ラウルの土産話
「おっと、これを話さなければならないな」
唐突に何か思い出したようなラウルは持っていたジョッキを置き、椅子を前へ引いた。改まって話すようなのでソロも身を構えた。
「最近『白き悪魔』の動向が怪しい」
急に真剣に話し出したので、ソロもジョッキを置いて前のめりになる。
「どういうこと?」
「今回の旅では、主に『白き悪魔』について調べていたんだが、最近の奴らの動きが掴めない」
ラウルはソロの方に体を傾け、話を続けた。
「百年前くらいに、奴らが大きく動き出したのは知っているだろう。北から東へ西へ、彼らは暴れ、土地を奪ってきた。しかし最近妙におとなしい」
「それって?」
「これは何か大きいことが起こる」
ラウルは両手を口の前で組み、小さく呟いた。
「このラヴェンナにも奴らが来るってこと?」
「それはわからないが、来る可能性は高いな」
「王宮や教会の人にもそのことは言ったの?」
「教会は信用ならんから王宮の者達だけには言った。しかし…」
ラウルは何かを考えている顔で、少し溜めた。真っ赤だったラウルの顔色がだんだんと戻って来て、声もいつもの落ち着いた低い声になっていた。
「おかしなことに、王アウグストゥルスが不在なんだ」
(不在?)
「え、王宮から? そんなこと聞いてないよ。街の誰も知らない」
「だから妙なんだ。王が不在で元老院も軍も行方を知らないなんて」
アウグストゥルス王はまだ若く、一人でどこかに勝手に行く勇気も権力もない。これは元老院や軍が王の行方を知らないのではなくて、王を、もしくは何か重要なことを隠すために謁見をできなくしているのか。では何のために?
王宮の誰一人もが『白き悪魔』が不穏な動き知っている者がいない訳がない。こんな事態に王の不在、しかもこれを住民には伝えていない。確かに何か引っかかる。
ソロの中でラウルの言ったことと、ここ最近ソロの身の周りに置きたことと結びつくものはないかと考えると、一つ心当たりがあった。
「もしかして館長は‥‥」
「館長?」
ソロが思わず呟いたのを、ラウルはすかさず拾い上げた。
「館長って、あの図書館の館長か?あのひきこもり爺がなんかあったのか?」
ラウルは間髪入れずに聞いてきた。ラウルと館長は昔ながらの付き合いで、旅に出る前も館長の図書館で色々調べ物をするためよく通っていて、何やら二人で難しそうな会話をしているのをソロは何度か見たことがあった。この危機がおとずれようとしている状況についての話の途中に、昔からの知人の名が出されたら不安で質問攻めになるのは当然だろう。
「館長が殺されたんだ」
ソロは顔をラウルに近づけて、小さく言った。ラウルは目を大きく開き、言葉が詰まっていた。まさに開いた口が塞がらない様子だった。
「殺されたって‥‥誰に?」
「わからない、街の住民も官吏も調べたけど犯人はわからない」
ソロは周りの盛り上がりを冷めさせないように小さい声で話し続けた。もちろん周りの住民はこのことを知っている。せっかくの祭の前夜でわざわざ事件のことを思い出せるのも無粋だ。
「館長は図書館で殺された。首を切断されて…」
「首を切断って?」
動揺したラウルを他所に、淡々と話を続けるソロ。
「うん、首を切断されていたんだ。でも…」
ソロは一度鍔を飲み込み、間を空けた。
「でも殺されているのは館長だけじゃないんだ。ここ五年で四人も 殺されてる。一人目は元老院の書記、二人目は他所から来た貿易商、三人目は農家の娘、そして四人目が館長。全員首を切断されて殺されている。その四人にはこれといった関連性もな見受けられないんだ」
ラウルは目を見開けたまま黙って何か考えている。おそらくこの目は何も見ていない。必死にある事柄について考えている、思い出している。何か心当たりがあるのだろうか。ソロは体勢を元に戻し、ジョッキを掴んだ。
「何か『白き悪魔』と王の不在、そして連続殺人。この三つが大きく関係してそうだね」
「いや、館長殺害と『白き悪魔』、また王の不在は関係ない」
少し落ち着いて、いつもの声で放った言葉は意外なものだった。
「なんでそう思うの?」
素直に疑問に思ったソロは、ラウルの言葉の真意を問う。
「『白き悪魔』と王の不在とでは関係性があるかもしれんが、館長のはない」
「だからなんでそう思うの?」
「首を切断する殺人は昔からよくあることだからな」
ラウルは置いてあったジョッキを掴み、一口飲む。そして、円卓にあるチーズの最後の一切れを口に放り込んだ。
「よくあることって?首を切断して殺されることが?そりゃ処刑とか敵将を殺すのには首を取るのは珍しくないけど…」
「いや、この手の殺人は図書館の書物にも記録されている。昔から突如起こる怪奇現象として名が残っているよ。ラヴェンナではここ何十年間起こらなかったんだが、やはりここでも起き始めたか。いや、十二年前にもたしか‥‥」
「ちょ、ちょっと待って!」
ソロは慌ててラウルの言葉を遮り、聞き直す。
「ここでもって、他の所ではよくあるってこと?」
「あぁ。俺は長年旅をしてきて、この手の事件にはたまに出くわしたよ。帝国内ではローマでもメディオラヌムでもガリアでも、絹の道の街でもな」
ラウルはまた一口飲み喉を潤し、続けた。
「急にそれは起き始めるんだ。罪人、兵士もそうだが、殺されるに値しない人も首を切られ殺される。稀に違った殺し方もあるみたいだが、たいていは同じだろう」
「違った殺し方って?」
「詳しくは知らないが、あるってことだけは聞いた」
(昔から、殺されるに値しない人が首を切られて殺される? いったい誰が何のために?)
「そして、その事件は国が大きく変化したとき、また大きく変化する前に多発するらしい。神が人間への警告って捉えるものを出始めた。人では理解しがたい殺人、だから書物ではこれを『神の裁き』、また『神の天罰』とも記されている」
「へぇー」
ソロは驚きで、ただただ生返事をするしかなかった。
(神の裁き…)
ソロは図書館の本はほとんど読んだはずなのだが、そのような内容の本は読んだことはなかった。記憶にないのではなく、おそらく一般の蔵書の所にはなかったのだろう。あの空間には全部の本は納めきれなかったのか、それとも普通の者が読むことが許されない本が隠されているのか。後者の方なら、あんな辺鄙な所にあんな立派な図書館があるのは納得がいく。
「ということは、このラヴェンナで大きいことが起こるもしれないってこと?」
「そうかもしれん。大きいことが起きるという点では、この事件と『白き悪魔』と王の不在は関係しているかもな」
ラウルは、またジョッキを空にし、おかわりを要求した。
ソロはジョッキを右手で握りしめるながら、左手の人差し指で円卓を小刻みに叩く。今ラヴェンナで起きていることを整理し、推理し始めた。
(確かに、「白き悪魔」の不穏な動きと、王の不在は何か関係がありそうだ。このローマ帝国では、白き悪魔は傭兵部隊として国に大きく関わっている。それも彼らは強い。ローマ帝国の衰退は奴らの出現が大きいとも言われ街ではあまり彼らを見かけないが、王宮での権力は相当なものになっているはずだ。ましてや、若年の王。確かに怪しい。おじさんが帰ってきて、真っ先に王宮に伝えに走ったくらいだ。奴らの不穏な動きはよほど不穏なのだろう。これは『白き悪魔』が国家転覆を企てており、王を監禁しているのか、いやもう既に殺して次の段階に進んでいるのか?どちらにしても、白き悪魔による国家転覆が十中八九、正解だろう。正解でないことを祈りたいが。そうと解れば、早速対策を考えなければ。しかし、館長の件は‥‥。殺したのは、白き悪魔か?いや、違う。おじさんの話だと、どこでも起きる事件、いやどこでも起きる事象だ。だからといって、誰が、と考えるのは愚かなことなのか。いや、そんな訳はない。たしかに誰かがやっている。しかし、誰が、何のために?しかもここから、絹の道の街までの広範囲に。おじさんの話から、恐らく絹の道からもっと遠くでも起きているだろう。だとしたら単独犯ではない。もしそれが人間が起こす事件だとしたら、どれほどの規模の人数を動かしているのだ?しかし、違うとしたらやはり‥‥)
「お前はそんなに考えなくてもいいんだろう?」
ソロはハッと顔を上げた。
おかわりで来たジョッキを口に当て、ラウルは言った。そしてグビグビっと半分くらい飲んで、ジョッキを置く。
「お前には、剣術の腕前と、その立派な剣があるじゃないか」
ニヤニヤしながら茶化すようにラウルは言った。酔って顔も再び赤色に戻っている。ラウルはソロがこの一連の出来事に深く入り込みすぎることを懸念したのか、皮肉も混じった優しい冗談で話を終わらせようとした。
「まぁ、起こるにしてもいつ起こるか解らねえし、ただの思い過ごしかもしれん」
確かに、これらの情報はラウルの眼から仕入れた物であって、複数の旅人が口を揃えて同じことを言うのであれば、この宿屋でも少しは噂がたっていても不思議ではないが、そうではない。今年も、今まで毎年行われていた祭りの前夜と何ら変わりもない。変わったことは宿屋の壁を新しく塗りかえたことくらいと、ラウルが帰ってきたことくらいだ。しかし、ラウルの言うことは十人の旅人が同じこと言うこと同等。ラウルにはそれほどの眼を持っている。もしかしたらラウルが帰ってきたこと自体が、何かが起きる前触れなのかもしれない。
「ええい、せっかくの祭りだ。飲まなきゃ損だろ。なぁ、ソロ君?」
ラウルはジョッキを円卓の真ん中に突き上げた。
「そうだね。まだまだ量の内じゃないしね」
(今は考えたって仕方がない)
ソロもジョッキを高々と上げた。
「ハハッ、言うようになったな。じゃあ改めて……」
「あぁ」
「乾杯!」
葡萄酒がジョッキから静かに滴った。