ゴミ屋敷
薄汚れた無彩色の家電器具。木製や鉄製の家具は雨で変色している。もう何年使われていないのか分からない大小様々な道具たち。積み重ねられたそれらの「モノ」は、この庭において圧倒的に存在を主張している。どうして庭にここまで積み重ねられているのか、家主にそう聞けば答えは簡単であった。「家の中に入らなくなったから。」なるほど、わずかに隙間から見える家屋の窓、その奥には溢れんばかりの「モノ」が詰め込まれていた。それらの「モノ」は人によって捉え方が変わるのだろう。最も世の中の多くの人は「モノ」のことを「ゴミ」と呼ぶのだろうが―。
「こいつらは資源だ。」
家主は「モノ」のことを「資源」と呼んだ。「ゴミ」であることを否定する。本来二世帯住宅だったこの家屋には、今現在は1人しか住んでいなかった。家主は20年程前からこれらの「モノ」を収集し始めたという。玄関から入って廊下が二手に分かれており、玄関から向かって左側が居住スペース、右側が詰めこまれた「モノ」の山となっていた。
「モノ」の山は基本的に無機物がほとんどだが、手入れがされている訳でもないのでカビが生えているものもある。外観が悪いだけでなく、悪臭やネズミや害虫発生等の不安から、以前から何度も近隣住民から苦情が来ていた。しかし、他人から見れば「ゴミ」であるそれらも、所有者である家主が「資源」であると主張すれば、強制に撤去させることは難しい。「自分の土地で何しようと俺の勝手だろう」と家主は全くの聞く耳持たずであった。
「まあ、雨川さんがこいつらを大事にしているってことは分かるんですがねえ。度々苦情が来ているんですよ。少しずつでいいので減らして頂けないですかねえ。」
「うるせえ。俺に問題があるなら逮捕状でも持ってこい。逮捕でもなんでもしてブタ箱に打ち込めばいいだろうが。ほら捕まえてみろよ。」
ゴミ屋敷の家主は両手を差し出してみせた。「そんなん言われても…」と思いながら、警察官・伊澤純也巡査は苦笑していた。ここから一番最寄りの交番勤務である彼は、近隣住民から度々苦情を受けているこの屋敷に赴いていた。先輩曰く、今までも何度か訪ねているがこちらの要望は何一つ聞き入れてもらえないそうだ。どうせ行くだけ無駄だから新入りのお前が行け―と、押し付けられてしまった。最近この交番に移動したばかりなので逆らい辛いものがあった。
「出来ねえんだろ。俺はただ資源を集めてるだけだからな。誰にも迷惑なんかけちゃいねえ。」
いや、迷惑だから苦情来ているんだけど―。
そう言い返したいが伊澤はその言葉を発するのを我慢した。話をややこしくするだけだ。
「困ったなあ。しかし、こんなに集めてどうするつもりですか?こんだけあったら奥には何があるのかわからないですし―。」
「おめえには関係ないだろうがっ!!」
家主は大きく叫んだ。そんなに怒鳴ることはないと思うが、何か気に触ってしまったらしい。伊澤は「スンマセンっ」と反射的に謝ってしまった。
「…話はこれでおしまいか。役立たずはとっとと帰れ。じゃあな。」
そう言って一方的に家主は玄関を閉めてしまう。伊澤は諦めて帰ることにした。
庭を歩き、道路に出た。伊澤は振り向き、もう一度屋敷を見なおした。
「…すっげえな。」
一般家庭と比べると少し大きめのお屋敷といったところだろう。入り口から玄関まで向かうとその向かって右側にゴミの山が積み重ねられている。
丁度、家半分がごみの山に食いつぶされている状態だった。家主は左側を居住スペースとして暮らしているらしい。
家主である雨川五郎は60歳にもなる老齢の男性だった。独身であり両親はすでに他界している。雨川がゴミの収集を初めたのは今から20年ほど前だという。
母を病気で亡くし、それを追うように翌年父も他界したという。それとほぼ同時に妻と離婚―離婚の原因は住民は知らないらしい。恐らく、雨川は孤独で寂しかったのだろう。近隣の人々は両親との付き合いがあったのもあり、最初はよく接していた。だが雨川自身が人付き合いの苦手な性格で、心を閉ざしていた節があったという。人々は次第に雨川を避けるようになっていた。そんな雨川は捨てられているゴミを見て、まだ使えそうなものは片っ端から持ち帰るようになっていた。最初は誰も気にしていなかったが、年々増えていくゴミの山が道路から塀越しに見ても目立つようになってから不安は募り、5年程前から「最近鼠や虫が増えた気がする。」という主婦の一言から苦情が発生するようになったと聞いている。
最も、鼠や害虫が増加したと言うのは主観的なものである可能性もあるし、本当に増えているとしても雨川宅との因果関係をハッキリさせることも難しくて、話をややこしくしていく一方らしいが―。
「ちょっとー!お巡りさん、丁度良かったわー!」
ぼんやり考えていると伊澤は声をかけられた。確か彼女は近所の主婦だ。
「どうかしましたか?」
「それがねー!ちょっときてよ。こっちこっち。」
そう言って彼女は伊澤の腕を引っ張った。
「な、なんなんですか?」
「ちょっと、静かに。しーっ、しーっ。」
そう言って彼女は口元に人差し指を当て、小声で喋った。
「不審者よ。ふ・し・ん・しゃ。」
「不審者…ですか?」
「そうよ、ほら。あそこ、あそこ。」
塀に隠れるようにして、彼女はこそっと指を向けた。
伊澤も同じようにして、彼女の指先を確認した。
若い男だった。歳は20代といったところか。男は何やら困っているのか、時折片手で頭を掻き乱している。かき乱してるからなのか、元々なのかボサボサで整っていない髪型だ。その辺を彷徨いては、同じ場所に戻る、を繰り返している。
「…確かに不審ですが、道に迷ったとかでは?」
「それがね、あいつ昨日もこの辺にいたのよ。」
「昨日も?」
「どうしたの?って声かけたんだけどね。雨川さんの家探してたみたいで。」
「雨川さんの?雨川さんってゴ…収集癖でモノが捨てられないあの雨川さんですか?」
「多分そうよね。他に雨川って苗字はこの辺いないはずだし…でね、怪しいと思って雨川さんに何か用って聞いたの?あんな迷惑な家主でも一応ご近所さんだしね。そしたらさ、ちょっとした親戚ですって言うのよ。」
「親戚ですか。あの人にねえ。」
「でもおかしいのよ。何年もここで暮らしてるけど、雨川さんとこに親戚の人が訪ねてきたなんて聞いたことないわ。あの人両親亡くして離婚して天涯孤独の身でしょ。一人っ子のはずだし 。」
「疎遠になってただけで遠い親戚ぐらいいてもおかしくないんじゃあ。」
「そんな親戚が今更何の用なのよ。でもまあ、そんな嘘つく理由もよく分かんないしね。ちょっと噂のゴミ屋敷見てみたくて探してたけど、ゴミ屋敷を見にきた野次馬ですなんて言いづらいからそういう嘘ついたのかなって。」
「野次馬が来るまでに有名なんですか。」
「まあそこそこ有名みたいよ。たまに隣町の人間とかが迷惑な観光に来たりしてるわ。」
やれやれ、まったく、と溜息を間に挟みながら主婦は説明を続けた。
「だったら、ゴミ屋敷一目見りゃ満足して帰るだろうと思って一応教えたんだけどね。」
「何故か今日もいた。ってわけですか。」
「ね、怪しいでしょ。ゴミ屋敷をわざわざ2日連続で見に来るかしら?職務質問してきてよ。」
本当に親戚だって可能性もあるのでは…?とも思ったが、実際横から見て不審だし、町民から訴えがあれば行かない理由もないだろう。
伊澤が声をかけてみると男からは意外な返事が帰ってきた。
「あ、雨川さんのお宅を探してたんですけど。お巡りさん分かりますか?」
さっきの主婦の話を信じるなら、この男はすでに雨川宅の住所を知っているはずなのだが―。
「雨川さんに何か用?」
「親戚なんですが、この辺に住んでいるらしくて。」
「雨川さんかあ。どの雨川さんだろう?」
近所に雨川は例の屋敷のみだが伊澤はカマをかけてみることにした。
「あ、なんかゴミ屋敷とか呼ばれてるみたいです。」
「ああ、あの雨川さんね。…雨川さんに親戚か。あの人は天涯孤独と聞いていたけど。」
「ずっと疎遠だったので。」
「遠くから来たの?この町には今日着いたの?」
「あ、はい」
「嘘よ!あんた昨日もいたじゃない!」
近くで聞き耳立てていた主婦が入り込んできた。
「げっ、昨日の!?」
「やっぱり嘘ついてたわこの男。きっと親戚ってのも嘘よ!私の言ったとおりでしょ!」
男はこの場をどう切り抜けるべきか考えてるのか、焦っているのか。強張った表情になっていた。
「まあ、そういうわけだ。騙すようなことして悪いね。君が実は昨日のことを忘れてしまう認知症を患った老人だったり、雨川さんが親戚だという妄想に捕らわれている哀れな患者さんとかでないのであれば、ここで本当のことを教えてくれないかな。」
「あれでしょ!本当は空き巣とかでしょ!この辺だと宇島さんとことかお金持ちだし、江藤さんはこの前宝くじが3億当たったけど、強盗被害に合うのを恐れて誰にも内緒にしてるって噂だし…あ、それとも、もしかしてストーカーとか!?尾形さんとこの娘さんとか美人で…でも男の趣味悪いって噂だけどね!最近別れた彼氏がアニオタで…はっ!そうか、元カレがストーカー化したってわけね!そうじゃないとすれば…」
「奥さん落ち着いて、とんでもない偏見で他人を侮辱してますよ。」
「わかった。分かりました。本当のこと話します。」
男はため息をついて、頭を抱えた。
「その前に何か身分証明できるものとか。場合によっては荷物も全部見せてもらうよ。」
「荷物は困るなあ。依頼者の個人情報に関するものとかもあるし…これで勘弁してよ。」
「依頼者?…ああ、なるほど。」
男が差し出したのは名刺だった。
「上沼探偵事務所の橘川巧と言います。」
身分を明かした探偵はそう名乗った。