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オウム返し  作者: 茄子͡娘
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3-変革の一日




3話

変革の一日








あれから三日後。

借りたビデオを返すため、新たな資料を借りるためにまたあの店へ。

レジからは清水君の上ずった挨拶が投げられた。

「今日なんか入った?」

「今日は何も無いですね」

「最近動き無いね」

「来週大量入荷ですよ」

「まじか。楽しみにしとく」

はーいと間抜けな声を聞き届けて奥へと足を運ぶ。


映画には昔から強い憧れがあった。

特に寂しさを匂わす邦画が大好きだった。

くだらない漫画の映画化が世の大半を占める中で俺は小さな劇場でしかやってないようなひっそりとした名作を探すのが大好きだった。

憧れの監督を真似たような作品を作ったこともあった。流石に高校生の頃の話となれば見るに堪えないものだったが、今となればそれすら輝いて見える。

同じ映像学校の仲間に一人だけ、俺の好みを毎回射抜いたように書き上げる脚本家志望の友人がいた。

彼の名前は久泰。憂鬱の中にある人の感情の波を描くのがとてもうまかった。入学当初からいく度となくコンビで作品を作り上げてきた唯一の親友。今は彼とも連絡を取っていないが、彼と二人でビデオが擦り切れるほど観たある監督の名作を時々思い出す。

今ではこんな小さなレンタルビデオ店の数千本のうちの一つにしか過ぎず肩身を狭そうに挟まっている。


俺の夢なんかこんなもんなんだろうな。


ぼんやりとただ見慣れたタイトルを眺めていると不穏な物音が遠くから聞こえた。

耳を澄ませてみると、どうやら女の子の声。

無意識に足は動き声のする方を探して歩いた。

俺がいつも行くアダルトコーナーの暖簾の隙間から揺らめく黒い影が目についた。一瞬だけ、放っておこうか迷ったが絞り出すような声に俺は動かされた。これは同意の上では無いと。

「やめて、触んないでよ!」

棚を覗くと同じ制服を来た男女がバタバタと暴れていた。正しくは、男が女の子の肩を掴み押さえつけているような図。

「ねえ、ちょっと」

素早く振り返ったその男は俺の嫌いなこのレンタルビデオ店の二十代後半の若きチーフだった。

「いらっしゃいませ。いかがなさいましたか?」

「いや、いかがなさいましたかじゃないでしょ。何してんの、嫌がってるでしょ彼女」

澄ましたように営業スマイルを見せつけ、あたかも全て業務の一環ですとでも言いたげなその猿ヅラを今にも踏みつけたい気持ちになる。

俺が指を指した方を辿って「ああ」と思い出したかのようにチーフは言った。

「彼女の件はこちらの事情ですので、お客様はお気になさらずに」

ちらりと見た彼女の顔は今にも崩れそうな、でも鋭い視線で俺をみていた。が、目が合うと視線を伏せて小さなため息を吐いた。

「よく分かんねえけど今のまずいんじゃないの。セクハラでしょ」

「セクハラなんて…まあ、全て彼女次第ですけど」

何がおかしいのか強気な笑みを変えずに彼女を振り返るチーフ。

後を追うように見つめると、この沈黙が耐えられなかったのか散らばった備品を拾い集めて掠れた小さな声で「休憩お願いします」と一言呟きバックヤードへ去って行った。

「大変お騒がせしました」

と凛と応えるチーフを脇目に一人残された俺は静かに店を出た。


頭の中は特に何も考えてはいなかったが、よく店長の吉川さんと話す時に使っていた裏口のゴミ捨てば前へと向かっていた。

自分でもその迷いのない足取りには関心するほどにまっすぐと歩みを進めて行く。

街灯も差さない路地裏で、予想通りの酷くちっぽけな影がそこにあった。

「大丈夫?」

返事はなく、ただ青白く映る白い肌がこちらを向いた。

来る途中で買ったペットボトルのお茶を差し出すとようやく聞こえて来た細い声。

「ありがとうございます」

「隣いい?」

彼女は黙って端に寄り場所を空けてくれた。

遠慮なく腰を下ろすと、そのアンニュイな瞳を伏せて大事そうに両手で握ったお茶を眺めていた。

「あれ今日が始めて?」

ポケットから取り出した煙草に火をつけながら尋ねる。

「いや」

と答えた声は力どころか感情すら感じられなかった。

俺は懲りずに冷たい空ににじむような煙を吐きながら言葉を交わす努力をした。

「店長に言わないの」

「言ってもしょうがないし。新人だから簡単には言えませんよね」

「確かに」

「…なんでここが分かったんですか」

「勘」

静かで緩やかな時間が二人の会話の間を通り抜けて行く。

いつの間にか一本吸い終わり、少し湿った地面に擦り付ける。

「清水君とかに相談したら」

「いや、いいです」

「まああいつじゃなんとかしてくれなさそうだしな」

「知り合いなんですか」

「別に。ただ俺が良く来るだけ」

へえ、と曖昧な返事をして再び沈黙が流れた。


「女の子が夜勤は危ないんじゃないの」

こっそりと目の端で彼女の手元を眺める。

少し落ち着きがない指先と共に発した言葉には寂しさが満ちているように感じた。

「心配されるようなことはいから」

「そっか」と呟く自分の声には驚くほど力がなかった。

常に彼女の瞳には何かが映っているような不思議な眼差しをしている。

何か俺みたいなちっぽけな人間じゃ想像できないものが。

「ねえ」

しっかりと顔を向けて彼女を呼ぶと、まだまだあどけない小さな顔が黙って見つめ返して来た。

「次あったら下の名前教えてよ」

「下の名前?」

疑問符がはっきりと彼女の顔に浮かんだ気がした。

俺は静かに立ち上がり、軽く腰を伸ばして小さく佇むその影に言う。

「そう。多分また会うからさ。近いうちに。じゃあね柏田さん」

「ありがとうございます」

背中から聞こえた小さな挨拶はさよならじゃなくてよかった。

彼女のはかなげな横顔を思い浮かべてまた店の周りを巡り目的を果たすために中へ戻った。

清水君のまだ少しおぼつかないレジさばきに目を沈ませているうちにポロリと言葉がこぼれた。

「あのさ、二十五ってもうおっさんかな」

「急にどうしたんですか」

「別に」

会計を済ませて寒空の下でふと考える。

おっさんだとしたら俺はどれほど残念なおっさんに見えてるんだろうか。

他人の目が気になるなんて、年取ったな。と。

サンダルの間から刺す風が足元から全身を冷やしていく。

深夜の三時だと言うのに頭はさえたまま。

今日は何となく、気分がいい夜だった。

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