第09話 レベル上げ
下園亜理栖には、親友がいるという。
名は、竜輝珠樹。
中等部に入ってからの三年間、ずっと一緒のクラスで、いつも共に行動していたという。
「たまきちゃんは、元気な子で、いつも走っていました。わたし、あまり運動が得意じゃなかったんですけど、たまきちゃんが走っているのを見るのは好きでした。見ているだけのわたしに、一緒に遊ぼうよって手をとってくれて、おかげでわたし、たくさん友達ができました」
アリスは、はにかんだ笑みを浮かべる。
自分は本来、あまり社交性が高くないのだと。でも彼女のおかげで、とても楽しい学校生活を送れていたのだと。
そうか、とぼくは相槌を打つ。
「今日は、ふたりで育芸館にいってたんです。たまきちゃんが料理を習いたいっていうから、わたしが教えるはずだったんです」
育芸館は、中等部のはずれにある旧校舎を改装した、多目的施設だ。
山中で隔離されている生徒のために、さまざまな技術、芸能を身につける場を提供する、というお題目のもと、妙に豪華な板の間やら、お座敷部屋やらが用意されている。
そのうちのひとつに、アリスのいう調理室があった。
「でも、地震のあと、火が止まってしまって、水も出なくなって……。それから、オークがやってきたんです」
オークは十体前後、いたらしい。
たまきとアリスは、育芸館を脱出して、高等部に逃げようとした。
まずは北側の遊歩道へ向かったが、遊歩道は土砂崩れで通行不能となっていた。
ならばと、南側の森に逃げようとした。
だがそこで、ふたりはオークに見つかってしまう。
アリスが不注意で音を立ててしまったらしい。
たまきは、アリスを助けるため、囮になった。
自分の方が、足は速い。
逃げのびられる可能性は高いと、そういってこれみよがしに飛び出したのだという。
オークがたまきを追いかけている隙に、アリスは森に逃げ込んだ。
それでも結局、別の個体に見つかってしまった。
そこをぼくの使い魔が発見したのだ。
「たまきちゃんが生きているって、わたし、信じてます。もし無事だったら、森のなかで合流しようって……」
「合流場所は決めていたのか」
アリスは無言で、ぼくたちが狩りをしていた場所の近くにある石碑を指差した。
こんなものがあったなんて、ぼくはこれまで、ちっとも知らなかったが……。
昔、アリスとたまきは、ふたりで森を「探検」しているときに、これを見つけたのだという。
ふたりの待ち合わせ場所をここにしようと約束したのは、そのちょっとした「探検」が、ふたりにとって大切な思い出のひとつだからだという。
「わたしは、たまきちゃんのおかげで逃げることができました。だから、たまきちゃんを助けにいかなきゃいけないんです」
そのたまきという子が無事に生き延びていて、しかし、この場所に来られない可能性について、ぼくは考えた。
ぼく自身は育芸館に行ったことがない。
だが人づてに話を聞いたことはある。
育芸館は、ほかの建物から少し離れた森のなかに、ぽつりと存在するという。
そのあたりが使われなくなったとたん、周囲の木々が浸食を始めて、みるみるうちに木々に覆われてしまったらしい。
おかげで、あのあたりは視界が悪い。
暗くなってからは注意するようにと、お達しが出ているはずだ。
たまきという子が無事、オークから逃げ延びているなら、なんとかして育芸館周辺の森に逃げ込むだろう。
それができない可能性。
たとえば、怪我をして、必死で隠れているという可能性。
考えられなくはない、か。
ここでの問題は、たまきという少女が本当に無事でいる確率ではない。
たまきという少女が無事でいる可能性が少しでもあるなら、アリスは助けにいこうとするという事実である。
「二重遭難だけは、避けないといけない」
だからぼくは、そういった。
「助けにいったぼくたちが返り討ちに遭うようじゃ、ダメだ」
「はい」
「きみの槍術ランクとぼくの召喚魔法が2になったら、一度、偵察に出てみよう」
「はい!」
アリスは、かしこまってうなずいた。
このあたりが妥協点だろう。
彼女に目的があるのは幸いだと思う。
行動の指針がわかりやすいからだ。
あとはお互いのやりたいことを擦り合わせればいい。
逆に、彼女がぼくに黙って、自分の目的を達成しようと勝手に動かれるのは困る。
いま、ぼくと彼女は一心同体なのだ。
ここで彼女と別れるわけにはいかない。
少なくとも、ぼくのレベルが3になって、召喚魔法を2に上げるまでは。
そこまでいけば、ぼくはパペット・ゴーレムを呼び出すことができるようになる。
パペット・ゴーレムを二体呼び出し、付与魔法で強化すれば、ある程度はオークと戦えるようになるだろう。
いや、パペット・ゴーレムの具体的なスペックはわからないけれど。
でも、以前のQ&Aで、召喚魔法で呼び出せる使い魔のスペックは、武器攻撃スキルを持った人間と比べて、おおむねマイナス二程度であるとの答えを得ている。
そして付与魔法がレベル2になったことで、キーン・ウェポン、フィジカル・アップ、マイティ・アームといった魔法の効果が増加している。
いまのアリスの動きを考えれば、付与魔法で相応に底上げしたランク2の使い魔に、さらにこれらの付与魔法をかけることで、オークの一体程度はやすやすと倒せるようになるはずだった。
それまでぼくには、アリスという盾が必要なのだ。
彼女を手放すわけにはいかないのだ。
アリスがぼくの提案に納得してくれたのは、とても幸いなことだった。
すぐに助けにいく、といわれたらどうしようと、内心ドキドキしていたのだ。
別に、ぼくから約束を破るつもりはない。
ぼくがレベル3になったら、召喚魔法をランク2にして、そのあと約束通り、カラスを偵察に出すつもりだ。
ただし、偵察の結果、どう考えても育芸館を攻めることが無理だと判断したら、その旨をしっかり伝える。
自殺的な特攻をするつもりはない。
できればアリスにも、そんなことはして欲しくない。
アリスの槍術がランク2になり、ぼくが召喚魔法でパペット・ゴーレムを呼び出して戦力を水増しすれば、オークの二、三体程度は同時に相手にできるに違いない。四体でもなんとかしてみせる。
しかし、彼女の話にあった十体のオークが、まだすべて残っていたとしたら。
そいつらが、ひとところに集まっていたら。
それは、無理だ。
勝てっこない。
少なくとも、ぼくとアリスのレベルをもっと上げる必要がある。
そのときは、論理的にそう諭すつもりだった。
説得できるかどうかは、やれるだけのことはやってみるつもりだった。
そのうえでなお、アリスが救出にこだわるなら……。
ぼくは、彼女を見捨てる。
ひとりでいってもらう。
彼女はオークたちに勝てないだろう。
きっと、ひどいことになる。
だけどぼくは、それを止めない。止められない。ぼくはぼくなりに、彼女に恩義を感じている。
彼女がいるから、安全にレベル上げができたのだ。
それは、現状において、とても頼もしいことだった。
なにより、彼女はぼくに対して、真剣に向き合ってくれている。
敵の数、育芸館に待ち受ける危険、それらを正直に話してくれている。
そのうえで、助けを求めている。
危ないことを危ないと説明すれば、ぼくが断る可能性は高いというのに。
彼女は真剣に、真正面からぼくにぶつかってきている。
だからぼくも、彼女には、真摯に向き合おう。
騙し打ちは、なしだ。
ちらりと腕時計を見る。
時刻は、午後四時半を指していた。
地震があったのは午後二時半から三時の間くらいだったように思うから、あれからまだ二時間弱しか経っていないということだ。
この時期は、午後六時前に日が沈む。
いや、少なくとも昨日、一昨日はそうだった。
こんなことになってしまった以上、今日も同じとは限らないが、いまの太陽の高さを考えれば、日没時間はあまり変わらないと考えてよさそうだ。
夜間に森を動くのは危険がおおきい。
「五時までだ。いまから三十分以内にレベルアップする。急ごう」
「はい!」
カラスの使い魔を飛ばし、一体だけで活動しているオークを探す。
ぼく自身がオークの前に姿を出し、アリスのもとまで連れていく。
アリスがオークを相手にしているうちに、ぼくは使い魔のカラスで次のオークを探す。
徹底して無駄を省いたループによって、ぼくたちふたりは、二十分とかからず三体のオークを仕留めた。
これでアリスがレベルアップした。
次の瞬間。
ぼくはアリスと共に、白い部屋にいた。