭りであれば神に奉納される何かはどうなるのだろう?


 ひたすら堆積していくのだろう。


 そのせいか変な気配を感じることもある。


 暗転中にいま下手から上手に魔物が通っていった、と感じたことがある。なにを見ていた時か忘れてしまったが、あの変な感覚はまだ覚えている。


 その時は、ああ、これが通りモノかと納得したのだけど。



 

 その変な空間で変なモノがが延々と堆積した芝居小屋で、四谷怪談が演じられる。


 最初は何事もないだろう。


 しかし、そのうち何かが起きて誰かが怪我をする。


 怪異によるものではない。舞台は危険が一杯だ。


 照明のライトはフックとネジで照明バトンに固定される。フックはネジが緩んでも落ちない構造になっている。それに落下防止のワイヤーがつく。用心深い人は照明の電源コードをバトンに絡めて、最悪それで落下が防げるように仕込む。


 人の上に落ちたら一発で死ぬからだ。


 舞台装置は床に釘を打てる劇場なら釘打って固定して、さらに重し乗せる。


 舞台装置に建築物のような強度を期待してはいけない。あれらはただ立っているだけで、いつ倒れてもおかしくはないのだ。


 舞台裏だって危険が一杯。というか役者も裏方も公演中は脳が変な方に開いてるので、普段しないようなことをやらかす。


 公演が盛況でロングランになれば怪異などなくても、いつか誰かが怪我する。下手すれば死ぬ。




 そこでぼそっと誰かが呟く。



 これって四谷怪談のヒロインの祟りなんじゃないか。



 人の想像力というのは恐怖や危機に対してそれがもう終わったのか、それとも現在進行中で今すぐ逃げなきゃならないか判断するのに必要なのだが、この場合、それが現実とフィクションを貫通させてしまう。


 延々と堆積してきた何かに明確な形が与えられ、祟り神が生まれてしまう。


 慶事ではこうはいかない。それはよかったね、おめでとう、で終わってしまう。


 凶事だからこそ想像力が現実とフィクションを貫通する。


 アレイスター・クロウリーが777かなにかで地下祭場で毎日儀式魔術を行って霊的密度があがっているので、そのうちカーリー神を物質化して降臨させられるだろう、と書いていて、なにをふざけたことを、んなことある訳ないだろヤク中め、と思ったがそれと同じことが起きている。


 カーリー神の降臨のように祟り神は作られたのだ。


 そら実在とか関係なく祟るわ。


 だって四谷怪談専用の祟り神がついてるんじゃん。

  

 祟らない訳がない。


 と同時に実在しないくせに祟るという構造を解体できたので、俺的にはすっきりだ。


 この理屈だと前にも書いたが貞子や伽椰子も祟り神として生みだせるので、舞台でリングや呪怨はぜひやめていただきたい。

 そういやリングブームの終わりごろに貞子は実在するなんて都市伝説が生まれてこともあったっけな。

 あれも要するにこうゆうことか。


 


 補記


 アレイスター・クロウリーが儀式魔術における香の効能について霊的密度をあげるのにうんぬんかんぬんと書いていて、また頭おかしいことを思ったのだが、香が劇場に堆積する何かと近似であるとすれば理解できない話ではない。


 とこんなことを書く俺の頭も十分おかしいのだが。

 

  

 


 

 


 

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