第92話 森のなかの街
ワープしたぼくたちは、円筒形のホールのなかに出現した。
直径百メートルほどの、薄暗い大部屋だ。
アリスやたまき、ミア、それに九十名ほどの人々が、きょろきょろしている。
ぼくも周囲を見渡した。
壁面は木製で、ざらざらしている。
明かり採りの窓のようなものがあって、そこからやわらかい陽の光が差し込んできている。
ホールの出入り口らしき場所の前に、数名の人間が立っていて、こちらを見ていた。
逆光で姿かたちはわからないが……。
背の高い男性たちが、中央の女性を警護するように立っている。
でも、なんか彼らのシルエットに違和感があるような。
「ケモミミ!」
ミアが、叫ぶ。
彼らの方へ、飛ぶように駆けだす。
屈強の男たちが、ミアの勢いに、すわっ、と身構える。
だがミアは、男たちが制止するのを剣術ランク5くらいの動きでするりとかわし、彼らが守る女性に飛びかかる。
女性の耳に触る。
頭の横についている方の耳ではない。
そう、彼女の頭の上でピンと立つ、まるで猫のような耳に……。
って、あ、尻尾もある。
あー、なるほど、これはそういう……。
女性が、悲鳴をあげる。
声で気づいたけど、彼女は鷹の声のひとじゃないな。
鷹の声のひとは、もうちょっと高い声だった。
で、男性たちは慌てて、猫のような耳を撫で続けるミアを女性から引きはがそうとする。
大惨事だ。
「アリス、捕まえてきて」
「は、はいっ」
アリスは男性たちの間にするりと割り込み、ミアの首ねっこをひっつかんで持ち上げる。
「にゃーん」
ミアがかわいらしく鳴いた。
てめえ、ごまかされんぞ。
「初対面のひとたちの印象を悪化させるな」
「仕方がない。拙者、ケモナーゆえ」
誰だよ拙者って。
こいつ……ほんとあのニンジャの妹だなあ。
ミアが襲撃した女性は、両腕で頭を抱えてうずくまってしまった。
アリスがその女性にぺこぺこ頭を下げている。
周囲の男たちは、どうすればいいかわからず困惑していた。
あ、でもミアには警戒しているのか、彼らの尻尾がピンと逆立っている。
彼らの頭の上にある耳も、緊張した様子でぷるぷるしている。
って、うーん、そうかー、全員、いわゆる獣人かー。
そりゃー亜人とかいわれるわけだなー。
彼らは、ぼくたちと同じような頭の横の耳のほかに、頭の上にも耳がついている。
いったいどういう進化をしたら、こんな生き物になるんだろう。
というか、このひとたち、耳が四つもあって混乱しないのかな。
そういえば縄があったよな、とミアのリュックサックを開ける。
あ、首輪もある。
リードもある。
「ミア、これプレイ用? 動物用?」
「もちろんプレイ用」
よし、とぼくは彼女の首に首輪をつけた。
「お、おう、カズっちが高度なプレイを……」
「たまき、このリードを握っててくれ。ミアが騒ぎだしたら、わかるな」
「任せて、カズさん!」
ミアが「奴隷ごっこだ」などといってたまきと遊んでいる間に、ぼくは猫耳の獣人たちに歩み寄る。
「謝罪とかはあとでこいつにしっかりさせますので、すみませんが、リーンさんのところに案内していただけますか」
「あ、こちらこそ申し訳ございません。すぐに……」
まだ男たちは警戒している様子だったが、あまり気にせず、女性の導きで外に出る。
視界がひらけ、陽光が降り注ぐ。
ぼくは目を細めた。
強い風が吹き抜けていた。
木造りの道が目の前にある。
いや、橋だ。
って、え? これって……。
ぼくは、ようやく現在置かれている状況を理解する。
さっきまでぼくたちがいたホールは、とてつもなく太い木のうろのなかだったということだ。
しかもこの木のうろは、地面から十数メートルの高さに空いていた。
ぼくたちが立っている橋は、それだけの高さにあるのだ。
橋がかかっているのは、ぼくたちのところだけじゃない。
近隣の太い木々に木製の橋が渡されている。
橋はあちこちで立体交差している。
橋と橋の中継点には広場がつくられ、そのそばには家が建てられている。
いわばここは、樹上の町だ。
眩暈を覚えるような光景だった。
というか、これ、どっかの映画で見たような……。
「ガラドリエルさまに会いに行かないとっ」
首輪をしたミアが、むほーっ、と叫んだ。
ああ、なんかこういうとき、きみのこの反応はなごむなあ。
そう、ロード・オヴ・ザ・リングだ。
炎の怪物と戦ったあと、洞窟から出て、そのあとの森の光景。
木漏れ日の差すなか、綺麗なエルフの女王がいて……。
左右を見渡せば、木板の橋を歩いているのは、猫耳や犬耳の男女だった。
たまに兎っぽい長い耳のひともいる。
みんな頭の上にも耳がついていた。
エルフっぽいひとはいない。
いやまあ、ミアはひとりで興奮しているけど。
おまえ、ほんとに、もう……。
「これは……リーンたんのお姿御開帳が楽しみですな。ぐふふ」
「その呼び名はやめろ。あと口調も戻せ」
「ん。むう」
ミアはぴたりと口を閉じる。
よしよし、お利口な子だ。
頭を撫でると、目を細めてこちらを見上げてくる。
「こちらです」
と猫耳の女性が先頭に立つ。
ぼくたちは彼女について歩きだす。
ぼくたちが助けた町のひとたちも、ぞろぞろとその後ろをついてくる。
木板の橋がギシギシいって、ときどき風で揺れて、結構怖い。
たまきが、ぼくの服の端っこをぎゅっと掴んでくる。
後ろでは、町の生き残りたちが、怖がりながらおそるおそる歩く声が聞こえてくる。
猫耳のひとたちは、揺れる橋の上もいっこうに平気みたいだ。
というか、この樹上都市に住んでいるひとたちの場合、不安定に揺れる橋の上を歩くというのに、まったく身体が揺れていない。
ぼくたちは一歩進むたびにギシギシと木板をきしませているのに、彼女たちの場合、足音すらほとんど聞こえない。
うーん、やっぱ原住民は環境に対する適応度が違うなあ。
この町を守る戦いとかになったら、やっぱり彼らみたいなひとたちが大活躍だろうなあ。
さっき市街戦をやってきたばかりだからか、そんなことを考えながら猫耳の女性についていく。
「なんか、びっくりすることばかりで、目がまわりそうです」
アリスが苦笑いする。
そりゃぼくも同じだ。
で、たまき、きみはさっきからぼくの服をずっと掴んでいるけど……。
「たっ、高いとこ、怖いわっ」
「さっきフライであれだけ飛んでたくせに」
「自分で飛んでいるならだいじょうぶなのっ」
あー、うん、なるほど。
そういう高所恐怖症もあるかー。
ぼくはたまきの頭をやさしく撫でた。
「だいじょうぶだぞー、お漏らししたらちゃんというんだぞー」
「カズさんっ、いじわるっ!」
たまきが涙目で睨んでくる。
なぜかアリスまでぼくを睨んでいる。
「カズさん、意地悪はダメです」
「あ、はい、反省します……」
潔く頭を下げる。
理不尽にも、ますますたまきに睨まれた。
「対応が違う……。カズさん、アリスのことなら素直に聞くんだ……」
「きみだって、そうだろ」
「う……っ、それはそう、だけどさっ! なんか気に食わないのよーっ」
うん、気持ちはわかる。
でもアリスは絶対正義なんだ。
仕方がないじゃないか。
町のひとたちとは、橋が交差する中継点のひとつで別れた。
彼らはほかの兵士が案内する。
検査をしたあと、疲れ切った様子の彼らを、ゆっくり休ませるという。
検査ってなんだろう。
こんなファンタジー世界で感染症の検査とかあるんだろうか。
ぼくにアドバイスをくれた兵士や、一同を先導していた太ったおばさんが、最後にもう一度、手を振って激励してくれた。
さらに五分ほど歩き、ぼくたちは樹齢何千年あるのかわからない巨木の前に辿りついた。
これが世界樹……じゃないよな。
まわりにも、同じくらいの樹がいくつかあるし。
ほんとこの森、巨木ばっかりだ。
どうやったら、こんなに木々が育つんだろう。
やっぱ魔法かなあ。
で、木のうろの前で猫耳の女性が声をかけたり、頭を下げたりしている。
スカートから出た尻尾が、緊張で硬直している。
猫耳も、ピンと立っている。
ってことは、このなかにいるひとが……。
「お入りください」
なかから、澄んだ鈴の音のような声がした。
リーンさんの声だ、とすぐに気づいた。
ぼくが先頭になって、木のうろをくぐる。
なかは球形で、天井が高かった。
木の壁面に従って、目の高さに点々ととりつけられた橙色の魔法の明かりが、内部を照らしている。
部屋の中央、藁を敷いた上に、あぐらをかく少女がいる。
純白でぶかぶかの貫頭衣をまとった、犬耳の少女だった。
耳さえ気にしなければ、ぱっと見た限りで、日本人のように見えた。
背丈からすると、十二、三歳に見える。
でも落ちついた声からすると、もっと年上だろうか。
あー、だから身長の話題、嫌がったのかな。
髪の毛や耳を覆う毛の色は、黒。
そしてぼくをすっと見つめる瞳は、血のように赤い。
「お待ちしておりました、異世界からの来訪者さま」
少女が、いう。
「改めて、自己紹介をさせてください。わたくしの名は、リーランダールカラークムール・ラ・フラームサール・ハファルダⅣ世。世界樹の守護者の当代における巫女を務めております」
今度はミアもチャチャを入れなかった。
まあ、余計なことをいったら外に放り出すけど……。
リーンさんは、ぼくを見て、なるほど、と呟く。
「よい目をしておられます。毅然と決断することができる者の目です」
ぼくは首を振った。
それはつまり、ひとを見殺しにできるということだろう。
生きてよいひとと、死ぬべきひと、それを自分の勝手で選別できる人物、ということだろう。
実際、ぼくはこの三日間を、そうして生き抜いてきた。
中等部においては、ぼくと志木さんの一存で、助かる少女と死ぬ少女が選ばれてきた。
彼女がぼくを褒めているのかどうか、どうにもわからなくて、曖昧にうなずいてしまう。
リーンさんは、ぼくの複雑な心情をどう推し量ったのか、自分のもとに来て座るよう促す。
猫耳の女性たちは、外に待機している。
ここにいるのは、ぼくたち四人とリーンさんだけだ。
座布団が宙に浮かび、リーンさんの前に四枚、並べられる。
これ、魔法なのかな。
なにかやったようには見えなかったけど……。
「さて、なにからお話をするべきでしょうか」
ぼくたちは、リーンさんの前の座布団に腰を下ろし、彼女と向かい合う。
こうしてみると、胸がけっこうおおきいなあと思う。
ちらちらと見る。
横のアリスが、ぼくの腿をキュッと抓る。
うお、こんなちょっとした視線もバレるのか。
「まずは、そうですね。この世界の現状について、説明いたしましょうか」
リーンさんは、ぼくを見つめる。
ルビーの瞳に、吸い込まれそうになる。
少女は皮肉に口もとをつりあげる。
そして、爆弾を投下した。
「端的に申しあげましょう。この世界は、明日、滅亡します」




