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オウム返し  作者: 茄子͡娘
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2-卵のヒビ






2章

卵のヒビ







「いらっしゃいませー」

またいつものようにレンタルビデオ店の入り口をくぐり、色あせたような蛍光灯の光を全身で浴びる。店内はとても暖かく、コーナーをめぐるうちに指先の冷えはすっかり元通りに消えていた。

「よう。清水君」

どうもと小さく会釈し、微笑む眼鏡をかけた大学生。彼は2年ほど前から働いているアルバイトだ。

「今日店長いる?」

「今日は休みですね」

「そう」

大きな段ボールに詰め込まれたいくつものアダルトビデオのパッケージを手際よく棚に陳列していく清水君。

「清水君、最近大学どうなの」

笑いまじりに戸惑いながら返事をする清水君は、俺からしてみればまだまだ青く純粋な青年に見える。

「彼女は出来たの」

「まさか。出会いはあるんですけどね」

「選んでたら清水君の清水君が腐るぞ」

「僕は童貞じゃないんで」

「へー。相手はどんな子」

口ごもる彼の綺麗に整えられたストレートヘアの後頭部についた小さな寝癖を見つめて呟いた。

「素人童貞か」

明らかに彼がムッとしたのが分かった。

しかし、反論出来ないということはつまりそう言うこと。

「まだ大学四年だろ?そこらへんの女捕まえてヤっちまえよ。今のうちしか遊べねえんだから」

「僕はそこらへんのデビュー組と一緒にしないでもらえますか」

「はーい」

機嫌を損ねた清水君は作業を終えたのか足早に立ち去って行った。小さな隔離されたこの空間には俺一人だけになった。

今夜はやけに憂鬱な夜だ。


ペタペタとサンダルの足音を鳴らして、今日もいつもと同じようにレジへ向かった。

「ご利用拍数はいかがなさいますか」

「あー三泊で」

聞きなれない声に顔を上げると、やはり見たことのない女の子がカウンターの向こう側にいた。

彼女の胸には”研修中”の札が名前の上についていた。名前は柏田。

「新人さん?」

少しの間をおいて少し眠たげなまつ毛をした瞳が俺を捉えた。

「そうです」

微かに上がった形のいい唇の端に目が奪われたかと思えば、ウェーブのかかった深い黒髪の隙間に見える物憂げな瞳がチラチラと俺の視線を攫う。

「どうぞ」

いつの間にか差し出された袋の取っ手を握り、ぎこちなくどうもと呟いて店を出た。

星もない夜空の下で白くなる息を吐きながら痒くもない頭を掻く。

久々に女性を目の当たりにしたからか何なのか。少しだけ胸がざわついた。

振り返りガラスの自動ドアを通して、彼女の姿を探した。ほんの数秒前の出来事だったのに跡形もなく彼女の姿はなかった。ただ見えて居なかっただけだろうが、何故だか無性に寂しい感覚に陥った。

まるで、生気が蒸発していくみたいに。

ヒビだらけのこの体から全て溶け出していくみたいに一歩一歩踏み出す度に身を守っていた皮肉な部分がこぼれ落ちて情けない自分だけが残るような。そんな気分にさせられた。


家に戻り、キッチンの淡い明かりをつけて何よりも先に煙草に火を付ける。

飯を作るのはそれからだ。

錆び付いたやかんに水を張りしばらく掃除をしていないガスコンロにのせる。

インスタントの容器がまたゴミ袋に増えていく。きちんとした食事はしばらくとっていない。


煙の中にあの瞳が浮かぶ。

深夜の汚いレンタルビデオ店には似つかわしくない彼女の雰囲気に完全に飲み込まれた。

耳の下で切り揃えられ、ゆるくウェーブした髪から覗く顎のライン。物憂げなあのまつ毛にあの落ち着いた声色。

出会ったことのない印象に頭は支配されていた。

こんな感情も今だけだと言い聞かせてはまた彼女を思い浮かべる。作業の合間も。

澄んだ彼女の微笑みの合間合間に映る画面の中の汚い現実にため息を漏らしながら頭を抱えた。

今日はやっぱり憂鬱な夜だ。


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