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夜顔と朝顔

 一時間もすれば朝日が昇るだろうという早朝の雑居ビル街の中、木村智憲は何処へ行くとも決めず彷徨っていた。

 周辺にはまだキャバクラや飲み屋帰りだろう人影がまばらに動いており街が寝静まるまでにはもう少しかかりそうな中途半端な時間。

 智憲はそんな街中に酒を飲みに行くでもなく、かといって何か目的地があって足を進めるわけでもなく何処か疲れの見える喧噪の中溶け込むようにふらふらと歩いていた。

 そんな時ふと道の端にたたずむ一人の女性の姿が見えた。着飾った格好から水商売の客引きだろうか。年のころは二十代半ばほど。遠目に見ても美人であろうことがわかる顔立ちと相反してどこか疲れた今にも消え入りそうな姿をしている。

 智憲が近づいて行くと向こうも気が付いたようでこちらに興味ありげな目線を投げかけてきた。


「あら、あなたには私が見えるのね」


 女性は暇つぶしでも見つけたと言いたげな表情で声をかけると品定めするよう智憲に声をかけた。


「生まれた時からそういう質なので」


 智憲もいつものやり取りと決まった返事をするといつも通りの取引を持ち掛ける。


「ご存じでしょうがあなたは既に死んでいます。あなたの願いをひとつ叶えるかわりにあなたの魂を僕にください」


 そう、目の前の女性は既に死んでいるのだ、幽霊というやつである。当然周りの人たちには女性の姿は見えていない。

 生前はこの女性も多くの男たちを魅了し夜の帳へ消えていったのであろうが幽霊となった今では誰も彼女をのことを見向きもせず、生前と変わらぬ美しさであろうと無価値であると言わんが如く誰も気に留めることはなかった。

 女性の方も自分が死んでいることにすぐに気が付いた。今まで懇意にしてくれていたお客さんや同じ店の友人たちが通りがかっても誰も気が付いてくれない。声をかけたりしてみても誰も聞いてくれない。街がどんなにネオンの光で包まれようとも自分ひとり取り残されお前なんていなくても問題ないと言われているような感覚に押しつぶされそうになっていた。

 そんな時、自分のことが見える男に出会った。死んだ直後には色々やり残したことがあったと嘆いたものだが、今の彼女には自分のことを見てくれる人がいるというその事だけで満足であった。


「私と一緒に朝日を見てくれないかしら」


 自分を見つけてくれたことで満足な彼女にこれといって願いもなかったがもう一度だけ朝を迎えてみたかった。

 生きていたころは仕事終わりの疲れた体で日の光を感じ一日の終わりといつまでこんな生活を続けるのかという不安の象徴でしかなかった。

 死んだ後は街に独り取り残されたことを痛感し、帰る場所も行く場所もないことを突きつける嫌なものでしかなかった。

 そんな存在でしかない太陽ではあるが朝日というものは何故か人を引き付けるものがある。最後にもう一度だけ見てみるのも悪くないと思ったのだ。

 それから朝日の昇るまでの短い時間、智憲と幽霊の女性は他愛のない世間話をしたり彼女の生い立ちを聞いたりして一緒に過ごした。

 彼女にとってその時間はただの暇つぶしだったのかもしれない。しかし、智憲はそのことを決して忘れないだろう。

 なぜなら、その時間確かに彼女はそこに存在し生きていた証拠なのだ。生前の彼女に会ったことなどなく既に死して誰にも相手にされなくなったとしても確かに彼女はこの街で生きていた証であり彼女という人物を知る唯一の機会なのだ。

 そうこうしているうちに東の空が明るくなり彼女との約束の時が訪れた。


「朝日ってこんなにも綺麗なものだったのね」


 吹っ切れた今の彼女には朝日を見るのに何も邪魔するものがなく唯々輝いて見えた。

 そして、彼女の横顔は人生に一区切りつきやることをやり切ったとでもいう様な大人の女性のものであった。

 智憲は女性の横顔に見とれていたが目が合うと恥ずかしそうに視線を外し出会った頃と随分印象の代わった姿をみて生きてる頃に会いたかったななどと思った。

 そんな彼女は智憲をからかう様に唇にキスをすると、あっけにとられる様子を楽しむ悪い大人の笑みを浮かべたまま朝日の中に溶け込んでいくのであった。

 同い年くらいに見えた女性、本当は年下だったかもしれないが恐らくは自分よりも随分と人生経験を積んだであろう女性に対し、女ってのは手に負えない生き物だと苦笑しながらも魂を食らい全身に力がみなぎるのを感じるのだった。 



 幽霊の女性と朝日を見た帰りに智憲は行きつけの喫茶店へ足を運んだ。早朝にも関わらずすでにお客がおり店内には珈琲の香りが漂っている。

 喫茶『アルト』というその店は店長が趣味で画廊をしておりよく智憲の描く絵を気に入って店に並べてくれている。

 智憲とは美大に通っていたころからの付き合いで数年になる。大きな賞を取ったわけでもないが智憲の絵を気に入ってくれており、店に並べてくれるおかげで無名の智憲は画家として何とかやっていけているのだ。最近では絵を気に入ったお客さんから自画像を描いてくれと頼まれることもしばしばだ。


「おはよう智憲くん。調子はどうだい?」

「おかげさまで。次の題材も決まったので出来上がったら持ってきますよ」


 次の題材には今朝の女性を描こうと決めていた。智憲の絵は人物画が多く、殆どが自分の出会った幽霊たちの絵であった。彼らを食らう後ろめたさから供養として書いているわけではない。彼らの願いを叶えた姿がとても眩しく智憲を引き付けてやまないのだ。

 死して目的をやり遂げた彼らと生きていても何もなくただ漠然と生きているだけの自分を比べ羨ましく思っているだけなのかもしれない。

 理由はどうあれ彼らのことを忘れないように毎回食らった人々の輝いた一瞬を絵に描く様にしている。

 今朝の彼女も迷いの取れた綺麗な笑みをしていたと思い出しながら店長の入れてくれた珈琲とトーストを頬張りどんな絵に仕上げようかと思案するのだった。

 物思いに浸りながら朝食を堪能していると懐の携帯電話がメールの受信を訴えてきた。

 差出人はよく知った相手だ。簡単なあいさつ文と喫茶店にいることを書き込み送り返すとすぐに返事が来た。どうやら彼女もここへ来るようだ。

 程なくして二杯目の珈琲が空になるころメールの相手である東方 由紀子(ヒガシカタ ユキコ)がやってきた。

 彼女とは半年ほど前にこの喫茶店で出会って以来の付き合いでよく一緒にいる仲である。智憲の卒業した美大の音楽科に通っており智憲とは違い何度か受賞経験もある将来有望なピアニストだ。


「おはようございます。トモくん」

「おはよう。由紀子ちゃん」


 他愛もない朝の挨拶を交わす。

 先ほどまでの浮世絵離れした世界から現実に引き戻してくれる存在。智憲にとって彼女の存在は大きなものになっており感謝してもしきれないが照れくさく本人には面と向かって言えないでいる。

 そんな気持ちを知ってか知らずか由紀子は朝食代わりの珈琲とトーストを頼むと、昨日友達とどこへ行ったとか最近あれが気になっている等よくある話をしながら通学までの二人の時間を楽しむのがここ最近の楽しみなのだ。

 

「トモくん聞いてます?」


 彼女の嬉しそうに話す顔を見ているだけで幸せを感じていた智憲だったが徹夜明けの身で少々集中力にかけていたせいか彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。


「ごめんごめん、徹夜明けでね。そうだ、もうすぐ夏休みだし海でも行ってみる?」


 謝りつつもデートのお誘いをしてみる。彼女の方もごまかされないぞという目をしているが満更でもないようで頬が嬉しそうだ。

 うまく話をそらせたと思いつつ水着姿を想像し夏が待ち遠しいばかりではあったが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので別れの時間になっていた。


「それじゃ今日も頑張ってね」

「トモくんも無理しちゃダメですよ」


 そんな別れの挨拶を交わしながらそれぞれのやるべきことをすべく店を後にするのであった。



 家に帰り正午まで仮眠をとった智憲は早速絵を描くことにした。題材はもちろん昨夜出会った幽霊の女性である。スケッチブックにいくつか下書きをしどの彼女が一番映えるかと思案しながら幾つかに絞っていく。そういえば彼女の名前は何だっただろうか、聞くのを忘れていた。そんなことを思いつつ納得のいくまで作業を進めた。

 十日が過ぎ智憲は二枚の絵を描き上げた。一枚は街の明かりに照らされながらも儚げで今にも消え入りそうな蝋燭を思わせるがそれでも精一杯自分の存在を誇示している絵。日々の生活からくる疲労が見えかくれするが女のプライドを忘れていない第一印象の彼女を描いた。

 二枚目は朝日を浴びて何かを達成したと言わんばかりの笑顔を向ける女性の絵だ。最後に彼女が見せた忘れがたくも美しい姿をキャンバスに収めた。

 

 さっそく智憲は描き上げた二枚の絵を店長に見せることにした。店長の眼鏡にかなえば喫茶店の一角に置いてもらえるため出来上がった作品は彼に評価してもらうことにしている。

 昼過ぎの空いた時間を見計らい店を訪れると店員の元気な挨拶が聞こえ少し緊張する。人に見せるときというのは何度経験しても慣れないものである。


「店長はみえますか。絵を見てもらいたいのですが」

「呼んでまいります。少々お待ちください」


 この店員さんともそれなりの付き合いである。絵を持ってきたことを伝えると奥へ呼びに行ってくれた。


「やあ、智憲君。絵ができたって?」


 挨拶もそこそこに店長が話を切り出してきた。相変わらず商売より趣味の方が優先な人だ。

 智憲ももはやいつもの事と持ってきた二枚を取り出して並べた。

 店長は二枚を見比べるとタッチがどうのこっちの顔は云々とひとりぶつぶつと言い出し自分の世界に籠って絵を楽しんでいる。時たまニヤついているあたりどうやら今回は気に入っていただけたようだ。


「今回のテーマは何だい」

「水商売の女性の二面性です。一枚は仕事と生活に追われながらも凛々し女性を、もう一枚はひとりの人間としての彼女を描きました」

「相変わらず君の描く絵は生き生きとしているね」


 店長はそうかと一言いうと満足した様子で早速店のどこに飾るかと思案し始めた。数日のうちに喫茶店の壁に飾られているだろう。


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