お礼
「あ゛ぁ……」
朝から不機嫌指数MAXの声を出しながら少し早い登校風景に目を遣る。元々朝は強くない、更に今日は寝起きが最悪だったのだ。まさかベッドから落ちた挙句昨日怪我した手が身体の下にくるとは……
「もぉ、朝からそんな声出さないでよおにぃ」
隣から苦情を申し出てくるのは妹の華織、年齢は1つ下で俺とは違う高校に通っている。本人は俺と同じ学校が良かったなんて言ってるんだけど、お世辞にも俺の学校は偏差値が高いとは言い難く、昔から勉強の出来る華織が来るような学校ではない。
「しゃ〜ないだろ。あんな起き方したら誰でもこうなるわ」
お陰で引いていた痛みがぶり返すわいつもより早く起きてしまったから眠気倍増だわで……
「ふふっ、でもそのお陰でこうやっておにぃと少しでも登校出来て私は嬉しいよ?」
俺の顔を下から覗き込むように腰を曲げると華織のショートボブがふわりと舞う。
「そう言えばお前と登校するのって久し振りだよなぁ」
俺は基本的に起きるのが華織が家を出るくらいの時間、リビングで挨拶をして次に合うのは夕方だから今日みたいなのはほとんどない。
「うん、おにぃの中学の卒業式以来だよ」
「え、お前よく覚えてるなぁ」
「そりゃ覚えてるよぉ。私おにぃのこと大好きだもん」
そう言って俺に向ける華織の笑顔は少し小悪魔的で不覚にもドキリと胸が高鳴ってしまった。
「あ、今照れたでしょ?」
なんだよこいつエスパーかよ。俺の心読むなよ。プライバシーの侵害で訴えるぞ。
「おにぃの考えてることくらい手に取るように分かるよ?」
「マジ洒落にならないから止めてください」
「仕方ないなぁ。駅前のケーキで手を打ってあげよう。キャ〜私ってば優しい〜」
と、華織が1人で盛り上がったところで駅に到着。ここで華織は電車に、俺は徒歩で学校に向かう。本来俺は駅まで向かわず手前の道で曲がるのだが家族サービスということで送っていってやった。
「じやあねおにぃ、授業中居眠りしちゃダメだよ?」
「はいはい、頑張りますよぉ〜」
「もぉ……じゃあね。いってきま〜す」
元気に手を振りながら華織は改札口を通ってホームへと消えていった。さて、俺も学校に向かいますか。
夏手前の朝というのは何とも清々しい気分だ。寒くもなく暑くもなく、どこか空気が澄み渡っているように感じる。たが、あくまでも感じだけで決して綺麗ではないのだが……それは御愛嬌というやつだ。
のろのろと歩いても十分に間に合う。スマフォを見ても普段の俺ならまだ夢の中だ。眠気はすっかりどこかへ消えてしまっている。
「あれ、要?」
イヤフォンを装着する寸前で後ろから声を掛けられる。聞き慣れた声だったので振り返って確認せずとも誰が声を掛けてきたのかすぐに分かった。
「おう瑠璃、おはよ」
和泉瑠璃。小学校で仲良くなったのだが校区が違ったため中学は別々、しかし高校でまさかの再開を果たして現在に至っている。
「まさか要に会うなんて、しかもこんな朝早くから……明日は槍でも降るの?」
「降らねぇから。てか朝俺に会うのがそんなに珍しいか」
「うん、天変地異の前触れって言われても納得しちゃ……」
そこまで軽快に言葉を発していた瑠璃の口が喋り方を忘れてしまったかのようにフリーズする。顔面蒼白で、視線の先には俺の右手がある。
「あ〜これ?」
ぐるぐると包帯の巻かれてある右手を見せる。数年油を刺していないようなぎこちない動きで瑠璃は頷く。よく見たら顔面蒼白だけでなく唇は青紫色に変色してプルプルと震えている。
「いやぁ〜これさ……」
咄嗟に嘘が口から出てこない、昨日は女の子を助けるためにあれだけ動いてくれた唇なのに、こいつに……瑠璃に嘘を吐く時だけは自分のものじゃないみたいに動いてはくれない。
「ま、た……」
「え……」
消え去りそうな、風によって吹き消されそうなか細い声だ。だけど俺の耳はちゃんと瑠璃の声を拾っている。
「また……誰かの代わりに、怪我した、の?」
昔の記憶が蘇させられる。何年前だ……10年くらいか、俺が小学生で……瑠璃と毎日一緒に登校してた頃だ。
親曰く、その頃の俺は正義感が強かったらしい。自分では全く記憶にないが、まぁ親が言うならそうなのだろう。
でだ。小学生の正義感が強いなんてたかがしれてるものだ。弱い者を守ったり、ルールを破るやつを密告したり、まぁその程度だ。だけど俺は違ったらしい、弱い者を守るんじゃなくて虐めてたやつを仕返しにボコボコにしたり、密告ではなく首根っこを掴んで先生の前に突き出したり……今考えたら中々エグいことしてたな。
まぁそんな感じの暴力的な小学生だったんだが、別に暴力ばかり振るってたのではない、時には身をていして守ったり、そいつに代わって泥を被ってやったりと……
「ちげぇよ」
俯いていた瑠璃がパッと顔を上げる。両の眼には大粒の涙が今にも流れ出しそうになっている。昔からそうだ。瑠璃は自分のことでは泣かないのに人のこととなると涙腺が緩くなる。小学生から全然変わっちゃいねぇ。
「昨日久し振りに包丁握ったんだけどさぁ、情けないことに指切っちゃってよ。切ったのは指先なのに華織のやつが大袈裟に包帯なんか巻いちまって」
嘘を吐く時、俺は早口になる。自分でも分かってることなのにいざ口にすると頭の中が真っ白になってこうなってしまう。もちろん瑠璃はそのことを知っている。だから……毎回毎回察してくれる。俺が嘘を吐いてまで隠したいのなら余計な詮索はしない、瑠璃はそういう優しいやつだ。
「もぅ……おっちょこちょいなんだから」
少し寂しそうに瑠璃は笑う。無理をさせている。自分に隠し事をされて悲しんでいる。痛みすら感じる笑みに俺の胸も……額の傷もつられるように痛みを訴える。
「あぁ! もうこんな時間!」
わざとらしくスマフォの時刻を見て驚いている。まだまだ登校時間には余裕……が……?
「走るよ要! 始業まであと10分しかない!」
「え、ちょっおい!」
「お先に〜!」
一瞬目を疑いたくなったが、時刻は本当に始業の10分前を示している。瑠璃は俺を置いて先に走り出し、早く来ないと遅刻するよと訴えるように頭のポニーテールが激しく上下運動を繰り返す。
走り出す寸前にさっき見た瑠璃の笑みが頭の中にフラッシュバックする。今更言われなくても分かってるってぇの……瑠璃の前で、俺が傷付くのは禁止だってことぐらい。
「おいこら待て!」
アスファルトの地面を強く蹴って瑠璃を追いかける。後ろから迫る過去を振り切るかのように、俺は勢いよく走り出した。
何とか授業には間に合ったのだが昨日帰ってからすぐに寝てしまって数学の宿題をすっぽかしてしまい、その授業中の問題の答えを全て俺が答える羽目になってしまった。利き手を怪我しているというのに鬼だなあの先生。
「なんだなんだ要、和泉さんと揃って遅刻寸前とは……昨日の夜は相当激しかーー」
「次の言葉を発した瞬間にお前の頭を握り潰す」
「あががが! もう握り潰そうとしてるくせに!」
俺にアイアンクローをキメられているこいつは西島優大。整った顔立ちと抜群のスタイルを持ち、読モでそこそこ人気を有しているいわゆるイケメンだ。その上勉強もスポーツも出来るという完璧人間。ただ1つ残念なのが勉強に関しては頭が回るのに人間としてのネジが2,3本抜けていることだ。
「ほら、俺に何か言わなきゃならない言葉があるんじゃないのか?」
「ごめんなさいごめんなさい! 調子に乗りました!」
「ん、よろしい」
素直に謝ることは素晴らしきかな。こいつのこういうところが俺は大好きだ。
「おぉいてぇ…」
イケメンとはなんとズルイ生き物だろうとこいつといると嫌でも感じてしまう。涙目になって頭を抱えながらしゃがみ込む。それだけで人を魅了して視線を集めるのだ。
耳を澄まさずとも周りからのこいつに魅了する声が聞こえる。
ーーはぁ……かっこいいなぁ西島くん。
ーーこの前も雑誌の表紙飾ったもんねぇ。
ーーかな×ゆう……きたこれッ!
おい待て、誰だ俺とこいつのいかがわしい妄想をしたやつは! 今すぐその穢らわしい妄想をかき消せ!
「要ぇ、頭痛いから撫でてくれない?」
「そしてお前は妄想を掻き立てるような発言をすんじゃねぇよぉ!」
「いだだだだ! 何々!? 俺何も悪いこと言ってないぞ!?」
「はい着席〜ほらそこ、イチャイチャするのは構わんがTPOをわきまえてな」
なんで先生そんなに現実受け止めるの早いの!? いやそもそも俺とこいつはそんな仲じゃないからな!?
「おっ、もうチャイムが鳴るな……じゃあ教科書135ページを開いてぇ」
べ、弁解の余地を〜!!
心の中でそう叫ぶ俺を嘲笑うかのように無情なチャイムの音が学校全体に響き渡った。
怒涛の授業4連チャンが終わると待ちに待った昼休み。各々仲の良い友達と机を引っ付けて弁当を広げたり、はたまた食堂の限定メニューを求めていち早く教室を出て行った者もいる。因みに俺は後者に入るのだが別に限定メニューに魅力を感じないのでゆっくりとした足取りで食堂に向かう。
「要よぉ今日何食う?」
「全然決めてねぇ。てか利き手がこれだからカレーくらいしか食えねぇな……お前は?」
「俺は定番の豚の生姜焼き定食!」
「またそれかよ。いい加減生姜焼き定食以外も食えよ」
「いいや、俺は生姜焼き定食に惚れ込んでるんだ!」
あぁ、やっぱこいつ馬鹿だ。
そんなやり取りをしていると呼び出しを報せる放送の音が鳴る。まぁ俺には関係ないからとすぐに意識を外したのだが……
『2-3城沢くん2-3城沢くん。至急生徒会室まで来てください。繰り返します2-3城沢くんーー』
「あ? 俺?」
まさかまさかの呼び出しされたのは俺だ。正直見当も付かない。ここ最近は特に呼び出されるようなこともしてないし、何より生徒会とは無縁の生活をしていたんだけど……
「わり、呼び出されたから昼先に食っててくれ、長引きそうなら連絡入れとくから」
「要、何やらかしたんだ?」
「んなもん俺が聞きてぇくらいだよ」
「ふぅん……ボッチ飯なんて久し振りだなぁ」
「お前ほっておいても女の子が集まるじゃねぇかよ」
「俺は自分が好きになった女の子にしか手ぇ出さないよ?」
そう、こいつはイケメンのくせにそれを悪いようには絶対利用しない。中学からの付き合いだが見た目だけに寄って集ってきた女にこいつは無駄に厳しい、だけどその分自分の中身を見てくれている人には底抜けに優しい。俺は優大のそんなところが好きだからこうやってつるんでいる。
「はっ…! 今要がデレた気ーーゴフッ!?」
なんだろホント華織といいこいつといい、今日は俺の心の中読み放題デーなのか?
取り敢えず鳩尾に重い一撃を入れて床と強制的にキスさせる。まぁスタイルいいだけあって筋肉ついてるし、何より日頃俺がこうやって鍛えてやってるからほっておいても大丈夫だ。
寿命が迫ったセミのようにジタバタともがき苦しんでいる優大を置いて俺は生徒会室に向かって足を進める。
俺達の教室は2階、生徒会室は4階と少し離れている。4階には音楽室と視聴覚室、それと目的地である生徒会室があり、俺にはほとんど無縁の階である。だからほんの少し迷ったって当然のことなのだ。うん、これ当然。
迷うと言ってもたかが学校の中、5分もしない内に到着する。
「ん〜」
改めて考える。俺は何故呼び出しをくらったのだろうか、しかも先生からではなく突然放送で。ここに向かってくるまでに考えていたのだがやはり何も思い浮かばない。まぁ、目の前の扉を開いたら全て分かるんだし今更頭を捻ったって答えが出るわけでもない。
教室と同じ扉なのに重厚感を感じるのはやはり生徒会室という名前のせいであろう。威圧感すら感じる。手に若干の汗を感じながらコンコンと扉をノックする。
「どうぞ」
「失礼し……ま」
扉を開けた俺は言葉を失う。その原因は無駄にふかふかしてそうなソファーでもなければ生徒会室の雰囲気でもない、部屋の中で俺を呼び出したであろう人物だ。
「こんちには城沢くん、昨日ぶりですね」
「き、木下生徒会長? え、昨日ぶりって……まさか」
「はい、昨日あなたに助けていただいた木下瑞穂です」
頭の中が混んがらがってる。昨日の女の子が木下先輩で、木下先輩が昨日の女の子?
言葉を理解する機能が停止してしまったのかと思うくらい俺の頭は回転力を失っている。
「……どうしたのですか、そんなところに立ってないでこちらへどうぞ」
「え、あぁ……はい」
言われるがままに扉を閉めて木下先輩が手を指すソファーに腰掛ける。想像より硬い感触に驚く余裕すらもない。
「ま、まさか昨日の女性が木下先輩だったとは……」
「えぇ、私もまさかあなたが年下だとは思っても見ませんでした。大人っぽい雰囲気から同い年だと思ってたんですけど」
他愛もない世間話をしている内にだんだん混乱はおさまってくる。昨日別れ際に先輩が言っていたまた明日という言葉の意味も今なら理解出来る。同じ学校の制服を着ていたのだから名前さえ知ることが出来ればクラスを調べるのなんて容易だ。生徒会長ならなおさらのこと。
「手は……やっぱり包帯を巻いていますね」
「あぁ……ま、先輩を助けた名誉の傷です。気にしないでください」
怪我なんて昔から慣れてるので今更慌てることなんてない。そこらへんの感覚は多分一般の人より抵抗が強いと自負している。
「ところで……何で俺は呼び出されたんですか?」
出来ることなら手短に終わらせてもらわないと昼休みが終わってしまう。時間は有限なのだ。
「あぁ、すっかり忘れていました」
おいおい……
「昨日のお礼です……ほんの些細なものなんですけど」
そう言って先輩がカバンから取り出したのは風呂敷で覆われた四角い物体。結び目を解いて重力に従い机に音なく落ち、中の物があらわになる。
「……お重?」
現れたのはお花見でよく見る三段のお重だ。
「はい、お弁当を作ってきました」
笑顔で蓋を開ける先輩。一段目には海苔で丁寧に包まれた三角のおにぎり、二段目は唐揚げや卵焼き、ほうれん草のおひたしといった全体的に栄養バランスのとれたお惣菜。そして1番下には何故かチョコケーキ、和のお重に入ってるとはなんとも違和感しか覚えないのだがとても美味しそうである。
「…………」
「あ、もしかして既にお昼を食べてしまいましたか!?」
驚きに言葉が出ていない俺を見て、お腹いっぱいなのにどうしようと悩んでいると勘違いした先輩が大声を上げる。
「あ、いえ、まだです。食堂に行く途中で呼び出しの放送を聞いたので」
自分の勘違いだと分かった途端、先輩は心底安心したと言わんばかりの安堵の溜息をもらす。
「では、どうぞ」
手のことを気遣って先輩はフォークをわたしてくれたのだが、いかんせん俺の頭は全力疾走で起こる目の前の現実に処理が追いついていない。もらったはいいがフォークは動かず、俺の目はお重に向いて離れようとしない。
「あの……味でしたら料理には少し自信があるので、食べられないものではないかと……味見もしましたし」
「えっと……じゃあいただきます」
何から食べようかと悩んだ挙句、お弁当の定番である卵焼きにフォークを伸ばす。ほどよく付いた焦げ目が視覚的に食欲を刺激する。
「ジーーー」
「……あの、先輩。そんな凝視しないでください、食いにくいです。あと口でジーって言う人初めて見ましたよ」
「気にしないでください」
「いや気になるんですってば」
「気にしないでください」
とことん頑固だ。八百屋の頑固親父とタメはりそうだな。
どうしたものかとただでさえ処理に追われている頭で考えようとしたら突然ノックの音が響いた。
「はい……どうぞ?」
先輩の意識が扉の外に移った。ここしかないと瞬間的に悟った俺は扉が開いたと同時に卵焼きにを口の中に放り込んだ。
「失礼します。頼まれていた書類……」
入室してきたのは……えっと、確か副生徒会長の倉野。同期だったはずだ。
倉野の視線は普段いるはずのない俺に向いている。
「あぁ、ありがとう。昼休みにわざわざごめんね」
「い、いえ……」
うん、動揺するのは分かるけどさ、そんな腫れ物を見るような視線は止めてくれよ。先輩の卵焼き味わってるんだから。
「…………倉野さん、どうかしたの?」
「な、何でもないです! 失礼しました!」
空気を読んだのか倉野は慌てて生徒会室から出て行った。別にそんな関係でも何でもないんだけど……やっぱこんなシチュエーションだと誤解するよな。後で誤解を解いておこう。
「……おかしな倉野さん」
先輩って意外と鈍い……
「ってあぁ! いつの間に食べてたんですか!?」
今更気付いたのか先輩は俺を指さす。
「先輩の家は甘い卵焼きになんですね」
「あ、そうなの。昔っからその甘い卵焼きが大好き……って話をそらさないでください!」
先輩をからかうのおもしろい。
ピーチクパーチク文句を言う先輩を無視して俺は引き続きお弁当を食べ続ける。先輩の料理はどれも美味しくて箸ならぬフォークが止まらない。
「って聞いてるんですか!?」
ごめんなさい聞いてないです。
「てか先輩、俺の時と……えっと、倉野の時と何で口調変わってるんですけど、何でなんですか?」
説教を受けるのなんてごめん被る俺は話題を強引に変える。根が真面目な先輩は自分の怒りを一旦置いてちゃんと質問に答えてくれる。
「何でと言われましても……私と城沢くんが出会ったのは昨日の商店街で、その時お互いに相手と自分の関係なんて知らなかったじゃないですか。私、後で知った関係より初めて会った時の関係を大切にしたいタイプなんです」
何それ不思議。
「だから出来ることなら城沢くんは昨日みたいにタメ口で話してもらいたいんですけど……」
女性には何個か男にはない武器がある。その中でも男にとてつもなく効力があるのは上目遣いだ。狙ってかどうかを知る由は俺にはないけど……先輩の上目遣いはそんじょそこらの上目遣いのレベルを超えている。これを断れる男がいるのなら見てみたいものだ。
「あ〜別に構いませんけど……」
「違う」
あ、はい。もう今からなんですね。
「別に俺はいいけど、先輩はそれーー」
「先輩もダメ」
「…………木下はそれでいいのか?」
「はい、それでお願いします」
年上にタメ語で話し、年上から敬語を使われる。なんとも奇妙な会話に凄い違和感を感じずにはいられない。だけど先ぱ……木下がそれがいいと言うのなら頑張ろう。
「はぁ〜やっとわだかまりがとけました」
かなり気にしていたのか木下の表情は晴れ晴れとしている。
「あ、言っておきますけど皆の前では一応敬語でお願いしますね?」
「分かってるって。それよりこの唐揚げ冷めてるのに美味しいけど、何か工夫でもしてるのか?」
「ふふっ、これはですねぇ」
料理に自身があるというのは本当らしく、料理の話をする木下の表情はこれまで見てきた中で1番輝いていた。俺が違う惣菜に手を伸ばす度に木下の解説が入り、それを聞いて料理はより美味しく感じ、お重に入っていた料理の数々は全て俺達の胃袋の中に収まっていった。
「ふぅ……ごちそうさん。もう入らねぇ」
「ふふっ、お粗末さまでした」
お粗末だなんてとんでもない。木下の料理はどれも俺好みの味付けでもうこれだけで十分お礼として成立している。
「いいえ、まだ私が納得していません。ちゃんと私が納得するまでお礼はさせていただきます」
……もう何も言うまい。さらば俺のプライバシー、お前のことは忘れねぇよ。
予想以上に木下の料理が美味しくて食べるスピードが早すぎ、昼休みは結構残っている。昨日知り合っただけの2人が室内にいるというのは何とも気まずい。
さっきは料理という話題があったけど今はそれがない。重い沈黙が流れる。
「ふぁ……」
「眠いのか?」
不意に木下がこぼしたあくびに俺はすかさず反応する。
「あはは……少し張り切りすぎちゃって」
よくよく考えてみたら昨日木下が家に帰ったのは夜。そこからあのお弁当の料理を作るとなるとかなりの時間が必要となる。しかも男と違い女性が朝必要とする時間は数倍にもなる。もしかしたら徹夜しているのかもしれない。
「寝ていいぞ?」
「ダメですよぉ……今寝ちゃったら、多分起きれませ……んしぃ……」
なんて言いながら盛大に船を漕いでいる木下を見ていると俺のために頑張ってくれたという喜びと、俺のせいでという罪悪感が複雑に心の中で混じり合う。
「昼休みが終わる少し前に起こしてやるから。それに、そんな状態じゃ午後の授業キツイだ……って既に寝てやがる」
眠気が限界を迎えた木下はソファーに寝転がり、子どものように丸くなっている。
丸くなるということはその……膝を抱え込むような形になるわけで、うん、スカートが非常に危険な状態なわけでして……
それ以上考えると万が一が起こりかねないので、ブレザーを脱いで木下にかけてやる。
「しかしまぁ、いくら限界がきたからってこうも簡単に眠られると……自分が男として見られてるのか心配になるな」
思わず独り言が出てしまう。もちろん答える者は誰もいない。
部屋には木下の寝息だけが静かに聞こえ、起こしてしまわぬよう細心の注意を払いながら窓際に椅子を持ってきて空を見上げる。
今日は晴天だ。青いキャンバスを彩るのは堂々と漂う少し時期の早い入道雲。青に白はよく映える。
「あ〜そ〜言えば……」
ボーッと空を眺めていると、ふと優大に連絡を入れていないのを思い出した。あいつは今頃ボッチ飯をしているのか、それとも仲の良い男友達と食っているのだろうか。だけどそんなこと、ソファーで眠っている木下の顔を見たらどうでもよくなってしまった。
夏を間近に控えた今日の空は眩しいほど澄み渡っている。




