路地裏のタンポポ
ぐぅぅ……
朝から何も与えられていない智憲の腹は食べ物を要求するが、残念ながら食べるものを持ち合わせていないため応えてやることはできない。
時刻は昼の十二時を過ぎ、予定では今頃テレビで見かけた美味しいと評判のラーメンを食べていたはずだったが、残念なことに本日定休日の立札が掲げられていた。あまり来ない場所のため他の店もわからず、通りから離れているために近くに何もない。
面倒くさがって朝食を抜くんじゃなかったと後悔しても遅く、とにかく何か食べるところを探して彷徨っていた。
味気ないがこの際コンビニ弁当でも文句は言うまいと進も街道から外れていてはコンビニすら発見することができない。
智憲はとうとう諦めてもと来た駅へと帰ることにした。駅周辺ならば何かしらあるだろうという算段だ。たとえ無かったとしても電車で街中へいけばいい。
その後も途中に居酒屋を数件見つけたが昼間からやっているわけもなく食欲だけを掻き立てる。そんな時、どこからか油で揚げる香ばしいにおいが智憲のもとへと漂って来たので、においを辿り路地を進んでいくとそこには年季の入った佇まいの定食屋が営業していた。
のれんが出ていなければ入るのに躊躇うところだが店の前には数台の車が止まっており換気扇はゴーゴーと音を立てて回っているので営業中だとわかる。
どんなに寂れた店だろうと食べれるのならば文句はないと意を決して戸を開けてみると
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
当然ながらどこにでもある普通の店だった。テーブルと座敷が数組あるだけの小さな店内は掃除が行き届いており好印象がもてる。見回すとお昼時のためか席の半分ほどが埋まっており客足はまずまずといったところだ。
てきとうに席に座りメニューを流し見るとランチ、定食、うどん、丼ものと定番メニューが並んでいる。今日はラーメンの気分だったがさすがに載っていない。お冷を持ってきた店員におすすめを聞くと鳥南蛮定食だというのでそれを注文するとテレビを眺めて時間をつぶす。既にお腹は待ちきれないぞと訴えているが水を流し込みおとなしくさせる。
しばらくすると厨房の方から鶏肉を揚げる香ばしいにおいと音が漂ってくるのでたまらない。隣の机に並んだ料理までも美味しそうに見えてくるから困りものだ。ちなみに今日のランチは魚のフライだった。
「鳥南蛮定食お持ちしました」
湯気の立つご飯とみそ汁それに揚げたての鳥肉に甘酢とタルタルソースのかかった鳥南蛮、見るだけで美味しそうである。早速、鳥南蛮を一口ほうばると口の中に鳥の旨みと甘酢、タルタルソースの味が広がりご飯が欲しくなる。ご飯を食べると鳥南蛮をもう一口、たまにみそ汁で口の中をリセットする。みるみるうちに皿が空になっていき最後のにみそ汁を飲み干すと後は食後の余韻に浸るのみ。
空腹は一番の調味料とはよく言ったもので、お腹がいっぱいになり改めてみると味付けは至って普通であった。美味しいことには違いないがお勧めというほどかと言われれば考えてしまうレベル。しかし、飽きない味といえばこれでいいのかもしれないと思えてしまう。実に甲乙つけがたいところだ。
とにかく目的通りお腹を満たすことができたので智憲はお会計を済ませて店を後にすることにした。次来ることもないだろうから悩んでもしょうがない。
「んー、何か物足りない味だったかな」
「そうかい、どこら辺が物足りないんだ?」
「鳥南蛮の味は悪くなかったけど普通すぎるというか、家で作ったものと大して変わらない気がするんですよね」
「そこまで言うとは、お前さんいい舌してるね」
智憲はひとりごとのつもりで言ったのだが、突然投げかけられた問いに流れで答えてしまった。驚いて振り返ると、そこには煙草の煙をくゆらせる料理人の恰好をした男の幽霊が面白いものを見つけたと言わんばかりの顔をしてこちらをみていた。
また変なのに捕まったと後悔するも、今更見えてませんなんて言い訳が通じるわけもないので食べたものが落ち着くまで渋々男の相手をすることにした。
「あなたはここの人ですか?」
「ああそうさ、今の店主の親父だよ。酔った勢いで階段から転げ落ちてな打ち所が悪くて死んじまったのさ」
元店主の男はそういうと煙草の煙を一息吐き出し窓からちらりと店内を覗いたのだった。
「それにしても兄ちゃんは俺の事が見えるんだな。霊能力者なんてのはインチキばかりだと思ってたがそうでもなかったようだな。近所の住職なんて顔を合わせても顔色ひとつ変えやしないのによ」
「私は生まれつきなので。私も見えるって人にはあったことありませんよ」
「それもひとつの才能さ。うちのせがれなんて勉強はできたが料理の腕はからっきしでな。店を継いだはいいが味はまだまだだな」
「貴方が育てたんじゃないんですか?」
「一度は家を出て就職したんだが少し前に戻ってきてな。何があったか知らないが店を手伝うって言いだすんでやらせてみたんだがいろいろ教える前に死んじまって、大事なことは伝え損ねちまったんだ」
「それはまた大変ですね。レシピとか残してなかったんですか?」
「レシピだ?そんなもん定食屋にあるわけないだろう。作り方は全部俺の頭の中に入ってるからわざわざ書き残す必要なんざないからな。あいつが店を手伝うっていってもすぐに弱音吐いてやめちまうと思ってたしな。まさか俺がいなくなっても店続けるとは思いもしなかったよ」
どうやら人間というのは生きていても死んでいても後悔ばかりする生き物の様だ。
「あいつに料理の才能はねえよ。食べて分かったかもしれんがあいつの料理は不味くはないがプロの味じゃないんだよ。精々美味しい家庭料理ってところだな。今の世の中レシピなんて本やインタネーットで探せばいくらでも見つかるから上手くやってるんだろうが、プロのひと手間っていうのは実際に教えてもらわなきゃわからないもんなんだよ」
「確かにあの鳥南蛮は美味しかったですが何か物足りない感じがしたのはそういうことなんですね」
「まったくこんな店さっさと畳んじまえばいいのによ」
「因みに貴方が鳥南蛮を作るなら何を使うんです?」
「あれはな仕込みの時に山椒をきかすとと味が引き締まるんだ。後からかけちまえば同じように見えるが山椒のかかったタレと山椒のきいた鶏肉にタレをかけるんじゃ肉そのものの味が変わってくるのさ」
「山椒が隠し味でしたか」
「そうだ、にいちゃんが何とかして教えてやっちゃくれないか?」
「それは無理です。初めて食べに来た私が隠し味だと言っても息子さんは納得しないでしょう」
「それもそうか」
元店主の顔には何もできないもどかしさが出ていたが智憲にはそれを払ってやることはできなかった。古くからの常連客がこういう味だったと言うならば息子も聞く耳を持つだろう。しかし、見ず知らずの人間がどうこう言っても難癖付けているようにしか聞こえないだろうからだ。それに、素人の智憲に全ての事を伝えてやれるわけもなく、その責任を持つことも出来ないのだ。
その後も何かいい案はないかと考えたが時間だけが過ぎていった。
店の前に無言で佇んでいると店主がのれんを下げにやってきた。どうやら昼の営業は終わりらしい。
「おや、お客さんすみませんが昼の営業は終わってしまいまして」
「もう帰るところですから」
「つかぬ事をお聞きしますが最近味を変えられましたか?」
「お口にあいませんでしたか。実は、今までは父がやっていたんですが少し前に亡くなりまして。私が後を継いだもののまだ昔の味が出せずにいるんです」
「それは言いにくい話をすみません。いえね、こちらの鳥南蛮は山椒のきいた味だと伺っていたのでもしやと思いまして」
智憲はそれとなく隠し味である山椒の事を伝えると店主は考えるようにして店の中へ入っていった。これで少しはおじさんの意向に沿えただろう。
「余計なことしよって。まあ、あれで分からなきゃどうしようもないな」
元店主は煙草をふかしながら息子の将来を案じて店の中を覗いていた。なんだかんだ言っても後を継ぐ息子を応援したいのが親心であろう。
そして、煙草を吸い終わると、兄ちゃんありがとうよと言い残して消えていった。
智憲は元店主の言葉に照れつつも一杯になったお腹で家へと帰り次の絵に取り掛かるのだった。
数日後、智憲は馴染みの喫茶店で由紀子と朝食を取っていた。週に二度この店で朝の時間を一緒に過ごすのが二人の約束なのだ。
「この間テレビでやってたラーメン屋に行ってみたんだけど丁度休日で食べられなくてね」
「その店なら知ってますよこの間雑誌にも載ってました。行くなら誘ってくれればいいのに」
「今度一緒に行きますか?」
「いいですよ。是非行きましょう」
そんなひと時を過ごしつつも絵は着々と出来上がっていた。今回のモデルは定食屋のおやじである。恐らくは何十年とあの店を切り盛りし家族を養ってきたのだろうことは店の様子から想像できた。
元店主の仕事っぷりを見たことはなかったが、息子に何も残していなかった事を考えると昔気質の職人だったに違いない。口にこそ出さなかったが背中を見て育った息子に自分の味を継いでもらいたかっただろう。
今回の絵にはそんな思いを込めて厨房に立つ父の背中姿を描いていた。
智憲の父親は家にいる方が少ない人だったため少しばかりこういう背中姿に憧れがありイメージはすぐに纏まった。お客さんの笑顔を絶やさぬように毎日厨房に立ち働く姿を描き上げるつもりだ。自分は父親と同じ道へ進もうとは思わなかった。しかし、あの息子が店を継ごうと思ったきっかけはこの後ろ姿にこそあったのだろう。ならばこの絵からもそれを思い立たせる迫力を出さねばならない。
この絵が完成するまでにはまだ数日かかるだろう。完成したあかつきにはもう一度あの店に行ってみるのもいいかもしれない。