ソロという男
『ソロ』
一八六五年 四月
騒がしさを背中に残して、何も知らず幸せそうに夜を照らす街灯で埋め尽くされたG・ストリート・ノースウエストを、早歩きで進む。そして、来ているかは確かではない追っ手をまくため、いち早く安全なホワイトハウスに向かう、F・ストリート・ノースウエストに続く路地へと三人は入っていった。
「やっぱり、今日のこの時間でしたね。本当に、よかったですよ」
「何を言う?一人撃たれたんだぞ」
「それでもよかったですよ。これで彼奴等の尻尾を掴めたようなものですし」
予想はしていたが、それでも衝撃的だったのだろう。激しく息を漏らす蝶ネクタイの巨漢と若い簡易的な外套を着た青年兵士の二人が話す。それを二人に守られるように後ろでついて行く老紳士は静かに聞いていた。老紳士は片眼鏡に、黒いトップハットから解れた髪が垂れている。二人の護衛とは明らかに服の着こなしが違い、黒のダブルのコートが様になっている。
皺が山脈のように起伏し、何年もの苦労を物語っている。その皺を曲げ、状況とは非なる落ちついた声で、老紳士は口を開く。
「そうだな。彼が心配だ。無事なのだろうか」
「身代わりといっても屈強な兵士です。流石に死にはしていないでしょう」
「そうだと、良いんだが…」
巨漢の男は小さくため息をついて、紳士の方を振り向いた。
「心配もいいですが、今は大統領が生きてハウスに戻ることだけを考えてください」
「うむ」
老紳士はさらに皺を増やし、言葉を詰まらせた。
「大統領」
老紳士と蝶ネクタイの巨漢の前で歩いていた青年兵士が、突然振り返り、小さい声ではあったが確かに警鐘を鳴らすような声であった。
暗く、掃除も行き届いていない、古新聞がクシャクシャに丸まって転がっている路地の先には、男が一人立っていた。
男は三人に注意を向けられたとわかると、一歩一歩、まるで死神が近づいて来るように、足音を暗闇に静かに響かせ、ゆっくりと三人に向かってきた。
「止まれ!何者だ。さてはフォード劇場の者の共犯だな」
老紳士の取り巻きの二人は黒ジャケットの内ポケットから拳銃を同時に取り出し、道を遮る男に向けようとした。
キュン、キュン
と、微かな音が空気を震わせると共に、二人が構えた拳銃が彼らの手から離れた。
そして、また間髪なく軽快な音を発し、それが聞こえると同時に二人の両肩、両腿を瞬く間に撃ち抜いた。
あまりの出来事に老紳士は、倒れて踞る二人を見て嘆くこともなく、ただただ小さく口を開いたまま佇んでいた。
「大統領。お逃げください」
そしてようやく状況を理解した老紳士は、懐から護身用の短銃を取り出した。
しかし、構えると同時にまたも軽い発砲音が鳴り、老紳士の右手を貫いた。白いドレスグローブが赤く染まる。
老紳士はそれがようやとく銃によるものだと理解すると、二人の撃たれた箇所と自分の右手から推測して路地の上を見上げた。
一瞬、キラリと何かが老紳士の目に映ったが、それは一瞬で闇に消えた。
(もう一人いる…)
「エイブラハム・リンカン大統領ですね」
「!」
道を遮っていた男は、もう目の前にいて、若い声だった。
「………」
老紳士は何も答えられない。
「髭も剃られて、髪は短くなっている。フォード劇場の方は影武者でしたか」
「………」
(こいつは…、南部の者か)
「いえいえ、勘違いしないでくださいね。私は南部の者でもりませんし、昨年大統領の暗殺未遂をした者とも関係ありません。そもそもここの国の者でもありません」
男は考えが読めるのか、先先と大統領の考えを口に出していく。それもいかにも当たり前かのような顔で。
「ソロ!」
すると路地を挟む煉瓦造の建物から女性の声が聞こえた。小刻みに聞こえる金属音が、徐々に大きくなることから、誰かが階段から降りて近づいてきている。
(ソロ?)
大統領はその名前を最近聞いた、もしくは見た覚えがして、心の中で首を傾ける。
目の前にいる男はソロという名前らしい。
よく磨かれた黒い革靴。少し長めだが脚にほぼフィットしているこれまた黒のスマートズボン。全体的に黒い服装にアクセントを加えるかのようん添えられた臙脂のネクタイ。しかし、それも暗い濃い臙脂だ。
ここまでならこのワシントンにいてもおかしくない、高貴な起業家や商人のような格好である。しかし、男の着る外套が、男をこの街から追い出すように、異彩を放っている。継ぎはぎでぼろ布で繕われた濃紺の外套。男が着る服とは明らかにミスマッチだが、男の存在自体とには不思議と合っていた。
「ソロ!早くしないと追っ手来るよ」
「わかってる。先に戻っててくれ」
階段を降りてきて少しだけ姿を現した女は渋々引き返し、再び路地の奥の闇に消えて行った。その女も若かった。
しかし奇妙なことに、女の肩に背負っていたライフルは、どの戦場でも見たことがないものだった。
「ソロ…、!」
「はい」
「お前、ソロと言ったか」
(この風貌に、雰囲気。何となくだが、確かに違和感がある名前。そんなことはありえない。一種の伝説というか、おとぎ話というか。でも、目の前にいる男は…)
「アサシン・ソロ、か?」
「アサシン?」
「私は大英帝国の図書館、その禁書の棚でみた文献で、お前の名前が書いていた」
「ソロなんて名前、珍しくないでしょう」
「いや、濃紺のボロ外套を着た男。何百年も跨いで出現し、数多くある歴史の変動の渦中に、その男は現れる。その名はアサシン・ソロ」
リンカン大統領の首筋に、冷や汗が滴る。
「そうか、大英帝国ではアサシンと呼ばれているのか」
ソロという男は小さく呟き、不気味に、そして静かに笑った。
「さすが大統領といったところか。でも、アサシンというのはお前達がかってに呼んだだけだ。まぁ、何でもいいんだけど…」
またも、声が段々小さくなり、独白のようになっていく。
「おい!」
「はい?」
淡々と答えるソロ。
護衛の二人は出血量で唸るだけで、動きもしない。
「俺も殺すのか」
「……、仕方ないですけど、もう街全体も騒ぎ出した。長くここにはいられない」
ソロは外套の中から拳銃を取り出した。
これも、リンカンが見たことがないものだ。
そして、ソロはリンカンの額に銃口を当てる。
「なぜ私をを殺すのだ。いや、なぜ人を殺し続けるのだ」
リンカンは文献に記述されている伝説の男の概要を思い出しつつ、問いかけた。いや、リンカンの中でソロと名前は深く刻まれていた。最近その名前を目にしたというだけではない。その名前はもう印象的で、不可解で、人間とはかけ離れた、まさに神秘的なものだったからだ。
するとソロは顔を伏せ、額に当てた銃が一瞬離れた。
しかし、再び銃口を突きつけまで、そうはかからなかった。
「すまない。それは言えない」
ソロの顔は、ただただ悲哀に満ちていた。
「そうか…」
引き金を引く。
フォード劇場のすぐ近くから響いてくる銃声を、住民達は確かに耳にした。
一応完成はしているんですけど
まぁ
ちょくちょく掲載するかたちで