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ソロ  作者: 栂ミキ
4/6

宿屋 バルディ

 オヤジの露店から、大通りの緩やかな坂をずっと下ったところに、宿屋がある。この宿屋には普段は港の貿易商人や越境からの旅人などが泊まるのだが、この時期はいつもと違う。宿屋の一階はちょっとした酒場になっており、祭りの前夜は店主の知り合いが集い、飲み食い、賭博をし、踊り歌い、朝まで騒がしくなる。もちろん祭り目当てで立ち寄った旅人もいるがそうじゃない旅人もいる。しかし、今晩だけは眠ることは許されない。酒が足りなくなれば、街の露店や家から樽ごとたくさん集まり、つまみがなくなれば誰かが大量に買って来て、華やかさが欠ければ街一番の踊り子が集まってくる。一階の座る席がなくなれば、二階、三階の各部屋も全部酒場に様変わり。階段でさえも人で埋め尽くされる。広場での前夜際にも負けず劣らずの大騒ぎである。

 こんなにこの宿屋に集まるのも、宿屋の店主でありながら、この街全体の議会議長を務めるバルディ・ジルドの人望があるからであろう。この店主がソロの父親であり、この宿屋がソロの家である。

 坂を下って、宿屋が見えてきた。窓から漏れる光もさることながら、騒ぎ声や楽器の音も騒がしい。あの人だかりに割り入っていくのが少し憂鬱になるが、それは毎年のことだから慣れもある。

 しかし、今年はラウルが帰って来ている。今晩この街で過ごすのなら家の宿屋だろう。五年ぶりの再会だ。胸が躍る。どんな土産話が聞けるか。

 宿屋の前に着くと、席に溢れて外で飲み食いしている近所の知り合いが、ソロに気づいた。

「やあ坊ちゃん。今帰りかい」

 男達は立ち上がって、一人の男はソロの肩に寄りかかった。足下がおぼつかないので、こちらが踏ん張らないとソロごと倒れそうになる。

 酒臭い。酒は好きだが、どうして人の口から放たれる酒の匂いはこうも不快にさせるのだろう。

「ラウルおじさん来てない?」

「ラウルおじさん?って誰だ?知ってるか?」

「知らない。誰だそいつ。ハハ」

「ふーん、そう」

 おそらく彼らはラウルとは面識はあるのだろうし、7年も経っているとはいえ、忘れてはいないのだろうが、今は酔っぱらいに突き詰めて聞くだけ無駄なのだろう。

 寄りかかった男を体から離し、その場に座らせた。

「あんまり飲み過ぎて、ここで寝ないでよ」

「おう。坊ちゃんもここで飲んでくか?」

「いや、中に用があるから、遠慮しとくよ」

「そうかい」

 生返事をした男達は、持っている木のジョッキを上げて笑う。

「よい夜を」

「うん。よい夜を」

 ソロはジョッキの代わりに拳で座っている男のジョッキを軽く小突いた。

 

 そして、木のドアを開けると、大勢の騒ぐ音と酒とチーズの匂いで気圧された。場はとてつもなく明るく、ランプはいつもの何倍以上が灯されいる。他から持ったきたものありそうだ。

 一階はもう嵐のようだった。真ん中で踊る女子と演奏者を中心に、木の丸テーブルは置かれている。酒を水のように飲む者。王政ローマ建国者、ロムルスの狼の被り物をしテーブルの上で遠吠えの真似をしている者。階段の隅で若い男女同士乳繰り合っている者もいる。

 坊ちゃん!

 よっ、若旦那!

 ソロくーん! 

 ソロが帰ったのに気づくと、一斉に宿屋の息子が帰ったぞ等の大きい声が呼応する。ソロは決して人懐こい性格ではないのだが、勉学熱心、品行方正、何より整った顔立ちのせいか近所からの評判はよく、昔から可愛がられている。

 酔った勢いもあり、名前を呼んで抱きついてくる年上の娘や、大きくなったと背中を強く叩いてくる大男がソロの行く手を遮った。

(とりあえず親父に聞いてみるか)

 ソロは絡んでくる者を適当にあしらい、親父が切り盛りしているカウンターに向かった。邪魔にあいつつも、一階を一通り見渡したがラウルの姿が見えないので、二、三階にいるかもしれない。どちらにしても、この宿屋に来ているのなら親父には一言声を掛けているだろう。

 カウンターにももちろん人で溢れていて、空いてる席はない。ソロは仕方なく少し離れたところから親父に聞いてみた。

「ラウルおじさん来てる?」

「え?」

 耳に手を当てる親父。周りが騒がしくて、よく聞こえないらしい。

「ラ、ラウルおじさんいる?」

 少し息を溜めて言うと、どうやら今度は聞こえたらしい。笑顔で頷いている。

「上にいるの?」

 なぜかニヤつくだけで答えようとしない。

「二階なんだね?」

 階段の方に向かおうとすると、

「ここにいるよ、ソロ君。」

 聞き覚えのある声がした。振り向くと親父の目の前カウンター席で飲んでいた男がソロの方に体を向け、木のジョッキを高々と上げていた。

 モジャモジャ頭に手入れしていない無精髭。

「久しぶりだねソロ君」

「ラウルおじさん!」

 ソロは声を荒げた。対照的に昔から悠然な態度のラウル・レイは、低く、柔らかい声。が、久しぶりにソロに会ったのもあるのか、七年前にはあまり見せなかった優しい顔をしていた。

 ソロは親父に葡萄酒を頼むとラウルから、向こうに今空いた円卓があるからゆっくり座って話そう、ということでラウルの後に続いた。


「乾杯!」

 たっぷりと葡萄酒が入ったソロのジョッキから雫が弾け飛ぶ。

 ラウルのはもう残りが僅かだったのか、ジョッキの底を天井に向け、最後まで飲み干した。

「これ、バンからの差し入れ」

 ソロはそう言うと円卓の上にバンから買ったチーズを広げた。二人はそれをつまみに話を始めた。

「ふぅ。五年、いや六年ぶりくらいかな」

「七年ぶりだよ」

 ラウルは間違ったのを、顎の無精髭を掻き、苦笑いでごまかす。

「そうだったか。じゃあソロ君も十八歳か」

「ううん、先週二十歳になった」

「そうか、じゃああのときは十三くらいだったのか」

 立て続けに間違えて、さすがにばつが悪いと思ったのだろう、ラウルは笑いながら飲み切ったはずのジョッキをを口に当て取り繕うとしていた。

「おじさんは七年前と全然変わらないね」

「そうか?」

 見窄らしい短衣に焦げ茶の外套、髪は北方の民族の血が混じっている美しい黄金色、髭の生え具合も七年前とは少しも変わらない。

「そうか。いやぁ、立派になったもんだ」

 少し、上の空だったラウルがぽつりと呟いた。

「これでも毎日稽古してるからね。明日剣の相手してよ」

「おう、いいだろう。どれほど上達したかな」

 本を読み始めたのは今は亡き館長の影響だが、現在この街で、おそらく剣術ではソロの右に出る者はいないぐらいにしたのは、このラウルの出会いが大きいだろう。ソロは昔ラウルから剣の手解きを受けていたのだ。

「いい剣だな」

 ラウルはチーズをむさぼりながらソロの腰に帯びている剣を見て呟いた。

「これ?家の物置部屋にあったんだ。親父ももう持ってもいいって言ってたし」

 ゴトッ

 ソロは剣を腰から鞘ごと抜き、円卓の上に置いた。

「鞘に入っているのにわかるの?」

「いい剣というのは、鞘からでもわかるものなだよ」

「ふーん」

 ソロは剣を持ち上げ、まじまじと見る。淡々と話してはいるが剣の鞘と柄の彩飾の素朴な美しさにソロは我ながら惚れ惚れしているが、ラウルに褒められるほどのものだとはわからなかった。

「前、森での狩りで使ってみたんだけど、切れ味がとてもよかったんだ。なんでこんな代物が宿屋の物置に眠ってたんだろう?」

「それはわからないが、これを一端に使えたら、俺に勝てるかもしれんな」

「もう大分使えるよ。けどやっぱり普通のやつより少し重いかな」

 ソロは座りながら剣をぶんぶん振って、再び腰にさした。


 店の手伝いをする娘がおかわりの葡萄酒を持って来て、ラウルはチーズと一緒に酒を一口飲んだ。

「ところで‥‥、あの娘は一緒じゃないのか。あの、お前にいっつも引っ付いてた」

「あぁ、エルのこと?もう子供じゃないんだからいつも一緒にいる訳ないよ」

「あんなにベタベタだったのに?他の奴にでもとられたか?」

「だと助かるんだけど」

 ソロはごまかすように、酒を口に入れた。 

 エリサ・ルーは仕立て屋で、バンが取り仕切っている露天市場で服の販売や修理を承っている娘だ。ソロはエルと呼んでいる。エリサの両親はエリサが幼少のときに病で亡くなっており、彼女が奴隷として売られる前にソロの宿屋が引き取った。彼女は十年以上ソロと兄妹のように育てられ、二年前から両親の生前の仕事を引き継ぎ、今は町外れの小さな仕事場で一人で暮らしている。顔も端正で髪も麗しく、街の男どもにも一目置かれる存在である。そんな彼女とは最近でも一緒にいることは多いのだが…

 ソロも、一杯目の酒の残りを一気に飲み干し、すかさずジョッキを掲げておかわりを要求した。

「まぁ、そんなことより、旅はどうだったの?」

 目を爛々として聞くソロ。懐かしむ間も、早く旅の話をしたくて耐えられなかった。

「今回はどこに行って来たの?前の旅と比べて随分長かったよね」

「うん、まぁガリアからずぅっと北に行って、それから絹の道の方にも行ったなぁ」

 随分あやふやだが、あまりにも長い旅だったのであまり覚えていないのだろうか、ラウルは少し考えたが、適当に答えた。

「絹の道ってことは、中華にも行ったの?」

「中華に行ってたら、六年で戻って来れんだろう」

「だから七年だって」

 徐々にラウルは呂律が回らなくなっている。ソロが来る前に大分飲んだんだろうか、もうラウルの顔は真っ赤だった。つまみのチーズももう残り僅かしか残っていない。ラウルは数年前から、バンのところのチーズが大好物で、話している間に次々と口の中に放り込んでいった。

「じゃあ、トイトブルクの森は?」

「あぁ、あそこは何もなかった。錆びた鎧と刀と、人と馬の骨しかが転がっているだけだ。」

「じゃあ、エデッサは?」

「あそこは……、」

 ラウルがどこに行って、その街、土地には何があったかの話がしばらく続いた。ラウルの話は新鮮で未知なるもので、ソロの世界を広げていった。

 相変わらず周りは馬鹿騒ぎで、ジョッキを倒す者、階段から転げ落ちる者、酔って喧嘩をしだす者も出て来た。まだまだ夜は長い。


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